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早月川の河口から剣岳へ②~早月川の河口できらめく浮遊物
山行データ2011年7月17日~22日。単独59歳。剣岳ののちは薬師岳、黒部五郎岳、西鎌尾根から槍ヶ岳、大キレット経由で北穂高岳から穂高連山、ジャンダルム、西穂高岳、焼岳から上高地へ下山 ...
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山行データ
大河と滝のごとく
大河というと中国の黄河とか、地球の反対側のアマゾン川などの映像を見ると、河口は広大無辺の海のようで圧倒されるが、早月川には全くあてはまらない。
左岸を歩くと対岸は至近距離で草むらがあり、水面から立ち上がる水蒸気がゆらゆらして朝日にきらめき、水音が疾走する。
滝にも例えられる急流だ。
早月川に限らず、現代でも梅雨や台風の時期になると日本のどこかで河川が氾濫し、大きな被害を引き起こす。
(事業所、住宅、水田が混在する早月川沿いのあぜ道)
わたしが直に目にした洪水は、古い話で恐縮だが、1975年夏の北海道石狩川の氾濫。
夜になるとパチンコ玉をばらまくようなすさまじい雨脚になり、石狩低地帯の水田、玉ねぎ畑、住宅地一帯が水浸しになった。
堤防で洪水を封じ込める治水は人災か?という議論があった。
石狩川、釧路川、早月川
石狩川に次いで深く記憶するのは、北海道東部の釧路湿原を高台から見渡したときの自然だ。
広大な湿地帯の中を、釧路川がゆったりとくねりながら流れていたものだ。
大都市札幌の発展とともに治水が進んだ石狩川の洪水、原生的な釧路川と、滝に例えられる早月川とは何という違いなのだろう。
洪水と背中合わせの河川は、あらゆる命の営みの源。
縁切りはできるはずもない。
暴れないでもらいたい、うまく折り合いをつけて利用したいと願い先祖たちは治水という土木工事に知恵をふるってきた。
その営みが早月川沿いを歩くわたしの周囲に広がる。
高速道路や鉄道の下をくぐり、高層の事業所や緑の稲穂を育てている水田を抜けていくのである。
早月川の本流から引いて張り巡らせた用水路の流れは速い(上の写真)。
営農利水のために行われた土木事業を誇る石碑や、築かれた堤防が先人の水への敬意や怖れの語り部だ。
立山の山々と、「旅の人」
散在する住宅のそばを歩くと、立派な車が何台も駐車してあり家の構えも立派だ。
富山らしいな、と思う。
(治水の現場と、告知板)
富山県の県民性というのは、立山という山岳の大障壁を東にし、滝のごとく流下し平野をつっきって富山湾に飛び込んでゆくいくつかの川(水)との折衝によって織り合わされてきたのではないかと思う。
一つはとも働き(夫婦そろって有職)、二つには三世代同居が普通にある(よって家が大きい)というのがあった。
結果、家(血縁)のつながりが深く濃い。
結束力の源が、家にある。
地域の結束力が強くなる。
かつて富山県民だったころお付き合いのあった方たちを思い出しても、上の定義にあてはまる家族がいくつもある。
滑川に在住するわたしの友人も、その例にもれない。
家、ないしは家族という強い結束力が社会の価値基準の底流にあるようだ。
半面、外に対してややこしい感情が働く。
転勤で富山にやってきたわたしは旅の人と呼ばれた。
旅の人になりたい、この土地から飛び出したい、という潜在意識の逆説表現らしい。
壮麗荘厳な山岳絵巻の立山の連なりは地理的な大障壁、どん詰まり。
つまり、中央(東京)志向。
現代は交通機関や情報機器が発達し、<あの山の向こう>には軽々と行けるが、この土地に根を張る人たちにとっては、やすやすとは解放しきれない心理的なDNAなのかもしれない。
小規模水力発電所と巨大黒四ダム
馬場島までゆっくりと歩こう。
用水路脇のあぜ道(?)を選んだり、バス停で日差しを避けて休憩してパンを食べたり、家の前の畑で何か作業をしている地元の人をみかけたりするうちに、だんだんと両側の尾根から挟まれるようになる。
山の斜面に巨大な円筒の送水管が立てかけられ、その根元には小規模な水力発電所の四角い建物も見かける(下の写真)。
早月川の隣の黒部川の奥深くにある巨大な黒部ダムとは段違いだ。
立山山頂から直下にみた黒部ダムの巨大さと貯水量の膨大さは尋常ではない。
そのダムの堤防を歩いたこともあるが、心中はひどく不安だった。
これが決壊したら、どうしよう?
想像を絶する巨大洪水が鋭く狭いⅤ字形の黒部渓谷を突っ走り、扇状地に躍り出るやいなや黒部市一帯を蹂躙して富山湾に雪崩うつ情景を想像する。
それを思えば、この先も目にする早月川沿いの発電所は小規模で、もしものときの被害も小さいことだろう。
黒部ダム建設をして世紀の偉業とよく聞くが、建設に投じられた膨大な鉄材とコンクリートは劣化する宿命から逃れられない。
171人の犠牲を出したことも忘れてはいけない。
巨大ダム湖の水圧に耐え切れない時が来ることを思うと、想像を絶する破壊エネルギーの貯蔵庫なのではないかと、背筋が凍り付く。
この山旅でも、黒部ダムは立山から真下に見えるはずだ。
(写真はいずれも2012年7月)
(続く)