山の本棚

【山の本棚1】井上靖『氷壁』から新田次郎『孤高の人』へ

 

関心のままに手元に置いてきた山の本を並べると、本棚の一区画を占めるようになってきました。

本の背表紙を見やるだけで、まだ見ぬ山旅へと誘い、過ごした山旅を回想させてくれます。
ここでは、「山の本棚」のタイトルをつけ、そうした本を抜き出してみます。

そこに描かれる山岳が、ごく最近自分で歩いた峰々だったり、遠く若い日に初めて3千メートル級の高山帯の自然に触れた思い出の景色だったりすると、いながらにして想像登山を楽しませてくれます。

未知の山岳への憧憬をかきたてることも、しばしばです。
それらは刺激に満ち、たとえば、まだ道らしい道もない登山の黎明期の北アルプスの夏にお花畑を悠遊漫歩したり、猛吹雪がおさまらない冬山だったりするのです。

 

最初の本:『氷壁』

最初に読んだのは、おそらく井上靖の小説『氷壁』(新潮文庫)。
学生時代に山歩きを始めたころのことです。

物語に出てくる厳冬期の前穂高岳の岩壁を登ってやるなどと、ザイルの使い方などまったく知りもしないのに、勢いで口にしたものです。笑止、笑止。

舞台の穂高連峰は、長野県松本市から上高地に入り、登れる山です。

河童橋で知られる高原の観光地上高地から梓川左岸に沿って、2時間余の散策で徳沢園。ここには立派な宿泊施設徳沢園があり、看板に「氷壁の宿」とあったのを記憶しています。

徳沢園からロッククライミングの前穂高岳東壁を仰ぐのです。

徳沢園から梓川を渡り、ブッシュに隠れた取り付きを探して急斜面を喘ぎにあえいで登ると、『氷壁』にでてくる奥又白池に出ます。

このルートはまったく一般向けではないのですが、行き着き先は巨竜の片目のような池がたたずむ静かな別天地です。

奥又白行については、ブログ本編でお話することになると思います。

『氷壁』を山岳小説と呼ぶべきか?とためらいますが、北アルプス・前穂高岳の厳冬期ロッククライミングや、北穂高岳・滝谷を劇的な場面に持ち入れる井上靖の、作品が支持されるツボを心得た作家の嗅覚を感じます。

 

山岳小説の第一人者:新田次郎

山岳小説の第一人者といえば、新田次郎をあげるのが妥当でしょう。作品数も多い。

『孤高の人』(新潮文庫上・下)は、1936年(昭和11)1月、厳冬の槍ヶ岳で遭難死した加藤文太郎をモデルにしている。

二度三度と読み、そのたびに力づけられる思いがします。
山岳小説といえば、私はまずこの作品をあげます。

山歩きは一人がいい、そういう思いを学生時代の私に植えつけた作品です。

武骨で不器用。
直球勝負のような生き方と山歩きをした孤高の登山家として加藤を描き読み終わったあと自分の中に加藤文太郎のかけらでも見出せないものか、という気持ちになります。

会社勤めをしながら夢中になれる登山に打ち込むバランス感覚など、時代を横断して通じるテーマです。

加藤はあくまでモデルなので等身大ではないにせよ、作品中の加藤は実に魅力的です。

加藤文太郎を別の視点で小説にした作品に、谷甲州の『単独行者』(ヤマケイ文庫)があります。
新田次郎の『孤高の人』と読み比べるのもいい。

加藤の遭難死ののちまとめられた遺稿集『単独行』(ヤマケイ文庫)は、等身大の加藤の記録です。

私の手元にある『単独行』は二見書房版。
単独行者・加藤がうかがえるところを引用しましょう。

私はしばしば山に登った。が、多くの人々とともに計画し、登山したことははなはだ稀だ。
私には独りで登山しても十分の満足が得られるのだし、殊更に他の人を交えてお互いに気兼ねし合う必要はないのだから。

私はしばしば山に登ったし、また今後も登って行きたい。そしてとにかく私は信じている、山は、山を本当に愛するものすべてに幸を与えてくれるものだと。

『孤高の人』には出てこない白山の登山など、加藤の足跡を広くたどることができます。

加藤が歩いた五色ヶ原、ザラ峠(立山黒部アルペンルート立山から5~6時間)など山のあちこちが、自分が歩いたところと重なると、80年前と現代との日本アルプスや各地の山岳との違いがわかり、山の移り変わりを知ることになります。

 

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【山の本棚2】新田次郎の世界①

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この記事に出てきた書籍まとめ

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは5年目(2020年4月現在)

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