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北アルプス 登山記録 第4章[初の北アル縦走]

【第4章】補遺・薬師岳遭難①

 

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スゴ乗越の山小屋
【第4章】初の北アルプス縦走・唐松岳から上高地へ⑤~有峰湖と薬師岳~

    山行データ19歳。大学2年。1972年7月28日―8月7日:八方尾根・唐松岳から黒部川へ下り、阿曽原、剣沢、立山、薬師岳、黒部源流、西鎌尾根・槍ヶ岳、槍沢から上高地へ下山。 ...

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山行データ

19歳。大学2年。
1972年7月28日ー8月7日:八方尾根・唐松岳から黒部川へ下り、阿曽原、剣沢、立山、薬師岳、黒部源流、西鎌尾根・槍ヶ岳、槍沢から上高地へ下山。4人パーティ。
★3,000m峰は立山(3,014m)と槍ヶ岳(3,180m)

 

 

薬師岳に導かれる人々

19歳の夏には、ただ茫洋と過ぎこしただけの薬師岳(2,926m)ですが、その後四度、山頂に立っています。

 

最新は一昨年(2017)の夏、室堂から入山。

五色ヶ原で二泊する縦走。折立に下山しました。

 

妻を誘い出したテント泊の天候に恵まれた旅でした。(『白山』の項で紹介した山行)。

 

60歳も半ばのこの旅では五色ヶ原からスゴ乗越への日にどんどん追い越されていき、とうとう九州の高年婦人二人連れとカメさん比べをするようにヘロヘロになったものです。

 

19歳の夏、五色ヶ原から薬師峠まで半日で疾走したときの体力の、なんと空恐ろしい馬力だったこと。

 

薬師岳の一座だけなら富山側の折立から入山が最寄りです。

健脚なら日帰りもできます。

 

富山県在住のころ、一日で折立太郎小屋薬師岳への山小屋)を2往復したという男性(当時30歳代)と知り合いました。

薬師岳遭難
(薬師岳山頂から立山連峰方面を一望する=1989・9・31)

 

薬師岳山頂から南へ広く伸びる尾根にある太郎小屋のそばに、東へと急降下する登山路があります。黒部川にひた下ります。

 

切り立った岸壁にくさびを打ち込む黒部川を渡ると急坂。

 

我慢のすえに雲ノ平

高山植物が主人公の天上の楽園が伸びやかに待っています。

 

雲ノ平にはルートと季節を変え、二度訪れています。

 

太郎小屋から尾根をそのまま南へとれば、黒部五郎岳方面へ展開できます。

北アルプスの最深部への交差点が太郎小屋、その重鎮が薬師岳なのです。

 

初冬の夕暮れ、薬師岳がピンクに染まる

薬師岳というのは新聞広告でバスツアー募集するほどで、中高年の団体らにしきりに登られています。

いささか手垢まみれなのは気がかりですし、気の毒です。

 

太郎小屋周辺の深くえぐられた登山道の荒廃の回復も急務です。限られた植物しか生きられない弱い自然なのです。

 

それを差し置いて、歩いてよし、眺めてよし、歴史・文化を探訪して深い味があります。

 

一つの山岳、山脈との遊び方は関心と好奇心次第ですが、薬師岳の器量にいちばん衝き動かされた強烈な出会いがあります。

 

それは富山県高岡市に住んでいた30代半ばごろ、初冬の夕暮時の遠望です。

すでに3,000メートル級の高地には初冠雪があり、空気の澄んだ日には平地からでも北アルプスの連山が鮮明にとらえられます。

 

夕方がやけに明るいなと、アパートの二階から水平なあかりの先へ目をやると、薬師岳の真っ白な山体が薄い紅色にほんのりと染まっていたのでした。

 

日没直前に輝く西陽が遮られることなく山体に届いて薬師岳を包み込み、白い山肌が火照っているかのようでした。

急いで屋上に出ますと景色はさらに大きく広がり、山頂の両側にのびやかな尾根を広げる山域が丸ごと染まっている。

 

称える一言など不要な、ただ息をつめて静かに見やっていることだけがふさわしい暮景でした。

 

陳腐を承知でいえば、神々しい。

いや、色っぽい。

 

それほどの荘厳と静けさの山は、その後、出会っていません。

 

薬師岳の若者の遭難死

日帰りができるといって、女性的な遠望にそそのかされて、薬師岳をナメてはいけません。

 

やはり高岡に住んでいたころ。

夏山合宿でスゴ乗越方面から縦走してきた関西の大学生グループの遭難がありました。

 

風雨にたたかれ、山頂からの下りの尾根で男子学生一人が動けなくなり、死亡したのです。

 

この遭難記事を新聞で読んだとき時、ひどく衝撃を受け、なくなった学生が痛ましくてなりませんでした。

 

19歳のわたしたちのルートと同じルートでの事故なのです。

 

わたしたちは荒天を五色ヶ原で二日身を潜めたのち、小康の、雨の兆しが遠のく日に(ガスに包まれることはあった)歩いています。

 

わたしたちは、悪天気に翻弄されることなく行動しています。

それだけに、生々しく、遭難の現場を想像したのです。

薬師・避難小屋 (2)
(スゴ乗越方面から薬師岳山頂に近い尾根。天気が荒れると身をかくまう場所がない=2012.7)

 

関西の大学生の遭難死は、わたし自身に食い込んでくるようでなりません。

 

不憫、無念。

無常や憤怒という感情も混じります。

 

<どういう経過で、遭難死に至ったのだろう。どこに問題があったのだろう。遭難を防ぐことができなかったのか。まず遭難地点を訪ねて探ってみよう>

 

1989年9月下旬、週末の休日を利用し折立から入山。

19歳の夏から数えて二度目の薬師岳です。

 

登山客は数えるほど。初氷が太郎小屋あたりでは張りました。

小屋から山頂まで1時間余は、岩、瓦礫、地を這うわずかな植物だけです。

 

日本海からの風を強く受ける荒涼とした尾根です。

 

「(遭難の日は)南からの風雨がひどかった。普通の風がそこでは突風になる。それが薬師岳。その日はほとんどの登山者が小屋泊りか、下山しました」

 

太郎小屋で聞いた遭難当日の薬師岳あたりの気象です。

冠雪が薄紅色に妖しい薬師岳とはまるで違い凶暴です。

 

愛知大学生の冬山遭難の記憶

薬師岳は冬山岳遭難史に刻まれた遭難の現場でもあります。

 

「38豪雪」となった1963年1月、太郎小屋を拠点に薬師岳登頂を目指した愛知大学の13人全員が遭難死したのです。

 

それからまだ10年とたっていない薬師岳山頂に19歳のわたしたちが休息をとっていたのです。

 

山頂で休憩しているときの雑談でも、「愛大の連中は尾根を間違えたんだよなぁ・・・」と先輩たちが話していました。

 

黒部側への尾根へと取り違えて歩いたというのです。

そのときも、わたしと世代が近い若者に親近感を持ち、いのちを失うことに非常な不合理を思ったものです。

 

山で死ねば本望などという言説を軽々ともてあそんではいけないと思います。

つつがなく帰宅してこその山歩きです。

 

2020年の現代。

愛大生遭難から半世紀以上が過ぎましたが、2か所でそれをしのべます。

 

一つは折立の登山口。

記念塔がたっています。

薬師・避難小屋 (1)

今一つは、山頂から数分歩いた尾根に立つ小さな石組みの避難小屋です(写真=2012・7)。

そこから南北に伸びる主稜線が、東へと分岐します。

 

愛大生はこちらの尾根へと迷い込んだということです。

道しるべ、荒天時の緊急避難できるようにと、遭難後、ここに建てられたそうです。

 

小屋は3年前に訪れたときも、荒れたなりにありました。

山歩きが遭難の危険と背中合わせであることを肝に銘じさせてくれます。

 

***

19歳のわたしにつながる二つの薬師岳遭難です。

今しばらく、1989年晩夏の、一人の学生のいのちを奪った遭難の顛末について、たぐってみます。

暴風雨の薬師岳で何が起きていたのか。

 

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北薬師岳付近
【第4章】補遺・薬師岳遭難②

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは9年目(2024年4月現在)

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