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新しい旅へ 最終章

早月川の河口から剣岳へ⑥~早月小屋の沈殿

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早月川の河口から剣岳へ⑤~馬場島から早月小屋へ

山行データ2011年7月17日~22日。単独59歳。剣岳ののちは薬師岳、黒部五郎岳、西鎌尾根から槍ヶ岳、大キレット経由で北穂高岳から穂高連山、ジャンダルム、西穂高岳、焼岳から上高地へ下山後は徳本峠から ...

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山行データ

2011年7月17日~22日。単独59歳。剣岳ののちは薬師岳、黒部五郎岳、西鎌尾根から槍ヶ岳、大キレット経由で北穂高岳から穂高連山、ジャンダルム、西穂高岳、焼岳から上高地へ下山後は徳本峠から新島々へ終着した(8月6日)。すべて山小屋利用。

 

圧倒される残雪と赤トンボ

早月小屋の標高は2200メートル、馬場島(750メートル)よりも約1500メートル高い。

剱岳は標高2999メートル(あと1メートルで3千m峰!)なので、小屋からは約800メートル稼がなくてはならない。

 

小屋そばの高台にたって山頂方面を展望すると、小屋を境に残雪が分厚く斜面に張り付き、稜線の奥の山頂付近は岩の鎧が黒く尖って空に突き刺さっている。

 

ここまで歩き抜けてきた森林の登山道そばのくぼみに見つけた残雪はまぶしいほどに希少で、コップにすくって練乳をまぶしてかき氷を楽しんだのだが、小屋から先は危険をはらんだ障壁である。

 

名にし負う危険な細い岩尾根でもある。

アキアカネ(赤トンボ)が私の周囲に寄ってきて、ホワンホワンと舞い踊りながら先導するようにして着いた小屋である。

 


(積雪に耐え樹木。同行は赤とんぼ)

 

秋に里へ舞い降りてゆくトンボである。

 

今は残雪の標高で自由な日々を送っていて、胴体はまだ薄い朱色ほどである。

実に軽やかに舞う。

 

盛夏前の山小屋

富山長野をバスなどの輸送機関が繋ぐアルペンルートなら、早月尾根と谷向かいの標高2500メートルの室堂まで労せずして入山できるので、今日も登山者や観光客の喧騒でごった返しているに違いない。

 

剱岳登山も室堂ルートが多いが、こちらはいたって静かだ。

 

小屋の外で休んでいる中高年の男性(静岡県)は、この先の残雪量に危険を察し引き返してきたそうだ。


(山頂方面が開けるときもある)

 

20歳代かと見える女性二人がやってきた。

地元の保健所の方という。

 

夏山本番を前に、山小屋の衛生管理について点検の用らしい。

 

多数の登山客に宿泊、飲食を提供する高山の施設では、人に連れて里のネズミが現れることがあるという話を私も別の機会に読んだことがある。

残飯を狙っての行動だろうが、ここにはいないというやりとりをしている。

 

トイレの汚物処理の方法や、炊事などに使う水の確保方法など、あれこれと点検項目があるようだ。

のちにトイレを利用すると、落とし紙は分別収集になっていた。

 

ここの水源は天水(雨水)が主、円柱型の5トンタンクが二つ小屋の背に立っている。

 

水の有難さや恵みが身に染みる立ち姿である。

 

富山平野にホタルイカの輝き

夕暮れ時、雲が多い空が少し明るくなり、山が西陽に染まったのでカメラを手に大急ぎで外に飛び出したのだが、一瞬ののちには再び雲が隠してしまった。

 

しかし富山平野のマチの明かりがうす暗い眼下にちらちらとまたたき、富山湾の深海から浮上し発光するホタルイカの群れを連想させた。

 

この日の夕食は保健関係の女性を含め5人。

牛丼などの素晴らしく立派な献立に、一同声をあげたことだ。

 

にぎやかな席も捨てがたいが、一人一人の声が届きあう和やかなしっとりとした雰囲気は、山小屋らしくて好ましい。

 

消灯は8時30分。枕元にはヘッドランプ。

自家発電なので、下界のホテルのような常夜灯はない。

 

枕元から仰ぐガラス窓に、夜空の星がきらめいている。

 

山旅といえばテント泊ばかりをしてきたので、こうした食事、夜具のある一夜はこそばゆいほどの待遇である。

 

小屋そばのテント場にはテントが一張りある。

 

48歳の単独。

初の剱岳

アイゼン、ピッケル持参。

 

「こんなに重くなるとは思っていなかった」

 

と言っていた。

どんな思いで夜を過ごすのだろう・・・

 

下山者が続く

翌朝。

発電機のエンジン音が4時を教えてくれる。

 

同宿した男性が下山していく。

地元テレビ局のカメラマンのようで、昨日は残雪にはばまれて登頂をあきらめ、別件が下界で待っているのかもしれない。

 

外は細かい雨筋。冷たい。

 

迷う。

剱岳を越えるか、停滞するか。

 

小屋の二階から外を見ると、テントの男性が山頂方面へ出ていく。

 

6時。雨。

男性二人(一人はテントの人)が戻ってくる。

 

「ダメですか」
「ダメ、見えない。2600あたりで視界がダメ。雨とガスで」

 

静岡の男性、保健関係の女性二人は雨具を着込んで下山の支度をする。

 

「山は逃げていかない。天気ばかりはどうにもならない」 

 

男性は自分に言い含めているのだろうが、あと数時間のところにいながらの下山に心残りは激しいことだろう。

 

「9月に出直しますよ。今度は別山から早月尾根のルートで」

 

男性は小屋で買った2リットルの水に粉末のサプリを溶かし、

「明日は白山です」

 

と、エネルギッシュに下って行った。

保健関係の女性2人は、地元の名産だという黒糖を使ったショウガ菓子を下すったのち樹林の中へ消えていった。

 

テントの男性も下り、それでもまだ6時半前。

上部に張り付く残雪は手ごわそうだ。

 

軽アイゼンは用意してあるが、行くか、沈殿・・・天候回復を待つか?

 


(冷雨には逆らわずに停滞・・・)

 

天気予報や、外の冷えきった雨と霧と風の乱流などは、やめておけと告知している。

 

小屋まで来て引き返す登山者もいたが、結局二日間の沈殿ののち、22日になってようやく青空が巡ってきた。

 

(続く)

 

 

 

 

 

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは11年目(2026年4月現在)

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