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新しい旅へ 最終章

早月川の河口から剣岳へ⑦~剱岳に惹かれる人々

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早月川の河口から剣岳へ⑥~早月小屋の沈殿

山行データ2011年7月17日~22日。単独59歳。剣岳ののちは薬師岳、黒部五郎岳、西鎌尾根から槍ヶ岳、大キレット経由で北穂高岳から穂高連山、ジャンダルム、西穂高岳、焼岳から上高地へ下山後は徳本峠から ...

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山行データ

2011年7月17日~22日。単独59歳。剣岳ののちは薬師岳、黒部五郎岳、西鎌尾根から槍ヶ岳、大キレット経由で北穂高岳から穂高連山、ジャンダルム、西穂高岳、焼岳から上高地へ下山後は徳本峠から新島々へ終着した(8月6日)。すべて山小屋利用。

 

分厚い残雪の壁

夜半は星が広がっていたが、4時に朝食をとり5時半に早月小屋(2,200m)をでるときは、曇り気味の天候になっている。

 

二日間の沈殿と食事で体力に不安はなく、この先の残雪の多さを予想しながら雨具(上半身)、リュックにはカバーを着せる。

ゾクッとする冷ややかな大気が首筋や手首にからみ、熱夏の下界に直送してあげたくなる。

 

残雪を舐めながらガスが流れ、時にはパラパラと雨粒が落ちてくる。

ナナカマドなどは地に這うほど低い。

 

背後を振り返ったところで、富山平野から能登半島への陸地と富山湾の展望は、想像の中に描くしかない。

 

できるだけ夏道を拾いたい。

岩尾根と、それからはがれかけた雪壁との隙間を辿ることもあり、夏山と呼ぶのにためらう。


(岩壁と雪壁の間を夏道が縫う)

 

ときには鎖の助けを借りるのだが、右手の5メートルほどの雪壁の急登どうしを回避できそうにない所にやってきた。

足を滑らせたら真っ逆さまに雪面を滑り落ちるに違いない。

 

山頂の人たち

アイゼンの装着をと考えたが、ステップを確実に刻んでしのいだが、面倒でもアイゼンを使うべきだったと、改めてその雪面を見下ろして反省した。

 

心臓が波打つ。

早月尾根で有数の危険地帯なのかと思う。

 

そうして行く手を遮る岩々の遮蔽がなくなってきて、ヘルメットを着用した空身の高齢男性が、岩場の足元によろけながら目の前を別山尾根への下山ルートへ向かう。

 

―― 無事に下りきることができるだろうか。

 

と心配するうちに剱岳の山頂に着く、9時50分。小屋を出てから4時間余り。

 

重量感のある岩々が折り重なる山頂はそれなりに広く、数えると20人ほどがおしゃべりしたり、小さな祠を背に記念写真をとったりしている。

 


(登頂記念にワンショット)

 

70歳代かと見える高齢者、夫婦、若者グループなどだ。

わたしが着いてからほどなく早月尾根側からやってきた数人の若いグループは明るくおしゃべりがはずみ、金沢から日帰りがきている口ぶりだ。

あの危険な雪壁の話題はない。

 

―― 景色はあとでいい。とにかく休みたい。雨が降らないだけ、めっけもん。

 

そんな別の声も聞こえるが、現代の夏山では最高レベルの危険と難しさなのだが、老若男女に親しまれているのだと目に見せて諭してくれる。

白い雲が千切れると青空がまぶしい。

 

山頂を目指す人たち

急ぐ旅ではない。

晴れ渡った360度の大観を待つ。


(八ッ峰方面)

 

学生時代にテントを張った剣沢のテントサイトは足下にあるはず。

 

この先をゆく五色ヶ原薬師岳・・・などが南に波打っているはずだ、

・・・しかし、また雨模様になってきた。

 

 

雨具を着る間にも雨脚が強くなり、びしょびしょになってしまう。

12時半をしおに別山尾根への下山を始める。

 

気ぜわしく早足に下山する人があり、あとで聞くと遭難が発生し、救助活動に駆け付ける山岳救助隊員(富山県警)という。

 


(垂直なはしごを下る)

 

要所に鎖もはしごも設置されているが、転落は重大事故間違いなしの危険地帯である。

 

鎖もはしごもてかてかに濡れていて、滑って手から離れてしまいそうなので握る指先や足場に緊張が集中する。

 

それほどの危険なのに剱岳の人気のほどは、その日に泊まった山小屋(剣山荘)がいっぱいだったことでもわかる。

 

こぎれいな食堂では山ガールふうの中年女性4人がおつまみを並べて、快活にビールを流し込んでいた。

 

登るか、諦めるか

翌朝はよく晴れて小屋から往復1時間余りで一服剱といわれる小ピークを訪ねる。

山頂方向に、黒っぽい岩肌が荒々しく削られた前剱が、凶相を露にして本峰を背後に立ちふさがっていた。

 

―― 剱岳って、男前だとおもう。

 

昨日山頂で会った女性は、剱岳をこう表現していたが、男前の前に、何か形容詞を足したくなる。

ニヒルな?ストイックな?不器用な?無骨な?剛直な?

 

雲の割れ目に富山平野がのぞき、この山旅の出発地の早月川の河口のあたりをつける。

別山の祠で中高年夫婦と立ち話をする。


(別山付近からの剱岳は雲の中)

 

東京の方で、夫は職人(自営)とか。

 

―― 登山予定が優先で、仕事がきても受け付けない。

 

この二人も百名山完登を目指し、今回は雄山方面から足を伸ばし剱岳を加えたいと思う。

100座のうち32座めになる。

 

剱岳の岩場の危険と困難を予想してロープ(ザイル?)、カラビナも用意している。

 

―― 無理だったら帰ってくる。そうすると、百名山ではなく、99座になる。

 

別山から遠望する午後の剱岳の山頂部は、白く移動する雲がはれない。

白雲の中では多くの人たちが今この瞬間も登頂の達成感と感動を手に入れようとしているはずだ。

 

剱岳は今では大衆に開かれているが、立山曼荼羅の地獄の針の山、山頂で発見された錫杖が奈良時代にまでさかのぼる歴史、初登の栄誉を託された明治の測量登山など、歴史を紐解けば人臭さでいっぱいだ。

 

3千メートル峰全山踏破の第一の峰として、それに1メートル足りない剱岳を通る充実感は大きい。

 

 

(この項終わり)
*日本海と太平洋を3千メートル峰全山踏破でつなげる道程のうち、早月川から剱岳を経るルートも可能として紹介した。この先もわたしの経験の範囲で取り上げる予定。

 

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは11年目(2026年4月現在)

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