-
【第10章】聖岳から赤石岳⑤~聖岳から百間平へ写真で~
山行データ1999年7月31日―8月3日、46歳。単独。静岡駅からバス便。 畑薙ダム(終点)から歩く。茶臼岳から上河内岳を経て聖岳(3,013m)、兎岳から百間平、赤石岳(3,120m)を踏んで椹島へ ...
続きを見る
山行データ
畑薙ダム(終点)から歩く。茶臼岳から上河内岳を経て聖岳(3,013m)、兎岳から百間平、赤石岳(3,120m)を踏んで椹島へ下山。
聖岳は南アルプスで最後に踏む3,000m峰。
崩壊を続ける赤石岳・西斜面
百間平で縦走装備の単独の中高年男性と行き違います。
この先のテント適地について聞かれたので、昨日の水場の尾根を教えます。
とはいえ、まだ光が涼しく飛び跳ねる午前なので、楽に聖小屋のテント場まで到達できることでしょう。
百間平を離れると、足回りは3000m級の高山らしいハイマツの緑や剥き出しの赤褐色の岩石や砂利。
赤石岳山頂に迫る縦走路がせり上がります。
(百間平の平地が中央に)
芥子粒みたいに小さくなって、膝を先へ先へと繰り出します。
澄み渡る大気に赤石岳の北に伸びる尾根の西斜面に目を向けると、この山脈の生い立ち・素性が露わです。
伊那谷の天竜川に一気になだれ打つかのような崩落斜面です。
生皮を剥いだような痛々しさです。
大雨でも降ったら、相当量が滑り落ちていく危うい均衡に緊張感が張り詰めています。
この山塊を造形した地球内部の、ケタ違いのエネルギーを想像します。
地中深くの無機質な運動は、不気味なほどに今のこの一瞬にも続いているはずです。
その活動は南アルプスのみならず、黄色いイオウ臭の蒸気をはき続ける北アルプス・立山の室堂の地獄谷、上高地・河童橋から見る焼岳などで目にしたことです。
百間平は大地の演舞場
荒川岳方面の荒廃斜面を背に振り返ると百間平が、まるでちゃぶ台のようにちょこんとしているのを眼下にします。
周囲を谷で仕切ったステージのようでもある。
神々が寄り集う場があるのなら、ここは衆議の広場にうってつけです。
舞い踊るのにもうってつけです。
出雲大社に年に一度、あちこちから神々が参集するように?
乗鞍岳山頂の南の足下に高天ヶ原という丸みを帯びた台地があり、台風明けの朝にその上空で絹のような雲霧が乱舞するのを後に目にしましたが、そうした営みは百間平にもふさわしい。
繰り返しますが、南アの平地・高原は小さい。
先に通過した大聖寺平(赤石岳から北)なども、エッ、これが?というほどでした。
百間平は南アでは希少な広やかさなのです。
(仰向けに休む登山者たちのそばを抜ける)
もう少し高度を稼ぐと、登山道周辺に登山者がゴロゴロと寝転がっています。
数えると8人。
全員が男性のようで、リュックを放り出しています。
甲羅干しではなく、お腹干し?
昨夜は酒宴を過ごした? テント縦走あるある!ですよ。
寝そべる昼前のひととき
くつろぎのあとで体を起こせば、目と鼻の先の低いところに、百間平の広がりを見晴らすことでしょう。
ごつい稜線ばかりの山中に、こうしてまろやかな台地を目にすることに、どことなく安息を感じることでしょう。
どういう人たちなのか、どこへ行くのか、興味はつきませんが、赤石岳の山頂に背を預けた贅沢、粋な休息です。
(赤石岳山頂にガスがせり上がってくる)
椹島を起点とする聖岳~赤石岳は一般コースとして紹介されています。
しかし、体力を必要とする「元気者向けのコース」なのだと思います。
夏山ハイシーズンでもさほどの混雑はないでしょう。
山小屋を頼れますが、テント縦走はまた格別な小躍りするときめきがあります。
「山頂まで30分」
という標識をへて山頂。
11時15分ごろ。
時間、天候悪化の心配はなし。
裸足になって足を開放してやり、白っぽくふやけた指を曲げたりそらしたりして自由にさせます。
この足には、まだまだ働いてもらわねば。
気の早いチングルマはすでに花を咲かせおえ、金色のまつげのような綿毛をたくさん風になびかせています。
ガスで火をおこし、ラーメンで昼食。
歩いている間は軽く飴やお菓子を口にしますが、時間の余裕があるので炊事。
「日の丸ラーメン」と「アタック」
今日はワカメ入りですが、生卵を入れるのに凝った時期があります。
すぐに思いさせるのは、初夏の日高山脈・楽古岳(1471m)の山頂。シャクナゲが咲く初夏のことです。
遠い記憶ですが、女性初のエベレスト登頂(1975年)の人となった田部井淳子さん(故人)が、現地で生卵の入ったラーメンを「日の丸ラーメン」と呼んだという報道が気に入り真似したのです。
8000m級の登山の中では、とても貴重な食品です。
わたしが札幌在住のとき、デパートでエベレスト展があり、縁があって田部井さんに「日の丸ラーメンの味はどうでしたか?」と聞きましたが、エッ、それ何かしら?という表情だった思い出にさかのぼります。
さて山頂から西に中央アルプスと向かいあい、二つのアルプスの間に伊那谷が横の長く見渡せます。
静岡側から入山した赤石岳ですが、日々目にすることが「ふるさとの山」と言わしめる要素だとすれば、赤石岳はむしろ伊那谷の人々にこそ親和感があるように思います。
(ここから左に椹島へ下る)
熱々のラーメンを汁の一滴まで胃袋に納めて下ると、登山道は椹島へ下るT字になっていて数人がいます。
やや太り気味の60歳代くらいの女性との会話で、「これくらいなら、それほどのこともなくアタックできる・・・」と言います。
アタックという言葉がお気に入りのようで、その後も繰り返します。
わたしは胸の中で「アタックですか・・・」とブツブツ言っています。
田部井さんたちのエベレスト登頂ならともかくと思いながら、椹島へ急角度で下って行く長い尾根をとります。
地図には赤石尾根(大倉尾根)とあります。
-
-
【第10章】聖岳から赤石岳⑦~大倉喜八郎の赤石岳~
大倉喜八郎:明治~昭和の実業家。大成建設や帝国ホテル、サッポロビール、東京経済大学などの創設者。現在の南アルプスの大井川周辺の山域の森林資源の開発も手がけ、赤石岳の頂きを大正15年8月踏 ...
続きを見る