山行データ
梅雨明けのスカッとした空を願う
九州に大雨があり、台風7号が沖縄から朝鮮半島に北上する気配。
昼のニュースは関東甲信越地方などで梅雨明けしたとみられると報じている。
それが東京を出た17日のことで、さらに一日さかのぼった16日の夕方は富士山がくっきりと遠望できた。
梅雨明けの好天に恵まれながら、富山湾の早月川河口を発てれるのではないかと、期待は高まる。
17日の午後の越後湯沢あたりは濃い緑色に染まる水田が、育ち盛りのコメの勢いを感じさせていた。
空には使い古しの綿をちぎって投げ捨てたような雲が散っていて、青空はほんの申し訳程度にしかない。
(夜明け直前の早月川河口。奥は魚津方面)
日本海側に移動するにつれていっそう気がかりなのはやはり空模様、車窓に並行する日本海の表情だ。
梅雨が明けたからといって、剣岳を初峰とする上高地までの長い旅(小屋泊り)の間に荒天に見舞われないという証文にはならない。
魚津の平凡な、平和な日常
魚津近くの富山平野には、水田の中の道を行く白い制服と紺色のスカートをはいた女学生の3人や、自転車を走らせる男子学生などを車窓から見やる。
数時間前までの東京での肩と肩を接するばかりの緊張感がなく、のびやかな距離感や緩さが心地よい。
刻々と過ぎていく何気ない点景とは、いったん入山してしまうとしばらく縁がなくなる。
山歩きというのは、日常の枠をはみ出すことなのだと思わないではいられない。
魚津に着くと、まず翌18日の段取りをする。
ビジネスホテルを確保し、次はタクシー会社と交渉し、午前4時にホテルに迎えに来てもらう。
そうすれば、夜明けごろに早月川河口から歩き出せる。
河口でタクシーを降り、タクシーにはそのまま大型リュックを馬場島の馬場島荘に運んでもらう。
(早月川河口から西の富山~氷見方面)
馬場島荘で宿泊(食事つき)する。
段取りを終え、日没前の海辺を散歩する。
穏やかな海面は傾きかけている太陽の光を斜めに受けて、鈍く発光している。
段々になった長いコンクリートの海岸があり、打ち寄せられた紫色の海草が波打ち際で波になぶられてぐったりとしている。
立派な海岸沿いの道をジョギングする人もいれば、犬と散歩する人もいる。
背後の北アルプスが望めるほど大気は清澄ではない。
明日の天気はどうだろうと思う。
夜の漁から帰港する漁船
無人のホテルの受付にキーを置き、建物の外でタクシーにのる。
18日午前4時。
青みがかかって薄暗い市街にヘッドライトの白っぽい明りが伸びて街並みの形が現れる。
まだ寝静まっている時間だというのに、猫が一匹うろつき、散歩をする人も見かける。
とはいえ、全体は静けさに包まれている。
一般道を右折して海に出合えば河口である。
大小の石が無造作に入り混じっていて無機質である。
打ち寄せる波と直角にぶつかる川の流れは、海岸に並行するように方向転換を強いられている。
右手遠くにぼんやりとともる明りは漁港のあかしだ。
そこに吸い寄せられるように接近していくのは、小型漁船だ。
船体の輪郭がぼんやりと見て取れる。
(曇りがちな空の下を歩き出す)
富山湾といえば、素晴らしく新鮮な海産物が自慢だ。
名物のホタルイカは春先の漁期が終わっている。
わたしが富山県に住んでいた20年前(2011年からさかのぼり)、とろりと甘いイカや脂ののったブリの刺身などの美味に感動したものだ。
今は何が旬なのだろう。
朝陽にきらめく河口の異物
歩き始める前に、はだしになって浅瀬に入り、手、顔を洗う。
冷たいというよりはヒンヤリというくらいの、ほどよい肌触り。
学生時代にウエストン祭の6月初めの日に、上高地の梓川にはだしで膝近くまでつかって、あまりの冷たさに震え上がったことがあるが、そういう冷たさではない。
さっぱりとした気分で第一歩を踏み出したいとは思う。
かつて親不知の海、駿河湾の海でもそうしたように。
左岸に沿って、パンや水筒を入れた小さなリュックを背に歩き出す。
夜明けが近く大気が明るくなっていく。と、左手に長く細い草群れの向こうに、きらきらと輝く宝石のようなものがいくつも目に飛び込んでくる。
なんと美しいきらめきだろう。
(富山湾に注ごうとする早月川のきらめき)
河口に何か特別な自然の営みがあるのかと、ときめく。
近づくと、期待は一瞬にして失望に変わった。
正体は透明な空ペットボトル。
いくつも傾いて水面に浮かび、おりからの朝の光を受けて輝いているのだった。
一つや二つではない。
地獄も浄土も曼荼羅に包括する立山信仰(曼荼羅)で、剣岳は林立する鋭い岩峰からこの世にある地獄の針の山、あるいは不動明王の剣に見立てられる。
畏怖する心情から仰がれてきた歴史がある。
そのような剣岳に発する早月川の河口で、ペットボトルがぷかぷかと輝くのは無粋、悪趣味であろう。
打ち寄せる波が海への侵入を拒むかのように立ちはだかり、ペットボトルは溜池のようなところに、行き場に困ったようにして浮いている。
ものいわぬ剣岳にかわって、一太刀をふるって先に進む。
(道沿いに見たあおいクルミの房。秋には熟し落果する)
(写真はいずれも2012年7月)
(続く)