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登山余話 登山記録

【登山余話20】中央アルプス・空木岳へテント旅㊤

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上高地
【登山余話19】西穂独標で落雷、大惨事~1967年8月~

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山行データ

2022年9月3~5日。69歳。名古屋をクルマで出て、ロープウェイで千畳敷(2600m)から入山。桧尾岳(2728m)の新設テント場、空木岳(2864m)を踏んで空木岳避難小屋泊。3日目は池山尾根から駒ヶ根スキー場へ下山。単独。69歳。

 

極楽平の幻想の展望

千畳敷のカール壁面を登り終え尾根の極楽平に出ると、木曽谷、伊那谷を西と東に振り分け、尾根のすぐ北に宝剣岳(2931m)の荒々しい岩峰が、南には初めて訪ねようとしている空木岳などの山並みが広がっています。

 

けれど、それは霧雨の中に描く幻想の展望です。

おっ、晴れる兆しか。

 

極楽平の道標で一服していると、一瞬にして頭上が明るくなり乏しい陽光ですらあたたかい。

しかし数秒後には、また霧雨です。


(宝剣岳山頂から南の山々が広がる=2021年)

 

千畳敷のロープウェイ駅も、すっかり深い雨雲の海の底です。

駅周辺を散歩する観光客から離れ、ずっと傘をさしてきました。

白い花盛りから銀色の羽毛ばかりになっているチングルマの群落に、山の秋の兆しをみます。

 

――歩こうか、出直そうか。

 

夜明けをまたいで4時間近く、雨の中央高速道路駒ヶ岳SA駐車場の車内で待機した末、千畳敷まで来て歩こうと決めたのです。

 

空木岳へのいざない

ライチョウの姿が再び見られるようになったことが、中央アルプスではここ数年の大きな話題です。

 

昨年(2021年)夏、西駒山荘に2泊して新田次郎小説『聖職の碑』(山の本棚2参照)の遭難現場を訪ねたとき、木曽駒ヶ岳(2956m)の頂上近くの斜面に、復活活動のための保護ゲージを目にしました。

 

参考【山の本棚2】新田次郎の世界①

    兄弟小説 『孤高の人』に勢いを得たかのように、新田次郎は続いて現役の登山家・芳野満彦(1931-2012)モデルに、『栄光の岩壁』(新潮文庫上・下)を書きあげます。 若い日 ...

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天候に恵まれた昨年はまた、宝剣岳山頂から南方に夏雲を空にいただく峰々を遠望したとき、そちらへの引き寄せられる感覚がわきました。

 

日本アルプスの3山脈のうち、中アの山行が少ないのです。


(木曽駒ヶ岳、宝剣岳から空木岳へ)

 

事始めは学生時代の夏。

友人と宝剣岳木曽駒を経て桂木塲(伊那市)へ下山。

 

その30年後になって、このブログのテーマである3000m峰縦断のコース取りに、木曽福島駅からの木曽駒越え、桂木場へ下山(第2章参照)。

 

そして昨年の山行。

北ア西穂高岳(独標)(余話19参照)をお盆に訪ねあと、今日から空木岳へのテント旅です。

 

 

空木岳

 

 

左右対称の安定した漢字で書かれ、声に出して読むと響きがよく、清潔な雰囲気がいい。

 

台風接近と新設の桧尾岳・テント場

台風11号の動きが気がかりですが、好天の見込みが背中を押します。

下山口のスキー場駐車場(3段)に乗り付けると、すでに20台以上の乗用車が並んでいました。


(霧雨の極楽平は無人。展望もない)

 

池山尾根からまっしぐらに往復するか、わたしのように千畳敷から空木岳を踏んで、ここにおりてくるのでしょう。

 

今日は桧尾岳の新設テント場までです。

 

中アのテント場は木曽駒近くの一ヶ所だけだったので、テント派のわたしにはうれしい。

 

天気がよければ早くから歩き始め宝剣岳を経由するつもりでしたが、この雨模様でコースを変更。


(宝剣岳を経るルートは断念=写真は2021年)

 

11時15分にロープウェイ駅を出て、正午の今、極楽平にいます。

 

桧尾岳までに、島田娘ノ頭というかわいらしい名を持つピークを越え、次に濁川大峰という面白い名のピークがあります。

 

それぞれに腰を下ろしてのんびりしたいのですが、弱いとはいえ雨霧が木曽側から四六時中吹いてくるので、できる限り濡れないことに専念します。

 

 

ライチョウの姿はなく、ハトくらいの大きさの白黒のホシガラスがハイマツの幹の先端にとまりマツボックリをついばんでいます。

 

午後1時過ぎに登り返す男性と出会う。

30歳代か。


(行き交ったのはこの単独行者だけ)

 

前夜は空木避難小屋で1人だけだったそう。

黒っぽい身繕いでリュックも大きく、登る足取りは堅固で力強い。

 

にぎわうテント場の夜は、雨と雷鳴

桧尾岳の山頂から西へ急坂を下ると、ガスの中に人声だけが聞こえ、霧雨が薄れるとテントが数張り見えます。

 

整然と区割りされたテント場は初々しい。

 

3時過ぎ。

わたしを先行したテント派です。

先ほどの単独行者といい、羨ましい健脚です。

 

学生風に若い人や、職場の仲間か、テント泊の実習ふうの会話など、年齢もまちまちのようです。


(霧雨の中からテントがのぞいた)

 

小屋で指定された設営地点は、わたしくらいの年齢の単独の男性の隣です。

テント口を開いて火器を使っています。

 

「隣にお邪魔します」

 

「千畳敷から?」

「ええ、ギリギリまで天気をにらんで車内で思案していました」

 

「同じですね。この雨ですから。明日は?」

「空木岳の避難小屋にしようかと」

 

「あの、幽霊が出るという?」

「さぁ、どうでしょう。夕べ単独で利用した人に会いましたが、何にも言っていませんでしたよ」

 

「わたしは明日のうちに、池山尾根から下山します」

「えぇ?下ってしまうのですか」


一瞬の晴れ間に桧尾小屋が尾根に見えた。水場は小屋の反対側へ3,4分)

 

雨足が急に強くなり、わたしは大急ぎでテントを設営し終え荷物を中に放り込み、隣人もテントのジッパーを閉じます。

 

その夜は雨が激しくなるときもあり、雷が峰走りに轟きました。

明日の天気が気がかりです。

 

好天なら、自分も一気に駒ヶ根まで下るか?

コースタイムだけを見れば、できなくもないか・・・。

 

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【登山余話21】中央アルプス・空木岳へテント旅㊦

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは9年目(2024年4月現在)

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