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南アルプス 登山記録 第10章[聖岳-赤石岳]

【第10章】聖岳から赤石岳⑧~山との出会い、崩れる林道~

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【第10章】聖岳から赤石岳⑦~大倉喜八郎の赤石岳~

  大倉喜八郎:明治~昭和の実業家。大成建設や帝国ホテル、サッポロビール、東京経済大学などの創設者。現在の南アルプスの大井川周辺の山域の森林資源の開発も手がけ、赤石岳の頂きを大正15年8月踏 ...

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山行データ

山行データ:1999年7月31日―8月3日、46歳。単独。静岡駅からバス便。畑薙ダム(終点)から歩く。茶臼岳から上河内岳を経て聖岳(3013m)、兎岳から百間平、赤石岳(3120m)を踏んで椹島へ下山。聖岳は南アルプスで最後に踏む3000m峰。

 

長大な赤石東尾根は

大倉喜八郎のにぎにぎしい赤石岳山遊は100年も前の椿事として、この先も箸休めみたいにして語られるのでしょうが、ここ数年というもの、山歩きは新型コロナウイルス蔓延によって、宿泊数を半分にするなど著しく制限がかかってきました。

 


(赤石岳山頂から小赤石岳をスケッチする)

 

今年(2023年)は5月8日以降、コロナの感染症の位置づけが変わり、わたしたちがふだん罹るウイルス感染の一種になります。

 

先だって世界保健機関(WHO)は世界に向けて出していたコロナの緊急事態宣言をやめました。

 

マスク着用などに神経を使わなくてよくなり、コロナ以前の生活風景が戻れば、南アルプスでも赤石小屋などにも賑わいが戻ることでしょう。

 

さて、24年前の1999年夏のわたしの赤石岳からの下山は、ひたすらに長い尾根。

 

「下りでよかった。登るのは・・・」

 

と思わせる一つです。

 

日本アルプスというしばりで、個人的な体験から長さ・急傾斜・高度差を基準に「三大尾根」をあげるなら、早月尾根(剣岳)、黒戸尾根(甲斐駒ヶ岳)はまず確定。

 

あと一つ・・・赤石東尾根は有力候補に入れたい。

 

地蔵尾根(仙丈ヶ岳)もきつい(下山に利用)。

 

北アルプス裏銀座烏帽子岳へ取り付くブナ立尾根は厳しさで知られるけれど、体力のあった30歳代の初登で大人数だったせいか、覚悟したほどではなかったモノです。

 

下山の目線で振り返れば

さて、中高年でいっぱいの赤石小屋で一泊後、早朝に出発し椹島までの長い下り尾根に膝がぎしぎしいい始めますが、すれ違い登っていく人たちは一心不乱といったエネルギーを発しています。

 


(赤石小屋の朝。中高年が元気だ)

 

あえぎながら一歩ずつを踏みしめて登っていく姿に敬服します。

重荷を背負い重力に逆らって黙々と足を踏み出し、噴き出す汗を拭いながら高みへ身を持ち上げる山歩きとは何と因果なふるまいなのでしょう。

 

「何だってわざわざしんどいことをするわけ?」

 

山歩きなにまったく関心を示さない学生時代の友人の言ですが、価値観の違いは(趣味の違い?)埋めようもありません。

埋める必要のある溝でもありません。

 

数日の3000m級の山々から再び下界へ通じる一本の森林を縫う小道。

 

夏のぎらつく日差しは頭上の枝葉が柔らかにいなしてくれます。

 

嵐のような風雨であっても、森林は素晴らしくわたしたちを包んでくれます。

 

別の山旅で3000m級の尾根で大嵐に遭ったのですが、森林の中を歩いていると、荒れ狂う海に底に繁る海藻の中に身を潜める小魚を自分に感じたものです。

 

山の自然は、まるで全身脱力のようにわたしたちの気ままを受け入れるかと思えば、敵意剥き出しに襲いかかるような時もあるのです。

 

幼い日の登山

たまに就学年齢くらいの子を伴った親子に出会います。

グズグズと泣きの入る子もいれば、淡々とせっせと歩く子もいます


(深い森の中の長い下山路を下る)

 

どちらも親心があっての、小さなリュックを背負う山道です。

 

赤石岳の山旅は長く忍耐を強いるので、なにかしらを胸の中にきっと刻印することでしょう。

 

濃尾平野の真ん中で育ったわたしにはこういう幼児期の山歩き経験は皆無でしたが、高校2年の夏休みに友人たちと信州旅行をし、他人任せの日程の中で雨の美ヶ原を横断し、蓼科山山頂に立って大きな山岳展望を経験したことが、わたしと高山との最初の接点。

 

信州の山岳自然に惹かれる芽生えでした。

やがて日本アルプスへと目が向いていくのですから、大不思議な縁です。

 

大自然は教科書も持たず言葉も発しない引率者のようなものです。

 

崩壊斜面と大自然の時間

大自然を引率者に見立てるなら、南アルプス大井川に沿う林道の有り様は自然のテキストそのものです。

 

大井川右岸に開けた椹島からマイクロバスで、畑薙ダムへ向けて崖沿いのガタガタ道を下っていくとバスが止まります。

 

前方が何やら慌ただしい。

下車して歩いてくれと。

 

岩や土砂が林道に盛り上がっています。

 

崖崩れの土砂が林道を塞ぎ、バスは通過不可。


(土砂崩れでバスは通せんぼ)

 

もろい地質の、険しい川沿いに掘削された林道なのです。

 

道が塞がれたというのに、さほどの緊張感がないのは、よくある出来事のせいでしょうか。

 

大雨の中で進むに進めず、後退するのに余裕がないというのなら、命の危機があるわけですから事態はまったく異なります。

 

振り返ってこの数日、土砂崩れを誘導するような大雨はないのですが、フォッサマグナ中央構造線が交錯するもろい地質の内部から、自然はこうして絶えずバランスをとっているのです。


(崩壊地を振り返る)

 

幾分の緊張で土砂崩れの場所を過ぎてから振り返っても、赤石岳がどのあたりなのか見当がつきません。

南アルプスの大きさ、その土台となる自然の長大な時空、この山旅のおわりを思わないではいられません。

 

***

 

日本海から太平洋まですべての3000m峰を歩きつなぐというこのブログですが、今度の山行によって北アルプス~南アルプスをつなぎきったことになります。

 

残るのは富士山越え~太平洋です。

 

次章は椹島から転付峠を越えて富士山を目指します。

 

 

(この項終わり)

 

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは8年目(2023年4月現在)

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