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南アルプス 登山記録

【第8章】北岳から大井川源流、農鳥岳①~初めての南アルプスへ~

 

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間ノ岳
【第7章】南アルプス越え⑥~馬鹿(バカ)尾根から野呂川、北岳~

    山行データ2005年7月26日~30日、53歳。 単独。伊那市・高遠から入山。戸台の山荘泊の後、戸台川から仙丈ヶ岳、通称バカ尾根から野呂川・両俣に下り、北岳へ登り返し広河原 ...

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山行データ

1997年7月19日~21日、45歳。単独。
山梨側の広河原から入山。北岳から間ノ岳、三峰岳、大井川源流、農鳥岳から奈良井へ下山。
北岳肩ノ小屋、農鳥山荘で宿泊。
3000m峰は北岳(3,193)、間ノ岳(3,190)、西農鳥岳(3,051)の三座。

 

 

北岳へ、夜中の甲府駅で飛び降りる

堅いエナメル質の床と接する肩や腰が冷えてこわばっています。

 

車内の軽い高揚感のある会話を聞きながらリュックに頭をあずけて横になり、新聞紙を顔にのせて明かりを避けているうちに、何度か眠り何度か目を覚まします。

 

今また目が覚めたのは、北岳登山を目指す列車が停車したまま、わたしの体をいくつもの足がまたぎながら人の声が一緒に出ていく気配のせいです。

北岳・仙丈ヶ岳から
(北岳から間ノ岳を仙丈ヶ岳から展望する=左から)

 

日が変わろうという時刻に新宿駅を出た信州方面の登山列車は、それらしい身繕いの人たちで賑わっています。

 

最初からその覚悟でしたが、ドア入り口あたりを根城に甲府駅までを過ごすつもりでした。

 

(どこなのだろう?)

 

新聞紙をはがし、明かりがともるホームに目を泳がせます。

 

甲府

 

標識を目にした途端、叫び声こそ上げませんが、ここを乗り過ごすわけにはいきません。

 

軽いリュック一つの荷を幸いに、転げるようにしてホームに飛び降ります。

 

南アルプスが最寄りの山に

学生の頃の夜行列車の旅のようして、初の南アルプスの山旅が始まりました。

 

転勤で北陸から東京へ異動していたのです。

 

「住んだところから近い山でいい」

 

というスタイルですので、東京からの3,000メートル峰となると、南アルプスが一番身近になります。

 

すでに転勤早々の春には、東京の最高峰の雲取山を訪ねています。

 

北アルプスと高峰を競う南アルプスは学生のころから気になる山脈でした。

 

ことに南アルプススーパー林道建設に伴う環境破壊の報道には、痛々しい思いがありました。

カール・甲斐駒ヶ岳
(仙丈ヶ岳から北斜面のカール、スーパー林道利用で入山できる)

 

美ヶ原~霧ヶ峰の高原観光道路ビーナスライン建設が環境破壊だとして反対運動が盛んな頃(1970年代前半)と重なっていました。

 

北海道北陸を経て、期せずして南アルプスを歩ける状況がきたのです。

 

甲府駅からバスに乗り、暗い市中を抜けて北岳登山の拠点・広河原へ運ばれるのです。

 

時は、前章(戸台~仙丈ヶ岳~北岳~広河原)からさかのぼること8年前になります。

 

南アルプス事始めとなる今回の山旅。

 

新型コロナウィルスの蔓延に右往左往する今(2021年)から四半世紀前となる1997年周辺と山岳を取り巻く世の中を振り返っておきます。

 

阪神大震災、オウム真理教の地下鉄サリン事件は1995年。

 

自然災害、人災が渾然として社会不安をかき立てます。

 

1997年、山はすでに中高年でいっぱい

山岳に目を移せば、さすがに「山ガール」は登場していませんが、「中高年の登山ブーム」は定着しています。

 

例えば1996年9月12日『読売新聞』はブームの現状を見開きで報告し、ブームの根に深田久弥の随筆『日本百名山』の影響を添えている。

 

ただし、記事は百名山コレクション礼賛ではなく、山歩きの多彩な楽しみ方を指摘します。

 

一方で、百名山を完登した愛好家が、しばしば新聞記事などに登場します。

 

30年がかり、あるいは35年がかりという付加価値も見えます。

 

中高年は遭難でも目につきます。

 

1996年10月に、「67歳が衰弱死 槍ヶ岳」「常念岳では71 歳滑落死」「千葉・鋸山では66歳、転落死亡」の3件が同じ紙面にあります。

 

確かに中高年、特に高年者の山歩きへの傾倒は執着と危険の同居と言い換えたいほどのことがあります。

 

北陸時代のことですが、9月下旬の奥黒部3泊4日の山旅(30人ほどのツアー)に参加したことがあります。

高天原~水晶岳~双六岳(雨天で頂上回避)~新穂高温泉というコースです。

ほぼ9割は中高年というところでした。

テント場
(にぎわう南アルプス・北沢峠のキャンプ場)

 

水晶小屋あたりから雨がひどくなり、暴風の夜に三俣山荘の梁がギィギィきしむ夜が明け、濃霧の雨中を下山するとき、高齢の女性が急坂を走る流れの中で頭から転倒しました。

 

幸いけがらしいけがもなかったというのですが、引率していた男性は、肝を冷やしたと振り返っていたものです。

 

足下の滑りやすさもあるのでしょうが、やはり年齢相応に足腰が衰えてきているのです。

 

中高年の事故は減らず?

1996年は中高年の遭難が際立ち、97年正月の雑誌『山と渓谷』は、「緊急特集 中高年の山と遭難」を組んでいます。

 

遭難(騒ぎ)事例を出しながら、中高年登山の問題点、安全登山への心構え(体力トレーニングも含め)を求めます。

 

別項では北アルプスを管轄する岐阜・富山・長野県警の山岳救助担当者の救助経験談や安全登山への願いが語られます。

 

わたしの南アルプスデビューの97年夏の直後の9月初めには、雨の東北鳥海山(2,237m)で72、70歳の姉妹が死亡。

 

寒冷前線が迫る雨の中、山頂を目指していました。

 

その下旬には福島県安達太良山(1,700m)で14人パーティ(49~64歳)が、危険を告知する看板もある地帯を歩き、火山ガスを吸って4人が亡くなっています。

中央アルプス
(南アルプス中腹から中央アルプス。ケーブルカーで主峰・駒ヶ岳直下まで行ける)

 

このブログの山歩きでも、北穂高岳でわたしのテントに「泊めて欲しい」と飛び込んできた中高年男性2人がいました。

 

今でも無知・無鉄砲・無恥・無責任ぶりを思い出します。(過去記事『雨の訪問者』参考

 

移動手段や山岳道路が整備され、簡単に3,000メートル峰に接近できる時代、山岳事故はなおのこと起きやすくなっていますが、最大限の安全手段はとれます。

 

とはいえ、雨の訪問者やその後の山での見聞や実態を踏まえれば、登山ブームを引っ張る中高年登山が抱える課題は、ほとんど克服できないままのようです。

 

【第11章】南アルプスから富士山、田子の浦へ㊥-3~雨の富士山麓~

山行データ2006年7月22日―23日、53歳。単独。本栖湖までバス便。冨士浅間神社から廃れた旧道を経て山頂を踏み、太平洋の田子ノ浦の潮まで踏破する計画だが、今回はかつての登山口である冨士浅間神社まで ...

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは8年目(2023年4月現在)

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