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登山余話 登山記録

【登山余話13】中央アルプス・西駒山荘に泊まる~㊤大正2年遭難ルートと学校登山

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展望
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山行データ

2021年7月19日-24日、68歳。夫婦歩き。名古屋から中央道経由、長野県伊那市桂木場(1,243m)から入山。
西駒山荘(2,684m)に二泊。小説『聖職の碑』の遭難記念碑再訪、濃ヶ池から宝剣岳(2,931m)、木曽駒ヶ岳(2,956m)周遊。コロナ蔓延二度目の夏山、下界では開催の賛否入り交じる中で東京五輪開会。

 

古道を辿り西駒山荘へ

木曽駒ヶ岳への登路にある西駒山荘はずっと気がかりな山小屋でした。

伊那谷北部の伊那市あたりでは木曽駒ヶ岳とはいわず西駒です。

 

東駒南アルプス・甲斐駒ヶ岳のこと。

ふたつの駒ヶ岳を東西に振り分けます。

 

「西駒山荘」の命名は、伊那地方の文化の反映です。

文化とは、今に伝わる学校登山の営みをさします。

 

木曽駒近くまでロープウェイ(2612m)が架設されるまで、西駒山荘を経るのが伊那側からのメインルートでした。

桂木場
(歴史ある登山口の桂木場。クルマはここまで)

 

このルートは過去二度、ともに下りで利用していますが、今度は西駒山荘に泊まってじっくり周遊します。第2章中央アルプスを越える③~避難小屋について~参照

 

まず、この山荘が建設されたきっかけになった大正2年の学校登山の遭難記念碑を再訪したい。

次に木曽駒山頂からの下山で、尾根から右手に見下ろしただけの濃ヶ池から宝剣岳、駒ヶ岳を経る未知の道を歩いてみたい。

 

朝の3時に自宅を出て、信州大学農学部の演習林の研修施設から少し先に駐車。6時半から出発。

 

京都ナンバーの乗用車など数台。

駐車場ではない山際に寄せた駐車もあり、前日の日曜日には随分混み、ようやく駐車したのでしょう。

馬返し
(かつてここまで馬がやってきたのだという)

 

森の中の静寂、古い地名

頭上を覆う森はまぶしい夏の日差しを和らげ、あちこちからホトトギスの鳴き声が渡ります。

いい水場もあり、馬返し野田場などの地名、津島神社など、この登山道の長い歴史をしのび、ダケカンバやナナカマドなど高山への接近を教えてくれる木々に励まされて西駒山荘に着きます。


(西駒山荘を南から。右手から桂木場からの登山道)

ここからは天竜川を挟んで開ける伊那谷の市街や農地などを伸びやかに見やります。

と同時に西駒山荘が、ダケカンバの森林が途切れ、ハイマツの高山帯が広がる境界に建っていることに気づきます。

 

一般的な桂木場~西駒山荘の歩行時間は4時間30分(休憩はのぞく)。

 

木曽駒まではさらに2時間ですので、健脚なら軽身の日帰りも可能です。

 

登山行程から見ると中途半端な位置ですが、それこそが、西駒山荘の存在理由です。

 

快晴に恵まれ、少し休憩してから近くの遭難記念碑を訪ねます。

新田次郎の小説『聖職の碑』に描かれた大正2年8月26日、麓の中箕輪尋常高等学校(現在の中学生の年代)の生徒が参加する学校登山の記念碑です。

 

山頂で暴風雨に見舞われ、37人の登山隊がバラバラになり11人が命を落としました。

記念碑は大小の花崗岩がハイマツのあいだに散る中に、ひときわ目立って大きい。

 

 

巨岩の遭難碑記念碑は木曽駒と向き合う

左右幅は7~8mほど、高さ4mはあろう。

やや反り返るようなごつごつした平面に、強く碑文が刻まれています。

碑・正面
(遭難記念碑を正面から=中央の巨石。右の石は近年置かれ碑文の写しが刻まれている)

亡くなった生徒らの名、設置者である上伊那郡教育会の名。

碑文は真正面に遭難現場である木曽駒から宝剣岳への峰々が並び、まるで真っ向からまみえるかのようです。

 

周囲の岩石を見渡しても、この巨岩に勝る風格はありません。

これだけの巨石を運ぶことはありえません。

遭難の事実を末永く記憶に刻みこむのに、自然の条件を生かしています。

碑・裏から
(記念碑の背後から。正面に木曽駒など、生徒たちが落命した現場)

西駒山荘はこの悲劇を教訓に、ルート上の避難施設として設けられた経緯があります。

 

西駒山荘で休憩中、70歳代を見える夫婦と出会いました。

桂木場にあった京都ナンバーのクルマの所有者。

 

2人は桂木場からタクシー、鉄道、バス、ロープウェイで駒ヶ根方面から入山。

そこから一日で桂木場まで歩く予定でした。

 

しかし、西駒山荘まで歩いて消耗してしまい、山荘に緊急宿泊するというのです。

 

遭難者の彷徨

下山後に小説を何年かぶりに開いて驚いたのですが、二日目にわたしたちが歩いた濃ヶ池~駒飼の池~中岳は、遭難者が次々に倒れた道筋だったのです。

濃ヶ池
(濃ヶ池は静けさの中にある。奥に宝剣岳)

 

『聖職の碑』の地図に添え書き_
(小説『聖職の碑』掲載の遭難者発見地点の地図に、3ヶ所の地名を加えた)

それとは知らず、濃ヶ池を過ぎて少し開けた足下にクロユリの小群落を見つけ、思わず声が出ました。

 

この山旅は西駒山荘付近の砂地でコマクサの再生が進んでいたのが印象深いのですが、クロユリには何か特別なうれしさがあります。

登山道に沿ってせいぜい3mくらい、株にしても30株くらい。

雪渓
(一つ目の雪渓を渡る。15mほど)

右手斜面から伸びる二つの小雪渓を慎重に渡り、やがて垂直気味の斜面を登り切ると駒飼ノ池の端です。

池を囲む壁面が高くそびえます。

 

駒飼ノ池からすがすがしい小川がせせらぎ、冷水に喉を鳴らし軽く食事をとります。

壁面を登りきると登山者があふれかえります。ロープウェイ利用者です。

 

明らかに中学生ふうの団体が、おそろいの青い体育服を着てざっざっとやってきます。

聞けば、地元(箕輪町)の中学2年生といいます。


(学校登山の中学生が山小屋前で休む)

すごい人数です。

木曽駒の山頂を踏んで下山していきます。

 

コロナウイルス予防、変わりやすい山の天気、標高3,000mでの体調維持など気遣いは多いでしょうが、先生とおぼしき方らが引率しています。

学校登山です。

 

今日は天気も申し分なく一番やさしく安全なルートです。


(ロープウェイの終点駅舎。ここから3時間で木曽駒山頂に着く=宝剣岳山頂から)

わたしたちと交差すると、口々に「こんにちは!」と屈託なく声をかけてくれる中学生ですが、いつの日か桂木場から古道をたどり、100年も前の遭難とつながる現在を見聞してもらいたい思いがあります。

 

偶然ですが、かれらは、あの惨事の生徒らの後輩にあたるそうです。

 

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは9年目(2024年4月現在)

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