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【第11章】南アルプスから富士山、田子の浦へ㊤1~転付峠~
山行データ2003年9月5日-8日、50歳。単独。静岡駅からバス便。椹島から歩く。南アルプスの3000メートル峰と別れを告げ、一路、日本一の富士山を越え、太平洋の潮に至る。 ■残すのは富 ...
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山行データ
夜半にクルマが疾走
林道から少し離れた大井川の河原にテントを張れば、静けさが濃厚な一夜を過ごせると思いました。
逆V字の尾根の底を南下する大井川の奥地ですし、林道には一般のクルマが入れないはずだからです。
ところが、夜半にでこぼこの林道にサスペンションをギシギシさせて何台かクルマが通過していくのにたまげました。
オイオイオイ、クルマかよ!
テントにクルマのライトが黄色く震えながら走り抜けます。
許可車両は畑薙第一ダム北の沼平のゲートを抜けるしかありません。
(沼平のゲート。一般車両はここまでだが)
わざわざ夜半に通過してくるのですから、それなりの事情があるはすです。
ともあれ一夜を過ごし、薄明かりの朝早くに二軒小屋に向かいます。
すると、二軒小屋の手前にクルマが数台止まっていて、数人が釣り支度をしています。
夕べテントそばを抜けたクルマの人たちなのでしょう。
魚釣りの釣り人に許可が出るとは考えにくいのですが・・・
転付峠というところ
二軒小屋は登山者向けの山小屋もある、古くからの林業の拠点です。
北アルプス上高地のようなしゃれたホテルや飲食施設がそろっているわけではなく、梓川に架かる河童橋から穂高連峰や焼岳を望むような絶景とは対極の質素さですが、真に喧噪から離れて静寂に時を過ごすにはよさそうです。
広場の簡素なテーブルで一服していると、十数メートル離れた広場で作業員ふうの人たちがサッカーをしています。
(二軒小屋ロッジ=1999年)
夏の山奥の谷間に、歓声が谷間に響きます。
朝食前の体操代わりにみえます。
空気はいいし、おいしく朝食をお腹におさめることでしょう。
大型リュックを傍らにパンをぱくつく一人山行のわたしが物珍しいようで(立場が逆ならわたしもそうでしょうが)、しばしばこちらに視線が向けられます。
そのそばを抜け、峠への登りにかかります。
(二軒小屋から少し上流が蝙蝠岳への取り付き=1999年)
(二軒小屋の手間にはプラントが見えた。治山工事用か)
斜面の樹林に刻まれてしっかりとした道です。
大井川と南アルプスの核心の一つ、荒川岳(悪沢岳)、赤石岳から別れるのだという感慨が背中にこみあげてきます。
この夏に歩いた上高地~乗鞍岳~開田高原での出来事なども思い出します。
台風をおして着いた乗鞍岳山頂、台風一過の灼熱の真昼に開田高原へ向かうアスファルト道路で体力を消耗し閉口したことなど、刺激に継ぐ刺激でした。
転付峠へ向かう空の半分は雲です。
西から東へ流れる白雲。
ときおり木漏れ日。
カラマツらしい森林地帯を涼しく抜けます。
次第に大井川から吹き上げる風が強くなり、下草をザザッと騒がせます。
塩見岳、悪沢岳・・・見納め
二軒小屋から1時間半ほどで、丸みを帯びた峠に着きました。
二軒小屋からは手頃な散策先です。
簡易な案内板がありますが、樹林が覆っているので3000m峰のスカッとした大展望というわけにはいきません。
むしろ少し手前で、樹間の向こうに塩見岳のイガクリのような特徴ある山頂などを目にできました。
宮沢賢治の「風の又三郎」にある、どっどど・どどぅど・とどどぅどぅと森に風が唸るのは、こんな感じなのか?腰の強い風が腹にズンとこたえて渡ってきます。
この尾根は国境になっていて、そのせいでしょうか、甲斐の戦国武将の武田信玄の間道がこの峠を抜けていたと、聞いた記憶がかすかに。
荒川岳への入山は、今は静岡側から大井川を北上するバス・サービスがありますから、山梨側からこの峠を越えるのはまれなことでしょう。
ひっそりと命脈を保つ古道のいぶし銀を味わえます。
かつて上高地へ抜けるメインルートだった島々谷~徳本峠越えの道が、ひっそりと生き永久らえているように。
富士山と峠の湧き水
峠から山梨側へ一歩下れば、南アルプスの主峰とはまったくサヨナラです。
(転付峠。向こうが山梨側へ下る)
少し下ると、左手の斜面から水が湧いています。
しっかりとした水場です。
徳本峠へ島々谷から登っていくと、峠の手前に似たような感じの水場あるのを思い出します。
登山者にとって水ほどありがたい支えはありません。
あつらえたかのように、そばには木々に囲まれた平地があり、テントの2~3張りくらいはいけます。
うずきますが先があまりに長い。
このあたりから、富士山が樹林のかなたに立ち上がって空に映えています。
遠くは北陸の白山山頂から点のように遠望した三角の山が、ぐんと大きく両裾を広げています。
あのてっぺんを越えるのだな、という意識が強くわきます。
それにしても、遠い。
(いよいよ富士山が目標に聳える)
この距離感は、先を歩くしかないという気合いと、いい加減にしてくれ、という居直りとの間で強振しています。
三角に均整のとれた美形、日本一の高さだとかいう、シンボリックさを含めた世評が富士山にはついて回りますが、回りに仲間がなくあまりにあけすけで、素っ裸すぎます。
そういう次第で、富士山はこのブログのテーマを持たなければ、たぶん一生登らないですませられる一座です。
好悪ということではありません。
富士山ファンへの大急ぎの言い訳です。
(続く)