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【第3章】上高地・焼岳・乗鞍岳・御嶽山麓の⑥~天女が舞う~
山行データ50歳。2003年8月6~11日。6日は上高地から焼岳経由、坂巻温泉付近の旧道でテント、7日は乗鞍岳登山道そばでテント、8・9日は台風の影響で山小屋、10日に乗鞍 ...
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山行データ
乗鞍岳までは、大学4年で就職が決まったばかりの長男Kが同行する。
★標高3,026メートルは国内19番目。
灼熱の車道をひたすら
アスファルトの車道に出ると乗鞍岳の高山の気配は消え、真昼の熱波に打たれながら歩きます。
そばに並ぶ短いトンネル(旧道)に入ってみると、信じられないほど涼しい。
ずっとここに休んでいたい気持ちになります。
しかし、白光する真昼の道を先に進まなくては・・・・
道路そばの崖から白く輝いて落下する水があれば、迷わずに喉を潤します。
ひんやりとした甘露です。
(日和田集落が右手奥にある。入り口には祭礼ののぼりが立つ。夏祭りらしい)
日和田集落をすぎるあたりで、宅地分譲地には垂れたロープが張られています。
私有地につき石などを持ってゆくな、という手書きの板看板もしきりに路傍に目にします。
天女の絹衣が舞い踊った乗鞍岳山頂部の高ケ天原から下った下界だけあって、人臭さでいっぱいです。
長峰峠を越えて開田高原へ
波打つ小山に隠れていた御嶽山は、岐阜・長野県境を過ぎて長峰峠から開田村へと下ってゆくあたりから右手に仰ぐように高々とそびえます。
今朝方、目の高さにあった御嶽山に今は圧されそうです。
あの頂へと登り返すのか・・・気が萎えそうになります。
すでに朝から10時間以上歩き続けているのです。
体力に余力はありますが、登山靴の中で足裏がしきりにひりひりし、両肩はリュックの重さでぎしぎしときしみます。
踏み出す一歩が、辛い。
宿はどこも「NO」と断られ
開田高原の越の集落に入ると、さすがに避暑地らしく、旅館が三、四軒あります。
出発してから約12時間、人心地に誘われます。
宿に泊まれるものなら。
旅館A「満室なんです」(女性・丁寧)
旅館B「子供たちがいっぱいで、うるさくても構わないのなら、泊まりだけなら・・・」(女性・やや煩わし気に)
旅館C「泊まれるけど、今からだと、食事はつかないよ」(男性・やや無愛想)
ぜひもない。
宿泊をやめて雑貨店でビール、ソーセージなどを買い込みます。
川そばの原っぱのようなバス停車場の隅にテントを張ります。
バスの車体のそばで一夜
御嶽山がテントの入り口から仰げるようにします。
操車作業をした運転手がテントの外から、
「すみませんが、バスがテントのそばまで寄ります」
「ここだと邪魔ではないですか」
「ちょっと寄ってもらうといいとは思うですが、テントを広げているから、無理ですね」
おおらかさにホッとします。
500mlの缶ビール3本、ソーセージをコンソメ味で茹で、最後はカップ麺。
たいしたごちそうです。
あぁ、なんという一日、背を存分に伸ばして広げます。
夜半に目覚めれば雨、朝にはテントが雨粒を細かくはじきます。
翌朝、御嶽山はすっかり厚い雲の中です。
御嶽山頂を経て木曽福島へとつなぐ道のりは機会を改める決心がつきました。
御嶽山の起点となる覚明堂のバス停までわすかに歩いて帰京します。
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この山旅によって、上高地~乗鞍岳~御嶽山~木曽駒ヶ岳~伊那市・高遠までがつながりました。
3,000m峰は乗鞍岳、御嶽山です。
次は、唐松岳~立山連峰~黒部源流~上高地への山旅です。
今回の出発点上高地へとつながります。
これまでが50歳代の道程でしたが、今度は19歳の夏へ若返ります。
(乗鞍岳の項 終わり)
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【第4章】初の北アルプス縦走・唐松岳から上高地へ①~学生運動の黄昏の夏~
山行データ19歳。大学2年。 1972年7月28日ー8月7日:八方尾根・唐松岳から黒部川へ下り、阿曽原、剣沢、立山、薬師岳、黒部源流、西鎌尾根・槍ヶ岳、槍沢から上高地へ下山 ...
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