北アルプス 登山

第4章 初の北アルプス縦走・唐松岳から上高地へ①~学生運動の黄昏の夏~

 

山行データ

19歳。大学2年。1972年7月28日―8月7日:八方尾根・唐松岳から黒部川へ下り、阿曽原、剣沢、立山、薬師岳、黒部源流、西鎌尾根・槍ヶ岳、槍沢から上高地へ下山。4人パーティ。

★3千m峰は立山(3,014m)と槍ヶ岳(3,180m)

 

 

現代の香港騒乱から半世紀前の学生運動へ

香港の学生らの香港政府への抗議運動は現在(2019年11月)、騒乱の渦中に入っているようです。

学生らの要求は、民主主義による香港統治、つまり市民が政治の主役であるというもの。北京の共産党政権を後ろ盾に、香港政府は鎮圧に懸命です。

中国は一国二制度として、イギリスから返還された香港の行政体系を高度な自治権を認めるはずでしたが、共産党政権は許さないもののようです。

反北京情報はSNS、ニュースから削除するのが、情報検閲する北京の政治です。目が離せない香港情勢です。

振り返って、学生運動の方向は違いますが、やく50年前、わたしが大学1年の年明け、1972年、国立大学の学費値上げ反対闘争が持ち上がりました。

私たちまでの月謝(授業料)は1か月・1,000円、後輩の世代から3倍にするとはとんでもないといって、長期ストライキをうったのです。

授業に出なくてもいい、反対運動に加わるドキドキがあって学生自治会の学費値上げ反対闘争の運動方針に賛同しました。大きな階段教室を埋め尽くした学生集会はすごい熱気に膨れ上がっていました。

 

スト・看板
(学生ストライキ、つまり授業ボイコットを示威する立て看板。右の旗は学生自治会のもの?)

 

東大安田講堂の残り火のキャンパス

いわゆる学生闘争の残り火が、まだキャンパスにはありました。

東大安田講堂での立てこもり学生と機動隊との攻防は、テレビで生放送されて、どきどきワクワクしながら見て、生々しく記憶に刻まれています。

入学間もないキャンパスの昼休みには、傷だらけのヘルメット、あご紐からくすんだタオルを垂らした十人から二十人程度の学生らが、「米帝打倒,日帝粉砕」などと気勢をあげてスクラムデモをしていました。

ベトナム戦争の当事国であるアメリカと、同盟国である日本をも批判した活動です。

あれあれ、友人がデモのお尻にくっついているではないかと思ったら、すっと離れてきました。ニタニタして言うには、

「ポルノ解禁、ポルノ解禁いってデモって来たわ」

というので、大笑いしました。学内デモに追従するほどの判断力も度胸もなく、わたしはといえば小さな生デモが目の前を通過するのを、ある種の感動をもって眺めているノンポリでした。

落書き
(学生集会が開かれた大講義室。後日、こんな落書きがあった)

 

三無主義と学生運動

高校2年3月まで時間を戻せば、通っていた名古屋市内の高校の卒業式で、卒業証書を授与するため校長が登檀すると、男子卒業生がダッと駆けあがって、

「日の丸を掲揚し、権威と権力を象徴する卒業式はナンセンス、断固として否定する」

という意味のアジをうっていました。その先輩が自分の卒業証書をどうしたかまでは知りません。

ことの正邪はどこにあるのか、わたしには判断しようがないのですが、一人登壇した先輩が、なぜかしらまぶしく見えたのは確かでした。

高校の先輩、大学構内をデモする上級生は、私と一つか二つしか年齢が違いません。

大人社会への反発はありながら、行動には遠いわたしには難解な言葉を自在に操りながら、大人社会に敢然と挑む先輩らは尊敬に値する存在でした。

学生運動の高まりと矛盾するようですが、高校に入ったころ、無気力、無感動にもう一つ無がつく熟語(無責任らしい)があって、「三無主義の世代」といわれたものです。間違いなく、わたしはその端くれに引っかかっているように思います。

 

日帝粉砕を遠くに、北アルプスへ

「米帝打倒」とか「日帝粉砕」という信念と運動を横目に19歳大学2年の夏、私は2週間の北アルプス縦走に出ます。
その春から山岳部員です(新入部員扱い)。

リーダーのN(3年部員)、H(2年部員)、Mと私(1年部員)の4人です。

安曇野をかける大糸線白馬駅で下り、八方尾根から唐松岳のテン場までが初日、1人30キロを背負います。2週間分の食料持参ですからこれくらいになります。

最初からバテバテです。

スキーゲレンデが発達している八方尾根には、スキーリフトが高いところまでつながります。

登山道の頭上をカックン・カタカタと気軽な音を立てて、だれも運ばないリフトが移動していきます。うらめしい。

「おれたちはリフトなんぞという文明にとらわれることなく、豊穣の北アルプスを歩くのだ」

山行計画書にあるように、確かその志を胸に歩き出したはずですが、(乗るか?)リーダーの妥協の一言を一同嬉々として聞き、最終駅まで機械のお世話になります。

それにしたって初日から快晴。

二週間の食糧やらを詰め込んだめいめい30キロの荷に、4人ともグニャグニャです。顎を出すだけでなく、げろも出そうです。

まったく先が思いやられる。苦痛、苦役です。

縦走に来たことを百万回くらい後悔しながら、初日のテン場に倒れ着くのでした。

唐松岳のテン場
(唐松岳山頂は左手に切れている。中央奥は白馬岳方面。唐松岳のテン場は中央下斜面にある。2013年9月30日)

 

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黒部水平道
第4章 初の北アルプス縦走・唐松岳から上高地へ②~黒部のう★こ~

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは5年目(2020年4月現在)

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