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北アルプス 登山記録 第5章[槍・穂高-上高地へ]

【第5章】槍・穂高から上高地へ④槍沢の夜に星が降る

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槍ヶ岳山荘前
【第5章】槍・穂高から上高地へ③暗がりの槍ヶ岳山頂

  山行データ2002年7月31日ー8月4日、49歳。単独。 上高地から入山。槍沢経由で槍ヶ岳から南下し、大キレットを通過、穂高の連山を経て上高地に戻る。 ★3,000m峰は槍ヶ岳(3,18 ...

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山行データ

2002年7月31日ー8月4日、49歳。単独。
上高地から入山。槍沢経由で槍ヶ岳から南下し、大キレットを通過、穂高の連山を経て上高地に戻る。
★3,000m峰は槍ヶ岳(3,180)、大喰岳(3,101)、中岳(3,084)、南岳(3,033)、北穂高岳(3,106)、涸沢岳(3,110)、奥穂高岳(3,190)、前穂高岳(3,090)の8座を数える。

 

新宿発「急行アルプス 信濃大町」行

新型コロナウイルスの世界的拡散はとうとう7月下旬(2020年)開幕予定の東京五輪を1年程度延期する事態へと波及してきました。

 

報道で知るこの春の東京上野公園の桜の花見(宴会飲食)も質素です。

五輪開幕予定だった7月末は浅草隅田川火大会が一大イベントですが、ことしは夜空を散りばめる変幻な光彩を目にすることができるでしょうか。

 

花火が終わり大群衆の熱気にもまれて帰りの地下鉄に乗った2002年7月の日夜から4日後、わたしは新宿駅からの登山列車を松本で乗り換え上高地へと向かいます。

夏休みを利用します。

新宿駅

新宿・時刻表
(登山列車を待つ人びと=上と、発車時刻を知らせる掲示板=下)

 

午後11時50分発の発車を待つあいだにリュックに腰を下ろし、焼き鳥、ビールを注ぎ込みます。

これも夜汽車の旅ならではの楽しみ。

 

報道写真で見る半世紀前の夏山シーズンの新宿駅は、大きなキスリングを背負う登山者で大混雑です。

 

けれど今夜はやけにがらんとしています。

高速道路などの道路網の拡張、クルマ社会が浸透し入山方法をがらりと変えてしまったのでしょう。

 

新宿からは上高地や各地へバスの直行便が出るようになっています。

しかし、夜汽車に揺られて出かける登山が、わたしは好きです。

 

微睡みから覚め窓の外に流れていく、どこともわからない暗い深海の底のような抽象的な景色をあてもなく見やり、車輪の単調なきしみと同調しているうちに、山懐に入っていくのだという意識を整えてくれるように思います。

 

普段は時間とにらめっこの仕事をしていますから、東京を離れる山日くらいは、だらけて緩い過ごし方をしたいのです。

 

車内では寝たり起きたりを繰り返し松本で乗り換えです。

 

河童橋、穂高連峰、岩魚の魚影

上高地はまだ7時前。

観光客はまばら。

刻々と増えるのでしょう。

 

マイカー規制が働いていて、クルマの排気ガスが淀んでいたかつての上高地を今覆うのは、もや、静けさ。

 

いい天気。

梓川にかかる河童橋の奥に奥穂高~吊尾根~前穂高岳の巨大な岩壁、逆落としの岳沢に目が張り付きます。

 

大学3年8月下旬の雨中を駆けるように歩いた自分の姿を、岩塊の一点として動かしてみます。

河童橋
(早朝の河童橋と岳沢、穂高の連山)

 

視線を足下に向けると、底石まで透けて見える梓川が疾走します。

水深は深くて1mくらいでしょうか。

岩魚の影は目をこらしても見えません。

 

河童橋から去るとすぐ、小さな岩壁に沿い小さな清流。

緑色の水草が、風に踊る女性の豊かな長い髪のようになびいています。

 

揺れて絡まり離れる叢と叢の隙間に、黒い紡錘形を見逃すものですか。

手を入れれば10秒で悲鳴をあげる冷たい流れに、岩魚は上流に魚体をただし、じっとしています。

 

どきどきと心臓が鳴ります。

無心、狡猾、貪婪、強靭、繊細。

 

いろいろな資質を秘め、もっとも冷え切った水域でしか生きようとしない魚族との再会。

うれしいですねぇ。

 

100万人もの観光客が年間訪れる上高地だからこそ、岩魚が奔流にも支流にもひしめくような自然の再来を見たいものです。

地史の芸術品のような自然を破壊したのでは元も子もありませんから。

 

梓川の岸辺から槍沢へ

梓川左岸の平坦な散策道を歩き、広い庭園のような徳沢園、学生時代に雨の日に宿をとった横尾を経て、今夜のテントはやはり槍沢です。

 

槍沢ロッジから1時間ほどの左岸に砂地を見つけました。

 

氷河の形見の険しい岩壁が両岸に垂直ほどに切り立ち、潅木(ダケカンバ、ナナカマド)が、わずかにしがみつくばかりです。

槍沢テント
(横尾から1時間。槍見河原から槍ヶ岳がのぞけた)

 

ニッコウキスゲの小群落が岸壁の裾の草原に黄色く映えています。

清涼な眺めです。

 

雑踏の上高地の引力圏から完全に脱しきりました。

かつて氷河が深々とうねった谷底に、たった一人でいるのですから。

 

残照を上空に見ながら食事。

残雪の塊のある渓流に缶ビールと焼酎を冷やします。

 

Hun・Hunと鼻歌でも出そうです。

 

テントの入り口でガスコンロが青白い炎をゴウゴウいわせてコッヘルを熱くし、油をひいたところへ薄切りのニンニクを放り込むとジュッと音を立てます。

 

素晴らしい香りが立ち上がり、鼻の奥から胃にかけて食欲が全開します。

ビールはあっという間に、キンキンに冷えています。

槍沢テント

槍沢の空に向けて乾杯。

ニンニクをつまみに喉が何度も波打ち鳴ります。

 

ニンニクの味をたっぷり吸った油には輪切りのソーセージを加えて炒め、これまたシアワセの味です。

 

500mlの缶ビール2本なんて、あっという間です。

 

焼酎に器を替えれば、酔いに目を回す50男のあたりはばからないゲップが、かつての氷河の底に放出されます。

 

槍沢に深遠な星屑が降る

テントにくるまれ、慰安の飲酒。

これこそ30年という歳月で根付いた山歩きの趣向です。

 

槍沢にテントを張るのは三度目ですが、学生時代の山歩きの何と硬直していたことでしょう。

喉を駆け抜けるビールの至福があってこその山旅です。

 

締めのラーメンもよし、シュラフに潜れば夜半に何度か目が覚め、一度はテントの外へ出て小用を済ませます。

 

ビール膨れのボウコウが勢いよくしぼむ開放感。

吐く息を白くして振り仰げば、密集し明滅する星々が天上を破って今にもこぼれ落ちてきそうです。

 

静謐と絢爛。

 

<ひょっとしたら、深遠な真理の真下に自分はいるんじゃない?>

 

と感覚は急き立てるのですが、それを言葉で的確に表せるほど内面は進歩していないのが残念です。

テントを訪ねてくる異なモノもなさそうです。

 

ズボン、テント、寝袋の順にチャックを閉じて、<目が覚めたときが起きるとき>と思い定めて槍沢の清夜に身を委ねます。

 

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【第5章】槍・穂高から上高地へ⑤槍ヶ岳山頂の夏模様

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは9年目(2024年4月現在)

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