北アルプス 登山記録

【第6章】唐松岳から白馬岳、日本海へ⑤~若人の遭難碑から~

 

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山行データ

2002年8月8日-12日。49歳。単独。
3,000m峰はないが、日本海~3,000m峰全山~太平洋という旅に欠かすことはできない。
二日目は天狗山荘わきでテントを張ります。
難所の岩場で関西の大学生の遭難碑を目にし、わたしが学生の日に八ヶ岳に逝った知人を思い起こします。

 

 

遭難碑に思う

今日は天狗山荘のテン場までです。

初めての道のりは、不帰嶮をたどります。

道しるべ

 

槍穂高大キレットなどに似た、もろい岩と狭い尾根が乱高下するのでしょう。

乱れに乱れる雲の裂け目の左手に富山平野や富山湾を散見しながら、ほとんどだれとも出会わない歩みを刻み続けます。

キケンのペンキ

 

視界も狭い。

草混じりの岩肌を慎重に左に回り込むと、岩に金属板をはめ込んだ遭難碑が目に飛び込んできました。

 

<昭和39年5月3日 大阪外国語大学>

 

そして早逝をおくる端的な碑文と遭難者の名があります。

 

雪深い5月。

天候もいったん崩れると冬山と変わらない季節での遭難。

青年を追悼し、記憶に刻む碑です。

 

この遭難碑は、わたしの学生時代にあった、ある遭難死を瞬時に呼び覚まします。

 

八ヶ岳で遭難した知人

Uが、八ヶ岳で二人のザイルワークをしていて滑落死。

大学3年の夏(1973年)のことです。

 

それを教えてくれたのはUと同じ工学部のK(私の友人)です。

Uの両親の深い悲嘆を聞き、寂寥、無常を感じました。

 

Uとわたしは山岳部の同窓。

団体主義というか、山岳部の山が息苦しいのか、退部したはずです。

 

新人合宿では炊飯担当で偶然一緒にテントで同泊し、真っ暗の中、

 

「さぁ、朝だ。起きるぞ」

 

と大きな声を出し、率先してシュラフからはい出したものです。

 

<雨が降って沈殿になるといい>

 

と願っていたわたしには、いささか迷惑でした。

 

特に付き合いが広がったわけではありませんが、わたしの目には<俺にはない気合いを出すやつ>と映りました。

 

もし世間が<若い山男>について、<日に焼け、彫りは深く、眼差しはギラッとし、精悍>とすればUはそれに近い。

 

穂高連峰涸沢カールで、残雪にステップを蹴り込んでいた横姿がUの最後の記憶です。

 

若い日に山とつながること

Kによれば、社会、政治的な関心もUにはあったそうで、学生自治運動にもつながっていたらしい。

 

ノンポリぐうたらのわたしの真反対です。

道筋は違っても、青春のひとときに交差した一人です。

 

惜しんで惜しみ足りない。

山歩きと命を交換してはならないと思うからです。

 

Uを反芻すると虚無に落ち込みますが、目の前に続く荒れた山道を前進するしかありません。

 

握ればボロボロに崩れる岩角、濡れて滑り易い鎖が垂れる不帰嶮の狭い斜面を下ります。

先週の大キレットに比べれば、格段にやさしい。

 

登山者もまれ、唐松岳からの尾根歩きはごきげんです。

 

雨合羽を脱いだり着たり。

それを繰り返し、右手の谷から吹き上げる濃密なガス、空を左から走るちぎれ雲などをみやりながら、激しい大気気象の変化に身をさらします。

ガス湧く・谷
(不帰を過ぎガスが渦巻く稜線と縦走路が先に)

 

雨になるのか、ガスが開くのか、気ままな空模様は緩い砂ぎみの斜面を登るころには、はっきりと風雨に決まりました。

ひどく冷たい。

 

西風を防ぎつつ視線は足元の薄い踏跡に集中します。

 

ふと気づくと、なんと薄いピンクの花弁をそらすコマクサがあちこちに。

 

弱々しく見えるコマクサが、露の小玉をいくつもキラキラとまとって震えながら、がれきにしがみついています。

力の限りに。

コマクサ

 

ライチョウもしばしば目撃。陰鬱な午後を堪能しているようです。

 

山荘の若者から

ほどなく山荘着。

ひっそりとしています。

 

テント利用の手続きに応対したのは、学生アルバイトふうの男性。

 

数日後はお盆。

夏山の人出が多い時期。

ここの山小屋の利用者は?

 

「今日の泊まりは10人くらい。もう夏は終わりですね。トウヤクリンドウが咲くようになっては、夏は終わりです」 

 

トウヤクリンドウ
(縦走路そばに見かけたトウヤクリンドウ)

 

30年前のわたしほどの年齢でしょう。

山小屋のアルバイトは、学生時代にやってみたかったのですが、1か月以上山に入るという条件が足かせになり断念したのです。

 

今では退職後に山小屋で働きたいと夢想するのですが、60歳ともなれば使い勝手が悪く不採用でしょう。

これも手が届かない無い物ねだり。

 

きょうは若い人と縁が深く、取り返せない時間に冷酷に連打されます。

 

興味と憧れの入り混じる山小屋で働くこの若者は、下界の現実をどう生きていくのだろう。

 

どこの大学?学部は?専攻は?滞在期間は?なぜ山小屋に?いやなこと?楽しみは?将来はどんな夢を?・・・あれこれ聞きたいのですが、うるさがられるのが関の山。

 

質問を胸にしまいます。

 

テン場は小屋のとなり、朝日が昇る信州側。水源の残雪が尾根に豊富。

さえぎるものがなく天空がでかい。

 

ガラガラのテン場。

好きな場所を選んでテントを張る。

 

風を締め切る四角い空間に潜り込めば、極楽、極楽。

 

実に実に、この縦走路は穴場です。

 

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは5年目(2020年4月現在)

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