中央アルプス 登山

第2章 中央アルプスを越える⑤~霊神と山間地の静けさ~

 

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中央アルプス小黒川
第2章 中央アルプスを越える④~伊那谷へ逆落とし ~

  山行データ 52歳。2005年6月16~19日。新宿~木曽福島へ列車。 16日はバンガロー泊、17日は無人避難小屋泊、18日は木曽駒ヶ岳をへて伊那市泊。19日は高遠まで歩き、帰京。 ★御 ...

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山行データ

52歳。2005年6月16~19日。新宿~木曽福島へ列車。16日はバンガロー泊、17日は無人避難小屋泊、18日は木曽駒ヶ岳をへて伊那市泊。19日は高遠まで歩き、帰京。

★御嶽山(3,067メートル)を越えた翌年にあたる。3千メートル峰はこのルートにはないが、南アルプスにつなぐために、中央アルプスの最高峰・木曽駒ヶ岳(2,956メートル)を踏む

 

 

侮れることなかれ、中央アルプス

歩き下る連れ合いの小黒川は全長十数キロの奔流ののち、天竜川に直角に突入します。
滝のような川です。

ちょっと数字遊びをしてみます。

木曽駒ヶ岳の標高が2,956m。
麓の伊那市の標高は市役所で632m。
標高差は2,300m。

これが山岳界の超スター・北アルプス槍ヶ岳(3,180m)と、登山起点の上高地(1,500m)だと約1,700m。
上高地へはバス便で入れます。

槍ヶ岳~上高地の標高差よりも、今日、私が七合目避難小屋から木曽駒山頂を経て一気に伊那市まで下りきるほうが、はるかに長距離、標高差があるのです。

北アルプスや南アルプスに比べると山体は見てわかるほど細い中央アルプスですが、舐めてはいけないのです。

事実、この日の私の行動時間は14時間。
伊那市街に入ったのは、午後7時30分ごろです。

伊那市街
(下山路から足下に伊那市街が広がる)

 

御嶽とは異質な道のり

山頂を経て一般道に出てから歩くのは、御嶽山のときと同じです。

しかし、桂木場から伊那市へと小黒川に沿ってあるく周囲の景色は、御嶽山のそれとまるで違い心は穏やかです。

御嶽山の時は、立派な車道がくねる斜面に、おびただしい石碑が並んでいる中を歩くことになり、驚いたものでした。

石碑は縦長の長方形ということだけがカタチの決まり事らしいほかは、ごつごつ端が尖っていたり表面も滑らかとうほどでもなかったり。

硯石のように黒ずんだ材質で、人目に触れる面に、「○●霊神」というように太く強く堂々と刻まれているのです。(>>参照カテゴリ『御嶽山の章』

野球スタジアムのように階段状に並ぶ霊神碑は、御嶽信仰への深い帰依のあかしです。

別名をもらった死者の霊がこの山岳に集っているようで、人界と冥界との接点のようなざわつきを感じたものです。

霊神
(霊神碑が林立する)

 

御嶽山という異界

現実世界の薄暮に一人で歩く私にとって、山の端の向こうにとっくに太陽が隠れ、大気が秒単位で黒ずんでいく霊神の団地を通過するのは、無限の沈黙に引き込まれそうで息苦しくて仕方がありませんでした。

御嶽山という山が丸ごと醸し出す刺激のせいでしょう。

思い出すのはその日の冷たく霧めく御嶽山山頂でのことです。

7、8人の若い人たちの一群が円陣を組むように固まっている異景を目にしたのです。

ひっそりと一人が述べる文言にこうべを垂れて聞き入っているのでした。

御嶽山にすまう人の霊との交信のようです。

霊神碑のゾーンを抜けきり、小さな集落でふと振り返った夜の御嶽山の山肌に、山小屋の明かりが標高を変えて三つほど朱色にぼんやりと明滅しているのを仰げば、いよいよ霊山と呼ぶのにためらいはありません。

暗闇に落ち込み、この世から引きはがされでもするかのような、背筋がぞくぞくとする感覚です。

霊神
(山頂では霊との交信をしているような団体を見かけた)

 

ひっそりとした伊那路

しかし、伊那市街に向かう道沿いには、木曽御嶽で出会った霊神碑が群れ集う異界はないのです。
はっきりと、こちら側にいるのだと確証が持ちます。

小黒川が走り抜ける渓流の音をつかず離れずに聞き、内の萱のひっそりとした集落を抜けます。

大正2年の遭難事件で救援の前線になった集落です。

木曽駒への登山道は、どうしたってこの道を抜けなくてはなりません。

山肌がまだ急傾斜を残す地形に、ぽつんぽつんと一戸立ての家が見え、庭には軽トラックなどが止まっています。

狭いなりに農地があります。

しかし、人の熱、活気というものが薄い。

遠くまで透徹する子供の甲高い声というものが聞けません。

日本各地に広がっている山間地の衰退が、ここでも確実に侵食しているのは間違いありません。

皮肉な見方かもしれませんが、さらに下って道が平坦になり、小黒川沿いにキャンプ場や野外遊具場めいた施設があるのは、まさに山間地を衰退から回復させる処方箋というあがきなのでしょう。

内の萱地区
(ひっそりとした内の萱地区)

 

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信州そば発祥の地の案内柱
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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは5年目(2020年4月現在)

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