南アルプス 登山記録

【第10章】聖岳から赤石岳②~カミの上河内岳に、お花畑~

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【第10章】聖岳から赤石岳①~夕映えの富士山~

山行データ1999年7月31日―8月3日、46歳。単独。静岡駅からバス便。 畑薙ダム(終点)から歩く。茶臼岳から上河内岳を経て聖岳(3,013m)、兎岳から百間平、赤石岳(3,120m)を踏んで椹島へ ...

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山行データ

1999年7月31日―8月3日、46歳。単独。静岡駅からバス便。
畑薙ダム(終点)から歩く。茶臼岳から上河内岳を経て聖岳(3,013m)、兎岳から百間平、赤石岳(3,120m)を踏んで椹島へ下山。
聖岳は南アルプスで最後に踏む3,000m峰。

 

快晴の夏山の朝

二日目は、午前5時に茶臼小屋そばのテント場を出発。

 

最近のわたしは、こんな早くにテント場を出ることはありませんが、20年以上前のこのころは、若いときの夏山縦走の習いが残っていました。

 

5時でも遅いくらいで、まず4時には出る。

次の目的地には、午後2時くらいには着く。

 

早立ちして体への負担が小さい、朝の涼しい内に距離を稼ぐわけです。

 

標高3000m級の山岳は確かに涼しいのですが、日中に太陽にさらされるとひどい暑さになります。


(大きなキスリングを背負う単独行者。最近ではこの形のザックを見ない)

 

重いリュックを背負って炎天下を何時間も縦走すると、体中が発電状態です。

 

学生時代に北アルプス黒部渓谷奥の阿曽原テント場から真砂沢まで峰越しに歩いたとき、日よけ帽子をかぶらないわたしはカンカン照りにのぼせて、鼻血を出してひっくり返ってしまいました。

 

ほうほうの体で黒部川まで下ると、ほとばしる冷たい流れに頭ごと突っ込んで蘇生したものです。

 

数十年たっても、その苦い出来事をありありと、場面ごと思い出します。

 

茶臼岳山頂から北へ

目の先をテント縦走者たちが、茶臼岳(2604m)への道をゆっくりとジグザグに登っていきます。

 

まったくよい天気で大気は清涼です。

森林限界の境目辺りにいますので、見晴らしも広がります。

 

尾根へ出て少し南へ登り、岩が折り重なった茶臼岳山頂に寄ります。

南下する人たちを見送ります。目指すのは光岳(2591m)でしょう。

 

山頂から富士山をものにしようとカメラを構える人もいます。

足下には昨日吊り橋を渡ってきた畑薙ダムの湖面が小さく、キラキラと輝きます。

 

ゆさゆさと渡った吊り橋は、格別に有名というのではありませんが、ここが南ア南部との出入り口です。

 

なぜ、この話題を持ち出すのかというと、今年(2020)8月、富山湾河口(早月川)から出発しまず剣岳に登り、以下北アルプス、中央アルプス、南アルプスを南下し静岡市太平洋海岸へと縦走する山岳レース(8日が期限)を取材した番組がテレビ放映されたとき、南アに別れを告げた映像がこの吊り橋だったからです。

 

下れば、先はクルマ道だけ全行程400㎞余です。

このレースの過酷なことは体験的にわかります。

 

わたし自身が10年前(59歳)に早月川河口から似たコースで北アを縦断しているからです。


(槍ヶ岳山頂から穂高連峰を遠望。その右奥に乗鞍岳、左に御嶽山がかすむ=2020年9月)

 

違いは槍ヶ岳から上高地へ直接は降りず、わたしは大キレットから穂高縦走(前穂高往復、ジャンダルム、西穂高岳)、焼岳から上高地へ下り、徳本峠から新島々(電車駅)へと歩いたことです。

 

20日ほどの行程は小屋泊まりでしたが、こたえました。

 

上河内と上高地の連想

この耐久テースには、今(2022年)69歳のわたしですら、(どれくらいできるのだろう?)と惹かれるものがあります。

 

「8日以内」で完歩が無謀なことは重々承知ですが、「8日のうちに、どこまで到達できるか」というのならできるか・・・・。

 

などとアタマのなかに日本アルプスの地図を広げる妄想登山を切り上げて、時を46歳の夏の戻り茶臼岳を背に、聖岳方面へと北上します。

 

初めて踏み入れる山域に気持ちが高ぶります。

前方に三角のかたちのいい山は上河内岳(2803m)です。


(上河内岳はお花畑の先に尖る)

 

河童橋で有名な北ア・上高地と同じ読み方。

あてた漢字が違う。

 

カミは神。

カミの降り立つ場所とでもいうのでしょうか。

 

梓川の流れや穂高連峰を仰ぐ景勝地として年間100万人が訪れる上高地の持つ俗臭は、ここにはなく静謐です。

お花畑はさながら、神が宿る峰を取り巻く庭園のようです。

 

残念なのは荒れ気味なことです。


(お花畑に咲く高山即物)

 

見聞してきた北ア五色ヶ原雲ノ平とは比較できないほどに小さなお花畑です。

 

重そうなリュックを背にした縦走者が行く先に、上河内岳が緑のよろいをまとい印象的です。

 

三角の山にカミが降臨?

青空にかっきりとはめ込まれているのに刺激され、鉛筆でスケッチ。

 

 

人里から日々目にできる位置にある山ではないので、もしカミの降り立つ山を意図した山名なら、里人とどうつながったのだろう。

 

ちなみにわたしの自宅(濃尾平野・愛知県西部)から広いところに出て北を見ると、100㎞離れた御嶽山が遠望できます。

 

とても親しい山なのです。

 

御岳信仰御岳神社は近くにいくつもあるし、わたしの母などは御岳登山に参加したものです。

(御岳登拝。王滝ルート・清滝で。愛知の人たち=2022年10月)

 

御岳と書いて「みたけ」と読む地名も町内にある。

目に見え、信仰の対象であり、生活を潤す木曽川の水をもたらす御嶽山は、濃尾平野とつながってきたのです。

 

ですから人里離れているのに、カミの雰囲気を持つ上河内岳の里とのつながり、命名のいわれに興味がわく。

 

上河内岳には8時前に到着。

 

南から猛烈なガスが押し寄せてきて、期待した山頂からの3000m級の展望は叶いませんが、聖平への狭い尾根の下りにかかると高山植物が豊かです。

(左下の聖平ら小屋から先に峰が連なる)

 

白い幹と枝ばかりの立ち枯れの木々をみながら下ると、鞍部に赤い屋根をした聖平小屋
が見えてきました。

 

あそこから、さぁ、聖岳へ登り返しです。

 

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【第10章】聖岳から赤石岳③~聖岳に向かうひとり人~

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ゴン

1952年生まれの69歳。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは7年目(2022年4月現在)

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