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南アルプス 登山記録 第10章[聖岳-赤石岳]

【第10章】聖岳から赤石岳①~夕映えの富士山~

山行データ

1999年7月31日―8月3日、46歳。単独。静岡駅からバス便。
畑薙ダム(終点)から歩く。茶臼岳から上河内岳を経て聖岳(3,013m)、兎岳から百間平、赤石岳(3,120m)を踏んで椹島へ下山。
聖岳は南アルプスで最後に踏む3,000m峰。

 

畑薙ダムから歩く

大井川奥地の二軒小屋から尾根に取り付き、蝙蝠岳を経て塩見岳、荒川岳、悪沢岳、赤石岳南アルプス中央地帯の3,000m峰を歩いてから十日余り、今度は赤石岳の南の山々を訪ねます。

 

静岡駅発5時40分のバスは主に登山客でいっぱいです。

わたしの隣席は、釣人です。

 

南アというと、鉄道の中央線飯田線(山梨県、長野県)から入山する目しか持たなかったのですが、静岡駅もれっきとした入口なのです。

山の斜面に広がる茶畑から、奥地の井川集落を抜けます。

 

大井川の深くまで食い込むにつれて、いくつも大きなダムが現れます。

大井川が水力発電で開発されてきた軌跡です。

 

水を求めて奥へ奥へ。


(茶臼小屋とテント場)

 

電力がわたしたちの暮らしや産業に不可欠なことはいうまでもありませんが、畑薙ダムが圧倒的に白っぽい土砂で埋まっているのを目にすると、この大河の血管があちこちで詰まって破裂するのではないかと不安にかられます。

 

大井川だけではありません。

すでに見てきた天竜川上部の三峰川も、土砂の堆積場のようです。

 

フォッサマグナ中央構造線のもろい地質を抱えて聳える巨塊ですから、風化は盛んで土砂が河川に吐き出されているのです。

 

ダムに溜まる一方の土砂は海へ躍り出ることがなく、砂浜が痩せ衰えていくという現実があります。

 

水に困らない道のり

東海パルプのリムジンバスが、登山者を乗せてダムサイトから出発するのを見送り、わたしは便秘のようにダムに貯まり続ける土砂を左手に見ながら、すぐに吊り橋を渡って茶臼岳への尾根道をとります。

 

初めての山域に緊張があります。

朝の空気がキリリと引き締まって心地よいのは、高山の懐に入る証です。

 

上々の天気、「ヤレヤレ峠」などというしゃれっ気のある札を見、中高年男性5、6人と出くわすにつれ、緊張感も和らいできます。

 


(ウソッコ沢小屋が縦走路のそばに)

 

水の流れが斜面から岩の間を縫って登山道を横切っていくと、透明な風が体の中を吹き抜けていくかのようでホッとします。

何と言っても、水が豊かなことは、太陽の日差しが容赦ない夏山歩きには大きな安心支えです。

水場に居合わせた年配男性が言います。

「南アルプスは本当に水が豊かだ。水筒なんで持っていなくてもいい」

 

深く遠い光岳への道のり

南アのどこでも不自由なく水を得られるというのは極端にしても、今日の道のりだけについていえばあながち大げさではありません。

中継となる山小屋もあり、どうやら茶臼岳には多くの登山者が集うようです。

 

地図を見ると、茶臼岳の稜線から北が聖岳、南へは光岳へと分かれます。

後にこのルートで光岳へ往復するのですが、光岳も人気のある一座なので、畑薙からのこのルートがよく歩かれているのでしょう。

 

光岳へは寸又峡温泉から、林道を、何と12時間も歩いて取り付くコースがあるとか。

後に御嶽山から車道に出て木曽福島の駅まで歩いたのですが、約8時間。

 

ほとほとくたびれ果てましたから、光岳登山の取り付きに12時間も林道を歩くなど、過酷に過ぎます。(第一章参照)


(茶臼岳を分岐に北上すると聖岳へ)

 

コロナ蔓延の兆しがあった年の春先に、寸又峡温泉に一泊の旅をしました。

畑薙ダムへの道を大井川奥で分岐してさらに奥地に入ると寸又峡温泉です。

 

そこから12時間かと思うと、寸又峡から深まり重なっていく山並みをウンザリと仰いだのでした。

 

知人は学生時代に寸又峡温泉からその林道を歩き、途中で一泊したそうです。

さもありなん・・・・。

 

夕暮れの富士山がでかい

登りばかりの果てに、3時半ごろには茶臼小屋(テント場)に到着。

テントが数張りあります。

 

ここまでくると森林限界が近く、景色が解放されています。

 

振り返ると、なんと富士山

 

手前の大井川左岸の尾根を越えて、高々とスリムな台形に聳えています。

さすがに、でかい。

 

富士山遠望で一番遠いのは北陸の白山(2,702m)からですが、ほんの粒くらいでしたから、目の前に大きいこと。

 

夕暮れの空がブルーに赤みを加えて、刻々と暗色に変化していきます。

富士山が赤黒く、そして黒いシルエットに沈んでいきます。

 

あっけらかんとした山です。

 

隠すものなどないから、好きなように見ておくれと居直っているかのようです。

 

テントの口から富士山の景色があり、コンコンと流れる水場が近い。

 

尾根から下っている斜面にあるので強風におののく不安もない。


(暮れていく富士山が真正面に)

 

とてもゴキゲンなテン場です。

小さな水場で、持参のビールもよく冷えます。

 

隣のテントは東京からの学生連れらしい。

 

都会のゴミゴミした暮らし向きが懐かしいとか、下山したら何を食べようとか、ある夜突然ラーメンが食べたくなり自転車で町中を走り回ったとか、屈託のない夕暮れを過ごしています。

 

続きの記事
【第10章】聖岳から赤石岳②~カミの上河内岳に、お花畑~

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは8年目(2023年4月現在)

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