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【第11章】南アルプスから富士山、田子の浦へ㊤3~古道と単独行~
山行データ2003年9月5日-8日、50歳。単独。静岡駅からバス便。椹島から歩く。南アルプスの3000メートル峰と別れを告げ、一路、日本一の富士山を越え、太平洋の潮に至る。 世界文化遺産 ...
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山行データ
峠の古道の地味と滋味
富士山は遠い。
転付峠を下り、沢に沿う古道は一歩ずつ南アルプスの引力から離れ、まずは早川沿いのアスファルト道へと向かいます。
林道奥地までクルマで入り込める現在では、峠を越える古道から登山者の足跡は消えかかり、古道は草木に埋没していくばかりのようです。
先人の足跡に刺激され、惹かれたわずかな人々が踏み入れるばかりです。
沢沿いに九十九折りの峠道を踏みしめるたびに、(この雰囲気や景色は、どこかで経験している)という既視感が強い。
(二軒小屋から転付峠を経て田代入り口=バス停=への道のり)
今の道のりでも同じです。
渓谷や両側から包む混む森林の深さが繰り返され、自然は瞬間に表情を変幻に切り替えますが、森林限界をはるかに超えた3000m峰から広々と視界におさめる山嶺の大海原の壮大、壮麗、荘厳はありません。
富士山を見おさめたのは、たった数時間前です。
バスは誘惑、媚薬、あるいは麻薬
早川の奥地の奈良田は、北岳方面の要所です。
山梨県の身延方面からの路線バスが奈良田まで通じているのです。
いよいよ平らな道のりになり、ふっと明るくなると、目の前にアスファルトの車道が左右に伸びています。
すると、右手の奈良田方面から、ドンピシャというタイミングでバスがやってきます!
田代バス停がそこです。
運転手はリュックを背にしたわたしに気づいて、オッという表情で(乗客はいないようです)、チラリと視線をくれます。
(奈良田から北岳の入山口広河原へはバスを乗り換え。トンネル手前を左へいくと農鳥岳へ)
わたしはとっさに、首を小さく左右に動かします。
バスが一瞬、停車のためにスピードを落とそうかというそぶりを見せますが、わたしの意志をくみ取り、エンジン音と、タイヤが路面をこする連続音を残して、アッという間に去ってしまいます。
(あーぁ)
という思いが、瞬時にわきます。
(バスに乗ってしまえば、わざわざ車道をてくてくと歩かなくてもいいのになぁ・・・)
「街中も歩き通す」を「山道以外は交通機関を使う」と条件を変更するだけで、ここから富士山の登山口である富士吉田の浅間神社までを、バス便によってどれほど節約できることだろう。
このブログのテーマ(しばり)に、今回もため息をつくのです。
因果な条件を背負ってしまったなぁ、と。
古道を訪ねる人
バス停の標識をちらみして、リュックを背負い直し、またてくてくと歩き出します。
歩いて行くと、少しずつ、バスに乗らないでよかったのだ、と肯定的な言葉が強くなってきます。
バスという文明は、旅の性質を決める媚薬です。
一度使うと溺れてしまう麻薬のようです。
(奈良田から広河原へは、マイカー規制)
ふだん、文明の利益をたっぷりと享受して当然のようにしているのですから、たまにこうやって、やせ我慢にしがみつくのも乙なものか、と。
山道から車道に出たら、ドンピシャでバスが来た、というのは二度目。
滅多にないことですが、どちらも南アルプスで。
最初は、夏の北沢峠から早川尾根を知人と縦走し、夜叉神峠の車道へ出たとき。
甲府駅から東京(新宿)へ帰るのですが、バスの時刻は調べず登山者のまれな尾根をノンビリと下ってきたのでした。
これ幸いと飛び乗り、甲府駅で余裕ある時間を過ごし、ビールを楽しみました。
新宿への列車はたくさんありますから。
それに比べ、今回は、バスをやり過ごすのでした。
リニアは超高速金属モグラ
早川に沿う、くねくねとしたアスファスト道を(オレはカタツムリなのだ)と言いくるめて下っていきます。
現在(2023年)では、早川が富士川へ合流する道筋には、しきりに大型トラックが往来しています。
リニア新幹線工事の現場です。
南アルプスの地下を25キロの長さで通過、一番深いところはナンと1400メートル。
東京・品川~名古屋の286キロが40分でつながるというのです。
名古屋の中心部でも、工事現場を外観できます。
鉄道文明の最先端を行く路線というべきでしょう。
リニア運行のさまざまな利点(理屈)はあるでしょうが、どでかい機械モグラがとんでもないない速さで暗い地下をダッシュするかのようです。
「旅情」は、リニアから駆逐されます。
将来は大阪まで延長するリニアは、3大都市圏には恩恵かも知れませんが、どこか遠くの賑わいのような距離感があります。
一歩60センチの山歩きをしていて、その足下の地下深くを、巨大機械モグラが駆け回っているのを想像するだけでため息がでます。
リニアという誘惑には乗りますまい。
(リニア工事の土砂置き場が、早川沿いの一般道脇に)
まだ、リニア工事現場の標識も、排出土砂置き場も、土砂満載のトラックが往来することもない20年前のことです、さて、きょうはどこでテントを張ろうかと、アスファルトの固い反発が登山靴から足の裏にこたえる歩きを続けます。
山奥から降りてきた赤とんぼが、重くたわむ稲田にヒラヒラと舞う秋の気配です。
(注・写真は2021年9月撮影)
(続く)