北アルプス 登山

第4章 初の北アルプス縦走・唐松岳から上高地へ④~虹色に輝く高原~

 

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五色が原
第4章 初の北アルプス縦走・唐松岳から上高地へ③~五色ヶ原の落雷~

    山行データ 19歳。大学2年。1972年7月28日―8月7日:八方尾根・唐松岳から黒部川へ下り、阿曽原、剣沢、立山、薬師岳、黒部源流、西鎌尾根・槍ヶ岳、槍沢から上高地へ下山 ...

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山行データ

19歳。大学2年。1972年7月28日―8月7日:八方尾根・唐松岳から黒部川へ下り、阿曽原、剣沢、立山、薬師岳、黒部源流、西鎌尾根・槍ヶ岳、槍沢から上高地へ下山。4人パーティ。

★3千m峰は立山(3,014m)と槍ヶ岳(3,180m)

 

 

雨と霧に閉ざされた五色ヶ原

8/3 八日目 ガス深シ・風強シ 沈殿
昨夜来雨雷風強ク激シク行動不可能トリーダーノ判断ノ下ニ本日沈。五色ケ原ガス深ク時ニ2m先モミエナイ位 食事ノタビ毎ニ外ヘ出テノアライモノハ大変デアル。

落雷狂乱の翌日の様子を手帳に記します。

雨漏りがテントの内側にしみ出す中でじっところがっています。炊飯、食器洗いの当番のときにだけ、テントから出ます。

ぞっと震えるほどに雨霧が冷たい。

洗い場そばのゴミ捨て場をのぞくと、丸々としたハムのかたまりがあるではありませんか。

なんという無駄、無神経。

山で食べ物を捨てる不心得。

そして何という幸運。

腐敗臭はみじんもなく、いそいそとテントに持ち帰り4人でおおいに堪能し、気晴らしをしました。

「雷にテントがやられるんじゃないかとヒヤヒヤした」

めいめいが同じ思いを口にするのです。

だれもが最悪の事態を想像しないではいられない至近距離での落雷だったのです。

 

虹色の花園はいずこ

五色ヶ原は、依怙地なまでに素顔を見せません。

「虹色に輝く高原」

ずっと後年になって読んだウエストン(和訳)はそう記します。(『ウオルター・ウエストン未刊行著作集』郷土出版社)

 

五色・コバケイ
(コバイケイソウとハクサンイチゲ)

五色・花
(チングルマ)

「大正十年の七月、其処で夢のように遊び暮した一週間の楽しかったこと(中略)私の最も嘆賞して措く能わざる高原である」(木暮理太郎『山の憶い出』)との礼賛もあります。

 

五色・散歩
(五色ヶ原を南から見る。木道が敷設されている。右奥は針ノ木岳か)

しかるに、19歳の夏に二日間滞在した五色ヶ原は不機嫌を決め込んでいます。

<いつか、快晴の五色ヶ原で数日を存分に過ごしたい>

そういう気持ちが強くなったのは、19歳夏の日から20年近くたったころ。

あまり人が寄り付かない気に入った場所を高山に見つけ、のんびりすることに楽しさを見出したのです。

極上の自由気ままです。

標高、場所、規模、自然度、周囲の山岳あたりを基準にすると、五色ヶ原には最も高い評価を与えたいのです。

黒部川をはさんで南に開ける雲の平はその双璧にふさわしい。

岩が盛り上がるその先端に立てば、松本市はおろか安曇野を眼下におさめ、奥に北アルプスまで見渡せる美ヶ原も立派ですが、高原の手前まで車が入れるし、許可車は高原の中を走ります。

手垢がつきすぎていて気の毒です。病むほどに痛々しい。

何かと北アと比較される南アルプスですが、赤石岳の南にある百間平がめぼしいくらいなもので、規模はうんと小さい。

 

奇跡の花咲く高原

標高2,500m、五色ヶ原へは最短の室堂からでも5~6時間はかかります。

長野県側からですと大町から針ノ木峠を越えて黒部川へ下り、対岸のかへ渡船で渡り、再び登り返さなくてはなりません。

富山側の常願寺川源流を詰めてザラ峠へ出て五色ヶ原へ出る道は、ザラ峠までが廃道になっています。

この遠さ、面倒くささが貴重です。

五色ヶ原で憩うことができたのは、4度目の59才の夏でした。

19歳から数えてちょうど40年がたっていました。

 

五色・木道
(高山植物が荒れ、保護復元のために土留めされている。少しだが、植物が裸地に見える)

40年を経ても、ザラ峠はまたもやガスに見え隠れでしたが、五色ヶ原は二日間、文句なしでした。

澄み切った大空をおおらかに受けとめるかのようでした。

雪が消えた斜面にはハクサンイチゲなど、白、黄、ピンクなどの高山植物が静かに咲いていました。

残雪が豊富で、初心者向きのスキー斜面になりそうなところもありました。

スキー板を運んで滑って遊べば、ゲレンデスキーの出来あいコースにない自由な刺激があることでしょう。

 

可憐なかけらも見せない五色ヶ原

ここから想像する五色ヶ原こそ立山曼荼羅がさとす浄土にふさわしいのではないかとすら思います。

ところが、新田次郎の小説『劔岳<点の記>』には、こんな描写があります。

「五色ケ原は1キロ四方ほどの広さの高原であった。雪でがっちりと固まっていて、そこには何一つ見るべきものはなかった」

測量登山隊がザラ峠にテントを設営し、五色ヶ原の南の越中沢岳を目指す場面です。

測量隊はザラ峠で暴風雨に襲われ、手痛い目にあいます。

測量隊が高山植物の乱舞する、温和は真夏の日の五色ヶ原を歩いていたら、小説の描写はどうなっていたことでしょう。

ともあれ19歳の夏、荒天が退く気配の翌朝、わたしたちが濃霧の中を出発するときもなお、五色ヶ原は可憐の気配さえ見せないのでした。

 

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スゴ乗越の山小屋
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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは5年目(2020年4月現在)

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