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南アルプス 登山記録 第11章[南アル-富士山、田子の浦]

【第11章】南アルプスから富士山、田子の浦へ㊥-3~雨の富士山麓~

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【第11章】南アルプスから富士山、田子の浦へ㊥-2~信長の富士山~

山行データ2006年7月22日―23日、53歳。単独。本栖湖までバス便。冨士浅間神社から廃れた旧道を経て山頂を踏み、太平洋の田子ノ浦の潮まで踏破する計画だが、今回はかつての登山口である冨士浅間神社まで ...

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山行データ

2006年7月22日―23日、53歳。単独。本栖湖までバス便。冨士浅間神社から廃れた旧道を経て山頂を踏み、太平洋の田子ノ浦の潮まで踏破する計画だが、今回はかつての登山口である冨士浅間神社まで。

 

露天にモモなどを見つつ


(転付峠からの富士山)

 

トウキビ、モモなどを売るテントの出店を、距離を置いて道路沿いに見かける。

ある店に寄ると、モモは6個500円。

 

1個なら食べてみたいので聞くと、1個売りはしないのだと。

そういう商売もあるのかしらん。

 

試食なら100円という・・・となると1個売りをしない理屈はないと思うのだが、なにせ売り手市場?の気配である。

ちなみに、赤く熟したトマトは3個で250円、レタスは1個100円。

 

この先には、「ブルーベリー狩り 40分 食べ放題500円」などという手書きの看板が道路に面して立っていた。

 

富士山麓の旬の農産物を教えてもらっているが、さすがにブルーベリーばかりを40分ほおばる気にはならない。

 

もっと先のテント売店ではモモの試食をすすめられ、1個売りをしてくれた。

「皮は手でむくんだよ」

と助言を受けて、短い羽毛に包まれた薄いピンクのモモの皮をむくと、水分がたれるばかりに輝く。

 

みずみずしい肌色の果肉を口いっぱいにほおばる。

歩くばかりの体は、喉をスリ落ちていくモモの柔らかな果肉と甘みたっぷりの水気に敏感である。

 

瞬間に活力を補充してもらったようになる。

富士吉田まで、まだ10Kと看板が教える。

 

冨士浅間神社の夏


(富士吉田途中の富士山)

 

4時をすぎて、スバルライン入り口。

 

ここから富士山五合目まで、立派な車道が敷設されている。

五合目まで、歩かなくてもクルマが運んでくれる。

 

大都市から深夜バス便を利用する弾丸登山の導入路なのだ。

 

そうして、大半が寝不足のまま、五合目から山頂を目指す。

 

さらにすすめば、標識が冨士浅間神社は近いと励ましてくれる。

 

参道は石灯籠を左右に配し、杉の大木がしっとりと夏の光を和らげている。

神社外の途切れないクルマの喧噪はなく、しんと落ち着いている。

 

富士山を神体といただくこの神社は、噴火に怒る山への畏怖が宿る。

巨木にはしめ縄が巡らされ神域を示す。

 


(大木にしめなわがまかれている)

 

神事の前触れなのか。

参道を4人が本殿に向けて歩いてくる。

 

風貌はあきらかに外国人。

 

いくら外国人に人気の Mount Fuji でも、今からここから始まる富士山の旧道をたどる登山の体裁ではない。

時間は午後5時に近い。

 

富士吉田の市街からの富士山


(浅間神社境内)

 

鳥居から市街へと緩く下る石畳があり、両側に低い家並みが並び、かつて富士講の旅人で賑わった旅館・歓楽街とでもいう趣だ。

 

道路沿いの立つ柱には、富士山マラソン大会を告げる幟がヒラヒラしている。

振り向けば、圧するばかりに富士山が高く近い。

 

均整のとれた三角の巨体が、空に寸分の余地もなくはめ込まれている。

ほう、と息をつく。

ここから富士登山の一歩が刻まれるのだ、という説得力がある。

 

富士山を遠望し旅情をかき立て、長旅を歩いて浅間神社を拝し、富士の大観を仰ぎ、気分を引き締めたことだろう。

 

あのてっぺんにたどり着けるだろうか、いや歩ききってみせる、などという交錯し揺れる思いにときめくというものだ。

 

アナログそのものの歩く旅が、現代でも中山道の旧道巡りや熊野古道の巡礼などとしてわたしたちの関心を引くのは、心の深いどこかで便利さ優先の現代社会への小さな異議申し立てをしているあかしなのかも知れない。

 

マラソン大会にも、そのシンパシーは通じる。

 

日本一という名声

富士吉田で一泊し、バスで雨の中を山中湖経由で御殿場に出て帰京した。

 

富士山が、3,000m峰を歩きつなぐ旅の最後の頂きだが、南アルプス大井川上流椹島を出て2回に分けて富士吉田までつないだ道のりに、登った山はない。

 

二軒小屋から、転付峠を越えたのが、せめて山歩きらしいところだ。

それほど富士山は、他の3,000m峰から遠く離れて独立しているということを体ごと知る。

 

周辺のでこぼこする山々は標高で富士山に肩を並べることはない。

断固として独立の頂き。

 


(浅間神社前の舗道を下り振り返ると富士山)

 

外国人にも人気があるのは、独立の姿態、美形、日本一の標高などが相まっていることや、首都圏から親しいことがあろう。

 

「フジヤマ、ゲイシャ」が、日本を語る標語のような時代があったものだ。

 

世界に名を馳せる葛飾北斎版画「富岳三十六景(全46作)」が果たした役割もまた、日本富士山への憧憬をかき立てたのではないか。

 

わたしにしても、小学生の頃夢中になった記念切手収集で、三十六景の一つ「神奈川沖浪裏」富士山に接し、それが英語では「The Great Wave」)と後年知る。

 

英名がつけられるほどに、富士山をテーマにした作品は海外に知られているという証拠であろう。

 

先日の報道(2024年3月)だと、46作の一揃いがアメリカ・ニューヨークで競売にかけられ、5億4千万円で落札されたという。

 

いつの時代にも、何かにつけて話題になる富士山

その頂きに、来週は立とう。

 

(この項終わり)

 

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは9年目(2024年4月現在)

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