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南アルプス 登山記録 第11章[南アル-富士山、田子の浦]

【第11章】南アルプスから富士山、田子の浦へ㊦-2~旧道沿いに茶屋が朽ちる

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【第11章】南アルプスから富士山、田子の浦へ㊦-1

山行データ2006年7月22日―23日、53歳。単独。冨士浅間神社から旧道を経て五合目。山頂を踏みできれば、一気に太平洋の田子ノ浦の潮まで踏破する。   富士山ツアーは新幹線で 頻繁に届く全 ...

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山行データ

2006年8月4日~5日、53歳。単独。冨士浅間神社から旧道を経て五合目。山頂を踏んで、一気に太平洋の田子ノ浦の潮まで歩ききるか。

 

2024年の富士山に予約制

いくら何でも、節度なく富士山に人が押し寄せるのでは、山の自然や文化資産はボロボロになるばかりだ。

年間20万人!たまったものではない。

山梨、静岡側から、それぞれ観光道路が五合目まで開設されていて、その誘導路になっている。

 


(東京と刻まれた石碑=中の茶屋)

 

世界破壊遺産富士山?

 

観光栄えて富士山荒廃・・・本末転倒である。

富士山のトイレやゴミ問題対策が、無制限な登山者数と関連付けて語られて久しいが、山梨側で今年(2024年)夏山に向けて、予約制が始まった。

 

とうとう?ようやく?

オーバーツーリズム(観光公害)への取り組みは、富士山にも古くて新しい。

 

5合目までのマイカー規制はすでにあるが、人数そのものを制約するのは、やはり必要な対策だと思う。

わたしが登ろうとしている吉田口からのルートが対象。

静岡側は慎重のようだ。

 

「1日4,000人」

 

にとどめるという。

五合目までは従来のように、交通機関で入る。

 

中の茶屋の静けさ

体力や余暇との相談になるが、麓から歩く心の余裕があればいいのに。

 

浅間神社からの旧道は、森が茂る山麓を少しずつせり上がっていく。

高速道路の下をくぐると、俗を聖の境を越えた気分がする。

 

そうして、「中の茶屋」という小屋に出たのである。

 

ここへはバス便があるし、数十台は停められそうな駐車場がある。

2024年5月に再訪してみると、クルマは10台以上、ハイキングふうの人たち遊歩道を散策している。

 

わたしが辿った2006年には、下ってくる闊達な若い外国人男性とすれ違いざまに聞いてみた。

 

すると、日帰りで山頂まで往復する帰りなのだという。

うらやましいほどの健脚。

 

ついうっかりと、(今日のうちに、自分も山頂に行き着けるのではないか)と、とんでもない錯覚まで起こしたものだ。

 

中の茶屋から奥へは、さらにクルマが通れる山道がくねる。

やはり、別の小屋跡(大石小屋)があり、さらに奥まってゆくと、地図にある「馬返し」というところに至る。

 


(大石小屋跡あたりを下る外国人)

 

休憩小屋、外国人の人気スポット

かつては、ここまで馬の背に揺られてきて馬を払い、いよいよここからは自分の足で歩くというので、馬返しというそうな。

 

標高1,450メートル。

 

ここにも駐車場がある。

ここから周辺を散策するか、山頂を目指す人たちがいるということだ。

 

今年5月(2024年)には、外国人カップルが遊歩道を登ってきた。

外国人の富士山への関心は相当に深く、大石小屋跡付近ですれ違った空身で下ってくる若い男性4人もそうだった。

日本でどこに行くか?

 


(馬返しは小公園のよう)

 

外国人観光客にとって、富士山は最有力地の一つなのだ。

 

富士山という一座に日本人登山者も殺到すれば、観光公害の係数は跳ね上がる。

富士山で言えば、特に五合目から山頂部がそこであろう。

 

それに加担するより、むしろ、五合目より低いところを逍遙することの方が、おしゃれな気がする。

 

山頂を目指すのは、混雑期を外すのだ。

(弾丸ツアー)というコピーは、世の中の仕組みや制度に縛られた日々に発する心の貧しさを自嘲していて秀逸な皮肉表現かもしれない。

 

先人の「三十三度」の誇り

馬返しまでバス便がある。

バス停と、ちゃんと時刻表まである。

 

ここまでくると、静けさがいや増しになる。

 

小公園のような広い空間の坂道を進んでゆくと、小屋の建設予定地の看板(今は小屋がある)、今までにないほどの石碑が並んでいる。

 


(馬返しの鳥居をくぐると、お祓いの場)

 

古い。

 

浅間神社からの道のりに、ところどころにあったのと共通する文言が、石碑に刻まれている。

 

(登山三十三度 大願成就)

 

刻まれた年号が、その上にあるのだが、大正とも天正とも読めそうだ。

 

しかし、「東京」という文字をもつ碑もあるので、大正年間のものが混じっているのは確かだろう。

 

木曽の御嶽山の麓に連綿と並び続く無数の霊神碑の圧倒的な荘厳、威厳、緊張ほどではないにしても、富士登山にかける先人たちの決然とした心証風景が、三十三度の登頂を誇るかたちで鎮座しているのだと思う。

 

三十三度というのが興味深い。


(富士登山33度が誇らしげに刻まれる=浅間神社近く)

 

富士講(あるいは個人?)にとって、特別な達成回数なのか?

六十六度という一つもある(33の倍数)ので、33というのは象徴的数字なのだろう。

 

大きな鳥居の裾にオサルさんのような像が対にあり、そこをくぐると、お祓い場跡地とある。

 

かつて、ここでお祓いをして身を清め、霊峰の神域に入る。

 

鳥居をくぐれば、俗垢に浸かったこの一身が清められるかと懐疑心を抱きつつも、高見を目指す。

 

標高1,450メートルから、3,776メートルへは標高差2,300メートル。

 

標高が近い北アルプス上高地(1,500m)からだと、岳沢の奥に聳える穂高連峰の最高高峰・奥穂高岳(3,190m)の頂に立ってなお、さらに600メートルほど高い。

 

(注・写真はいずれも2024年5月撮影)

 

(続く)

 

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは9年目(2024年4月現在)

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