-
-
【登山余話25】中央アルプス・越百山でライチョウに会おう㊤(2025年7月18~20日)
山行データ18日データ:5時30分伊奈川ダム下の道路わきに駐車後出発。7時10分:越早山取り付き(南駒ケ岳方面への林道分岐)。8時:第一の水場(細い流れ)。10時45分:第二の水場(きわめて豊富な沢) ...
続きを見る
山行データ
19日データ:6時50分山頂を出る。ライチョウ探索ののち仙崖嶺、南駒ケ岳を経て下り、河原でテント泊。20日下山。
越百山のライチョウ目撃談
ライチョウについては、18日にこういう経過がある。
マウンテンバイクに軽装備の男性(60歳前後か)が18日早々、林道を歩いているわたしに追いつき小話になった。
男性によると登山道は地元の大桑村の管理にあるが、行政の人が登山道の現場を歩いて確認することは期待できず、こうして日帰りで見にゆく。
雨がちな日が続いたからだという。
自転車で登山口までの時間が短縮できる。
越百山の山頂まで30分くらい森林帯で下山してくるのに再会した。
(木曽側から越百山へと至る指導標)
越百山を10数分南に下ると南越百山があり、男性はそこまで足を伸ばしてきたそうだ。
「いやぁ、ライチョウをと思って南越百でしばらく粘ったのだけれどダメでした」
南越百の山頂一帯は白い砂地に岩石が広く散らばりハイマツも点在する、というのが昨年のわたしの経験だ。
そこから奥念丈岳へと続く細い道はすぐに背丈を覆うようなブッシュ帯に隠されてしまう。
ライチョウは、わたしの目撃体験からすれば、そうしたブッシュ帯を好まない。
ハイマツが地を這い、高山植物が生育する、開けたところに生息する。
南越百は、中アではその南限かと想像する。
報道後の今も生息しているはず
越百小屋で小屋番の方から聞いた話では、今年の小屋泊りの登山者がこ目撃したそうだ。
報道から少し時間がたっているので、ひょっとしてライチョウは越百山周辺から姿を消していないとも限らない。
イヌワシなどの空からの猛禽類や地上の動物によって捕獲されてしまうことだ。
とくに幼鳥は餌食になりがちだ。
自然環境や天敵との過酷な試練を経て氷河時代から今日まで生き残ってきたというのだから、屈強な生存本能を秘めているともいえる。
その夜目覚めてテントの外に顔を出して目にするのは、暗夜の底で金色にまばゆく紡錘形に輝く伊那谷の人々の暮らしぶり。
はるか暗黒の宇宙の果てに光る文明のように錯覚する。
(南ア、伊那谷に夜が明ける)
夜明けの光が増してくると、刻々と輪郭を鮮明にしていく山岳と谷間の人の生活空間が再び現れる。
夏山縦走の鉄則の一つは、夜明け前に歩き始めること。
ぎらつく日中の暑さを避けて、涼しい朝のうちに先を稼ごう。
しかし、若い日のような瞬発力に欠ける今は、明るくなってから支度をするようになっている。
小石からライチョウへの変身
快晴、清涼な越百山山頂から360度の山岳展望が用意されている。
6時50分に出る。
山頂から北に緩やかに下る。
明るく開けた砂地と小岩の尾根にハイマツが点在する。
先に仙涯嶺・南駒ケ岳がニョキニョキと天に突き上げている。
見るからにしんどそうな上り下りだなぁと見上げたのち、足下の砂利に足を取られないよう気を配る。
5メートルほど先に小石があり、それがこちらに少し動いた。
オッ?足がとまる。
間違いなくライチョウだ。
ニワトリのひなのような大きさだ。
地面と保護色のようなライチョウの幼鳥である。
なにかチッチとでもいうような鳴き声を出しているように聞こえる。
幼鳥一羽というのはあり得まい。
視野を広げて、少しでも動くものを逃すまい。
(ライチョウ親子が餌をついばむ)
ハトくらいの大きさの親鳥が、その背後にいるではないか。
ほかに二羽の幼鳥が遠くないところをちょろちょろと動き回っている。
空からの天敵の危険がある明るいときだというのに、疎らな高山植物から高山植物へと移動しては、その先をついばんでいる。
朝食なのだ。
わたしはそっと10メートルくらい先へ移動して、親子4羽の様子を見る。
絶えず距離をとる親鳥が、くぐもった鳴き声(喉を鳴らす?)を発する。
わたしへの警戒だ。
遭遇の幸運とポイ捨て
4羽は頂上への縦走路沿いにたどっていく。
この家族は、ハイマツに隠れることができる近くに巣があるのだろう。
名残惜しいがライチョウ家族との出会いを切り上げることにする。
この家族が越百山で確実に定住してもらいたいと願う。
(仙涯嶺の岩壁に縦走路がある)
南駒ケ岳山頂で<越百サーキット>の若者2人(学生ふう)が、近くで休憩した。
「ライチョウは見えなかったなぁ」
「残念だけど仕方がない。どうやったら見えるのだろう」
心残りがありありのやりとりを聞きながら、(わたしは運よく目撃したよ)と胸の中でだけ応じた。
(南駒山頂で一服する)
自慢たらしく優越感に胸をそらすのは気が進まない。
二人はわたしがライチョウを見てからそう遅くない時間帯に遭遇地点を通過しているはずだ。
それでもライチョウ家族とは巡り合えなかった。
わたしは恵まれていたと思おう。
さて、通過した仙涯嶺では逆コースのサーキット登山者(中年男性)と行き違い、南駒では別の単独の<越百サーキット>の男性(30代か)もいた。
下山する若者らにならい、いっそのこと下山することにした。
(南駒から中央の尾根をひたすら下る)
あっという間にかれらの姿が見えなくなり、日没と同時に南駒への登山口の川岸にたどり着くのだった。
うんざりするほど長くて急峻な下りだった。
****
ライチョウの山で、空のペットボトルを登山道沿いの2か所で3つ回収した。
(南駒への縦走路沿いに並んで二つ)
(南駒からの下山路に)
(南駒からの下山路で。岩が重なった深い穴底に)
あと一つは岩の重なったくぼ地の奥にあり、危険なので降りてまで回収することはあきらめた。
興ざめのポイ捨てだ。
(この項終わり)