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【登山余話6】新型コロナ猛威の夏、蝶ヶ岳から霧ヶ峰へ①
山行データ2020年8月10~11日。67歳。妻と。名古屋(クルマ)沢渡(シャトルバス)上高地(歩き)徳沢ロッジ二泊。下山後松本一泊、13、14日と美ヶ原~霧ヶ峰散策、霧ヶ峰二泊。 &n ...
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山行データ
小説『氷壁』と徳沢
厳冬期の前穂高岳の氷壁登攀中にナイロン・ザイルが切れ、若いクライマーが吹雪の中に消え、春になって雪の中から遺体で見つかる。
半世紀以上前の『氷壁』(井上靖)は、実際の遭難(1955年1月2日)を借りて、登攀を緊張感に満ちて描き、都会にあっては遭難したクライマーの人妻へ恋慕や、事故の真相究明など、さまざまな人間模様が交錯し、多くの読者を獲得しました。(『山の本棚1』参照)
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山の本棚【山の本棚1】井上靖『氷壁』から新田次郎『孤高の人』へ
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(右岸から見る新村橋)
今夜宿泊する徳沢にある山小屋徳沢園は小説に登場し、今も「氷壁の宿」を看板にしています。
徳沢までは上高地から2時間くらい。
梓川左岸に沿って森に接する平坦な散策路は明神あたりから左手に高くごつごつした岩塊が圧してきます。
明神岳から前穂高岳です。
かつて牛馬の牧場だった徳沢は、前穂高岳を仰ぐ位置にあります。
前穂高岳東壁のロッククライミングに挑むとき、徳沢から少し先で梓川を渡り、急斜面に取り付き奥又白に至ります。
そこに奥又白の池があり、そこが岩登りの起点。
小説の主人公2人も徳沢をへて深雪をかき分け、奥又白にテントを張ります。
奥又白への荒れた道
わたしたちの宿泊先は、徳沢の一画にあります。
よく晴れた日の昼過ぎ。
手の消毒、検温、マスクをかけて宿泊手続きをすると、担当の男性がカウンターの内からどこか散歩にでも?と何気なく聞きます。
「奥又白への取り付きあたりまで行ってこようかと思っています」
「へぇ、奥又白ですか・・・」
「奥又白池そばでテントを張ったことがあるので、道のりがどうなっているのかと思って」
初めてその道を歩いたとき、梓川を離れてほどなく遭難碑を通りすがりました。
『氷壁』のモデルになった遭難者に関係するのか?と思ったままになっています。
この機会に確かめてみたい。
徳沢には続々とキャンパーがやってきています。
奥又白へは左岸から右岸へ新村橋を渡ります。
梓川の水辺で軽装の親子が屈託なく遊んでいます。
この橋が、ハイキングと山歩きを切り離します。
登山道は屏風のコルをへて涸沢へ通じます。
通称・パノラマコース。
(涸沢への登山道は正面麓を右にとる)
涸沢は穂高連峰の登山拠点としてあまりにも有名、夏山の最盛期には、テントが密集し、山小屋利用者で混雑します。
奥又白への登山道は、密集したブッシュをかき分けてようやく見つけたのですが、壁面をよじ登るようでした。
人の気配がない登山道
右岸の作業道をしばらく歩くと、左折する登山道の入り口がありましたが、コロナの影響は入り口に張られたロープ、立て看板に見えます。
「登山者の皆様へ」とタイトルがあり、コロナ感染を防ぐため登山を控えて下さい、という内容。
取り付きに張られたロープには、「パノラマコースは残雪のために通行できない」と注意書きがあります。
(オオバコが茂る登山道)
涸沢へ行くわけでもないので、入っていきます。
オオバコがずっと跋扈しているし枯れ枝が散乱していて、この登山道が人々の関心を失っていることが一目瞭然です。
涸沢へは徳沢から1時間ほど奥地の横尾を経由するコースが圧倒的に利用されているのです。
この山道は奥又白谷を右手に見てジグザグします。
閑散とし少しずつ傾斜を増していく山道に、人の匂いも気配もありません。
サルを近くの樹間に見かけ、登山道にはかれらの糞が散らかっています。
上高地河童橋の付近でもサルは見かけますし、人を警戒するどころか、エサを期待しているのです。
立て看板から10分か15分くらいでしょうか。
先の木立の中に、石碑が見えてきました。
記憶の中では1つだったのですが、3つありました。
『氷壁』のモデルの遭難碑
碑文を読むと、3つの遭難のようです。
時代が記された限りでは昭和31、32年。
冬の前穂高岳での遭難。
1つには「A沢なだれ」と読めます。
前穂高岳のA沢で雪崩に遭遇したのでしょう。
前穂高岳の東壁はロッククライミングのフィールド。
岩壁はAフェイス、Bフェイスなどと呼びます。
A沢はAフェイスに由来する沢ということになります。
真ん中の碑にも人名が刻まれています。
(登山道沿いに遭難碑が時を刻む)
その名は、『氷壁』のモデルになった若者(当時19歳)に違いありません。
『氷壁』では2人の登攀ですが、現実は3人パーティ。
生還者の一人(遭難者の兄)が、「切れたナイロン・ザイル」として、遭難の模様、ザイルの強度への疑問を雑誌に公表している。
『氷壁』のクライマー、小坂(遭難死)と魚津は作者の創作です。
小説の最終場面では、魚津は北穂高岳の滝谷に単独挑みます。
険悪な岩壁を擁する滝谷。
小坂の妹と結ばれる約束を、その登攀にかけ魚津はけがを負いながらも高みを目指します。
3つの遭難碑に手を合わせ、徳沢に戻ります。
この夏、ここを通る人はどれくらいいることだろうと思いつつ。
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