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北アルプス 登山記録 第4章[初の北アル縦走]

【第4章】初の北アルプス縦走・唐松岳から上高地へ⑥~黒部源流の青空~

 

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薬師岳遭難
【第4章】補遺・薬師岳遭難⑦

    山行データ19歳。大学2年。 1972年7月28日ー8月7日:八方尾根・唐松岳から黒部川へ下り、阿曽原、剣沢、立山、薬師岳、黒部源流、西鎌尾根・槍ヶ岳、槍沢から上高地へ下山 ...

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山行データ

19歳。大学2年。
1972年7月28日ー8月7日:八方尾根・唐松岳から黒部川へ下り、阿曽原、剣沢、立山、薬師岳、黒部源流、西鎌尾根・槍ヶ岳、槍沢から上高地へ下山。4人パーティ。
★3,000m峰は立山(3,014m)と槍ヶ岳(3,180m)

 

 

黒部源流へ、縦走路は高原の気に満ちる

(8月4日)縦走九日目 薬師峠でキャンプ。

(8月5日)薬師峠~黒部五郎岳山頂へは寄らず)~黒部五郎のカール~五郎沢を下り黒部源流へ、祖父平でキャンプ。

 

太郎平から南の高原
(太郎兵衛平から黒部五郎岳にかけて、高原のなだらかな尾根が波打つ。ハクサンイチゲの白い群落が残雪の帯と対をなしている=2012年7月)

 

5日のメモに

「視界モズイ分キキ仲々イイ景色デアル」(午前6時400分・太郎兵衛平で)

とあります。

 

また五郎沢の下りでは、

「川ガ段々大キク成ッテ行ク様ハ大変面白イガ、岩バッカリノ沢ヲ下ッテ行クノハ大変シンドイ」
「ウマソウナ水ガトウトウト流レテイル」(午前11時45分の休憩)

と書いています。

 

文句ばかりのメモの中に、珍しく余裕ある記載です。

渓谷を擁する山岳自然として超のつく一級の黒部源流なのですから、ひねくれ根性の1大学生くらい、全体自然でふんわりと包み込んでしまったようです。

 

その道筋を40年後の、59歳の夏に歩く機会がありました。(五郎沢には下らない)。

 

太郎平から黒部五郎岳への尾根道は、高原状の起伏と植物に恵まれて、縦走の気は素晴らしく高まるところでした。(写真参照)

 

西に遠く富山平野の人の生活を見下ろし、東に雲ノ平の広い高原を抱える黒部源流の雄渾の山塊を、夏の光の底に伴うのです。

 

縦走路としても危険なところはなく、安らぎを感じました。

学生時代には乏しかった感じ方が強くなっているに違いありません。

 

黒部源流から振り仰ぐ夏空

10:40 5本 黒部五郎カールニテ

 

黒部五郎岳というと、氷河が削り取ったお椀の底のようなカール地形が代名詞ですが、19歳の夏はただ地名だけを記し、感想の記述はありません。

 

曇りがかった、ほとんど風のないカールの底に腰を下ろし、粉末をジュースにし、食パン(ぺしゃんこになった)で補給したことを記憶しています。

 

黒部源流の川に降りると、膝程度の浅いところは川の中を歩き、深いところは川岸に上がって、どんどん上流を目指します。

 

沢沿いの岸を歩いていてバランスを崩しドブンと沢に落ちたこと(流されるほどの水位、水量ではなかった)、キラキラと輝きながら膝を洗っていく水量豊かな流れなど、尾根歩きにはない躍動と清涼がありました。

 

天気はまずまず。岩石が重なる沢を下るにつれて膝が痛くなりますし、登山靴が水浸しになって歩きにくいと思うこともありますが、とにかく黒部源流に下りきります。

 

「空ハ全ク夏ノソレデ、雄大積雲ノ姿ガ見ラレル」

 

祖父平にテントをはってから書きます。

 

黒部源流への縦走
(黒部源流の谷は真正面の足下に切れ落ちる。三俣山荘へと雪渓を横切る=2012年7月)

 

憧れのイワナ大漁夢幻

午後のはやい時間に、祖父平に着いています。

時間はたっぷりある午後です。

黒部源流

岩魚の宝庫です。

 

鼻歌でもひっかけ、細長い枯れ枝を一本拾い、釣糸を枝先にくるくるっとくくりつけ、次は川石をはがして水生昆虫を探して餌にすると岩魚釣りの支度は万端です。

 

何が贅沢と言って、人っ子一人いない深山にぽつんとテントを張り、釣った岩魚を塩焼き、刺身、ムニエルなどにし、沢冷えのビール、ワインやらで腹を満たすほどの絶品が、ほかにあるでしょうか。

 

・・・と、あこがれの至福に手が届くところにいるというのに、何とも間抜け、愚かな午後だこと、空を仰いでだらんと過ごすきりです。

 

4人のうちだれ一人、岩魚釣りへの執念はないのでした。

 

今となっては、黒部源流ですら岩魚はひどく荒らされていると聞きますから、釣りをしなかったのは、岩魚のためにはよかったようです。

 

50才をいくつか過ぎてから、いよいよ岩魚付の山行をと読売新道(黒部川~赤牛岳)で試みたのですが、魚影なし、当たりなし、ものの見事にスカでした。

 

天候悪化の予報で下山へ

途中で浮き石に乗って転倒し、左膝をこっぴどく打ち付けて、なんとも腹立たしい気分をわたしは抱えています。

 

祖父平に張ったテントで夕暮れに聞く雑音の多いラジオの天気予報は、台風の接近を伝えます。

地黒のうえに山焼けし丸い石炭塊みたいな顔になっている3年リーダーのNさんが、

 

「台風か。むむ・・・。おい、下山だ、明日、下山するぞ」

 

と笑顔で宣言します。

私たちは一斉に歓声をあげます。

このときばかりは、丸いふくよかな顔立ちが、仏サマにも見えました。

 

入山して十日、相次ぐ叱咤でNさんに不満タラタラのメモ帳ですが、この時ばかりは、素直に同調できました。

私たちは十分に里心をおこしていたのです。

 

山行計画は槍ヶ岳ののち、大キレット~穂高縦走~上高地ですが、槍ヶ岳から槍沢を下って上高地で終結します。

 

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西鎌尾根
【第4章】初の北アルプス縦走・唐松岳から上高地へ⑦~登らざる槍ヶ岳~

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは8年目(2023年4月現在)

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