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【登山余話28】南アルプス白根南嶺~㊦清澄な大展望~
山行データ2025年8月29日~31日。大門沢沿いに白根南嶺の尾根に突き上げ南下、広河内岳(2895m)から尾根道。笹山(黒河内岳・2728m)を経て奈良田に下山。72歳。単独、テント。 ...
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山行データ
16歳の蓼科山
登山と呼べる初めての経験は、名古屋市内の高校に通っていた高校2年(1969年)の8月のはじめ、夏休みに5人の友人たちとの一週間の美ヶ原~白樺湖旅行のおりに、蓼科山(2,531m)の山頂にたったことだ。


(背後に白樺湖。霧ヶ峰は雲に隠れる)
人任せの予定なので、バンガローでの徹夜マージャンの翌朝、蓼科山に登るのだといわれても、せいぜい30分も歩くくらいだろうとたかをくくっていた。
しかし、登山道は延々と続く。
樹林帯を抜けると巨岩が折り重なる斜面、さらに樹木がめっきり減って、とうとう岩ばかりの広々とした頂上に至るのだった。
ほぼ空身だが、心臓は激しく脈打ち全身が火照り、仲間の何人かは上半身裸になって斜面を駆け上がる風に吹かれる。
なんと涼しく爽快なことか。
途中で口にしたおにぎりのおいしかったこと!
曇り気味だが、足下にバンガローそばの白樺湖が小さく、その向こうへせりあがれば、・・・霧ヶ峰が広がっているはずだった。
蓼科山から霧ヶ峰
斜面を突進してくる強い風に、千切れた雲がいくつもまじっているのを、高校2年の私は大いに驚嘆し歓喜し高揚する。
見渡す景色は広大で、限りない解放感に満ちている。


(霧ヶ峰方面から、手前白樺湖、奥が蓼科山)
濃尾平野に日々を送る自分が、ふだんは高く仰ぐばかりの雲よりも高い所にいるという事実が、とてつもないカルチャーショックだった。
この旅の二日目の朝のこと、美ヶ原の旅館を出て雨霧が吹き付ける高原を横断してバス乗り継ぎ地まで歩いた20分足らずの緊張感とともに、強く心に残る蓼科山の山頂体験である。
ほかの5人もそれぞれに高ぶっているふうで、別のグループが近くで「ゲゲゲの鬼太郎」の替え歌のコーラスを始めると、私たちは意気投合し、「あめぇがふればぁ~」と「山賊の歌」を合唱した・・・いや、がなり立てた。
その蛮声は高原を渡り、青春のど真ん中にある少年にとって、夏の日の幸福な記憶としていつまでも心に残った、などと感傷的に作文することもできるが、そこまでの心象はなく、下山後はただちに麻雀だった。
麻雀のできない私は、バンガローの二段ベッドの上で肘枕をし、嬌声をあげながら牌を出し入れする友人たちを、タフだなぁとあきれながら見やっているのだった。
雑踏の車山
そんな昔話を、妻は何度か聞かされたすえ、車山に着いたことだろう。
この夏は、高原のホテルかロッジでのんびり食事付きで泊り、昼間は数時間程度の散策でどう?
そういう私の提案に、風呂必須の妻はすぐに飛びついた。
私にすれば、3千メートル級の緊張ある登山ではなく、高原の霧ヶ峰をゆっくりと散策するのもいいな、と。
霧ケ峰の西に広がる八島湿原そばの鷲ヶ峰(1,798m)には別の機会に登っているが、高原は一部をさらりと歩いた程度なのだ。
当日――のんびりと出れば十分だと思ったが、車山に近い9時過ぎのビーナスライン沿いの駐車場は、ひょっとして100台以上?が密集しているではないか。


(霧ヶ峰とビーナスライン=中央の白い横断線)
運よく1台のスペースを見つけたが、すごい人だかりが山頂を往復する。
犬を連れている人も一人ではなく、私たちは山頂で周囲に気兼ねしながら休憩する場所を探すのだった。
お盆に加え、こんなに青く広く晴れ渡った好日というのも人出の一因だろう。
白樺湖岸には、都会の遊園地みたいな施設や、近代的なホテルなどの宿泊施設が連なる。
そこの利用者たちも、車山界隈にいることだろう。
私たちは1時間ばかり歩いて山頂に着いたのだが、反対側からはスキーリフトで山頂直下まで運ばれてしまうのだから。
霧の子孫たち
大密集は観光道路ビーナスラインと関係する。
私が大学に入ったころ、美ヶ原から霧ヶ峰を貫くこの路線の功罪が大きな社会問題になっていた。
「美なしライン」
という揶揄もあった。


(松本市内から、真正面に美ヶ原西端の王ヶ鼻)
八島湿原(40ヘクタール)や中世の祭祀場の旧御射山遺跡が、道路建設によって破壊の危機にあるというのだ。
諏訪出身の作家新田次郎は反対運動に寄り添う視点から、小説『霧の子孫たち』を世に問うて(1970年)私も読んで同感した。
出版から半世紀以上がたった夏、私は妻と車山山頂の雑踏を逃れるように、初めて高原の内懐へ入ろう。
湿原の木道をたどり、登り返すほどに、ようやく高原の静けさに包まれる。
大きく波打つ広大な高原かと思えば、眠るような八島湿原を木道で一周し、夏草に深く覆われた旧御射山遺跡の裾をたどる。


(旧御射山遺跡)
ビーナスラインは今、この二か所に接しそうな近さで貫いていて、クルマのエンジン音が大きくてびっくりする。
破壊寸前の距離である。
反対運動の熱意が、この距離に投じられているのであろう。
5時間ほどの、ほどよい疲労感のある散策だったが、高原の変化に富んだ自然や歴史遺産を体感できる有難さと、ビーナスライン建設の功罪とを思うと、気持ちがどこか落ち着かない。
(続く)





