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【第6章】唐松岳から白馬岳、日本海へ⑤~若人の遭難碑から~
山行データ2002年8月8日-12日。49歳。単独。 3,000m峰はないが、日本海~3,000m峰全山~太平洋という旅に欠かすことはできない。 二日目は天狗山荘わきでテントを張ります。 ...
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山行データ
3,000m峰はないが、日本海~3,000m峰全山~太平洋の旅程から外せない。
三日目は白馬三山の賑わいを抜けて、雪倉岳の避難小屋まで。富山平野から吹き上げる強風に揺れながらの歩き。
初見のウルップソウに北方領土を連想する。
山上に秘密の庭園
祝日「山の日」を明日、初めて迎える。
おりよく高山を逍遙です。
白馬岳(2,932m)、その南に繋がる杓子岳(2,812m)、鑓ヶ岳(2,903m)、通称白馬三山に多くの登山者が集うお盆休み期間でもあります。
昨日の早朝、大糸線白馬駅前から真正面に、ごつい稜線を青空に彫り込んでいた三山。
いやがうえにも登山者を鼓舞する佳景でした。
三山周遊は定番の人気コース。
涼感あふれる白馬の大雪渓に包まれ、多彩な高山植物の可憐に彩られます。
(白馬駅前からのぞむ白馬三山)
定番コースから外れたわたしはというと、天狗平のテン場で翌朝を迎え、テントの外に出れば肌寒く、雲に囲まれて赤く染まる東の空を遠く水平に見やります。
テントはほかに一張りだけ。
振り返れば背中の尾根に雪渓が分厚く水源になっていて、日本海から吹き付ける西風も尾根が防いでくれます。
改めて素晴らしい野営地です。
秘密の山上庭園です。
昨夜の夕食はというと缶ビール、ニンニク焼き、チーズ、ソーセージなど。ぜいたく感いっぱいでした。
<狭いながらも楽しい我が家>
です。
夜半ーーテントが風でたわんだ時もありましたが、そよ風みたいなもの。
歩く気力の源の大景観
気分よくテントを撤収するにつけ、上越方面から南アルプス方面への大展望は、山稜が雲海から突き抜けて波打つ空中都市です。
(天狗平のテン場)
秒単位で明るさが増しおおきな風景が立体的に陰影を持つのに包まれていると、よし、きょうも歩くぞ、という気力が湧いてきます。
風は相変わらず強いのですが、雲が薄れると空はめまいを催すほど深く青く高い。
軽快な気分に満たされ尾根道を三山に向かいます。
左手に富山湾の大きな彎曲。
足取りは日本海に向かっています。
鑓ヶ岳の手前から白馬鑓ヶ岳温泉へ分岐。
(白馬三山に縦走者が途切れない)
ここは世界の分岐点。
チューリップのお花畑のようなにぎやかさと色彩の中高年の一行と行き違い、静寂とサヨナラです。
日本海の風圧のすごいこと。
羽があれば空に舞い上がれそうです。
いくつもの中高年グループと交差しつつ土砂と岩、わずかな植生ばかりの縦走路を登り下りしていると、足元に紫色のガマの穂のような花が目にとまります。
(おっ、これはウルップソウ?)
足をとめて、しげしげと見入ります。
間違いない。
名前に特徴があって特別な印象を抱く高山植物です。
ウルップソウは漢字で得撫草。
千島列島の孤島に咲く一輪を想像します。
北方領土のとなりの得撫島
北海道の最東端のマチ・根室の東端にある納沙布岬。
その沖合に北方領土(国後島・歯舞群島・色丹島・択捉島)が弧状に点在し、択捉島の先に得撫島。
根室に近い(といってもクルマで100kmはある)釧路に住んだ若い日、納沙布に立つと歯舞群島と国後島は眼前、その近さは驚くばかりです。
終戦時に千島列島を南進したソ連軍から逃れた日本人の多くが暮らし、根室は北方領土返還運動の最先端。
望郷の思いは、奪われた領海にひしめくカニや鮭などに重なります。
しかし戦後、狭い根室海峡に事実上の国境線が引かれます。
釧路時代の見聞によれば、北方領海での漁獲を見過ごしてもらうのに、駐在する当局者に取り入る(つまり袖の下)漁業者が公然と存在した。
そのコネクションがなく一か八かで出漁すれば、拿捕・連行・高額の罰金という事件も珍しくなかった。
現在も北方領土返還交渉は大きなニュースですが、ロシア(プーチン政権)が返還する兆しは皆無に見えます。
ウルップソウは、こうした連想を広げます。
ウルップというのは、先住民俗のアイヌ語由来であることも忘れてはなりません。
農事の代馬から大衆登山の白馬へ
地名や歴史が身近なのは、山名にも気づきます。
ハクサンフウロ(白山風露)、ハクザンコザクラ(白山小桜)は白山と花の名がつながり、漢字に書くと色気すら感じます。
南アルプス北岳(3,193m)に咲くキタダケソウ(北岳草)もそう。
山頂が間近い白馬岳も白が鮮烈。
(白馬岳の尖った山頂が見えてきた)
ただし白馬岳(はくばだけ)は代馬(しろうま)に由来するようです。
古くは山肌の残雪が馬の形をみせるころ、山麓では農耕馬を田に入れ代掻きをしたという説です。
雪形の代掻馬から代馬(しろうま)、代(しろ)と同音の白をあてて白馬(しろうま)、今度は読みを転じて白馬(はくば)に。
馬耕は機械が取って代わっていますが、山の文化や歴史が強靱に受け継がれています。
山の日に、こうした雑学も楽しい。
(古い農家の作りの白馬三山の麓=年代不明。絵はがき)
いよいよ白馬岳山頂へ。
右手下に視線を移すと大雪渓を登る一群を小さくとらえます。
わきの残雪の溶水を補給し巨大な山小屋を過ぎると山頂。
ガス、冷え込み、少数の登山者。景観はほぼなし。
7時過ぎに歩き始め、まだ11時35分。
じきにたくさんの登山者で賑わうことでしょう。
わたしは雪倉岳の避難小屋をめざし、リュックを背負います。
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【第6章】唐松岳から白馬岳、日本海へ⑦~つれづれに雪倉岳~
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