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南アルプス 登山記録 第10章[聖岳-赤石岳]

【第10章】聖岳から赤石岳③~聖岳に向かうひとり人~

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【第10章】聖岳から赤石岳②~カミの上河内岳に、お花畑~

山行データ1999年7月31日―8月3日、46歳。単独。静岡駅からバス便。 畑薙ダム(終点)から歩く。茶臼岳から上河内岳を経て聖岳(3,013m)、兎岳から百間平、赤石岳(3,120m)を踏んで椹島へ ...

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山行データ

1999年7月31日―8月3日、46歳。単独。静岡駅からバス便。
畑薙ダム(終点)から歩く。茶臼岳から上河内岳を経て聖岳(3,013m)、兎岳から百間平、赤石岳(3,120m)を踏んで椹島へ下山。
聖岳は南アルプスで最後に踏む3,000m峰。

 

聖平小屋のテントの一景


(上河内岳では雲が視界を狭くした)

 

上河内岳から鞍部におりきるといくらか平坦な広がりがあり、赤い屋根が目を引く聖平小屋聖岳を背負うかたちです。

 

小屋より少し低いところがテント場になっていて、中高年ふうの男性何人かがテントの外で向かい合ってあぐらをかいています。

 

ゆるやかな時間がここは漂っています。

今日はここで日長一日を過ごすのでしょう。

 

よい天気なのに先を稼がないのはもったいない。

 

そういう意見もあるでしょうが、好天のもとで存分にだらけるのもいいものです。


(好天の日に聖平小屋のテント場で憩う)

 

携帯電話を取り出してみると、電波は弱々しく通話があやしい。

 

現在はスマホが普及していて、今年(2022年)の西穂高岳中央アルプス空木岳など、たいていのところで通信できましたが、20年前の夏はアナログからデジタルへの移行初期。

 

アナログの携帯電話に電波が届かないことは、先の蝙蝠岳への蝙蝠尾根の森林でも経験しています。

 

アナログからデジタル、さらにスマホへと厚紙のようなコンピューターが手のひらにのり、中学生でも当たり前のようにポケットに入れているのだから、脅威どころか、恐怖に近い思いです。

 

山もアナログからデジタルへ

アレヨアレヨの通信革命です。

 

遭難救助に通信が必須なのは論を待ちませんが、スマホを四六時中チェックしてたいして内容のないやりとりなど、ふたをしたい。

 

そうして無為に時を過ごすことこそ、山遊びの醍醐味だと思います。


(聖平には木道。登山者の踏圧から自然を守るためでしょう)

 

下界で人と向き合っていると、会話や所作が途切れるときに、間の悪さを感じることが多々あります。

 

しかし、こういう山中ですと、不思議なもので、沈黙の時があっても苦にならず、淡々と過ごせるのです。

 

テントそばを通ったのが10時半ごろ。

 

先は胸をこする登りの連続です。

 

樹林帯を抜けて高山の砂利と岩肌が目立つようになると展望は格段に広がり、いよいよ3,000m級の稜線が大波をうちます。

 

約2時間で聖岳山頂に着きました。

 

残り1時間はきつかった。

大きな山です。

 

重力に逆らって重荷を担いで登るのは、ほとほと因果な行為です。


(聖岳から北に赤石岳、悪沢岳が懐かしい)

 

広い山頂で息をつくと、北には夏の白雲が赤石岳の頂をかすめていきます。

 

つい先日歩いた赤石岳から椹島へ下る尾根がこんなにも長い。

 

頂上には男性中高年が3人いて、名古屋からとか。

 

聖平に根を張るテント族らしく、ものすごい量の酒を持ち込んできたような口ぶりです。

 

こういう酒豪にとって、山旅の大汗こそ、極上の宴会を引き立ててくれます。

 

わたしは山頂でラーメンをこしらえます。

聖平で水を1リットル補給していますが、ラーメンで半分を使います。

 

 

水場などない山頂ですので、一滴の水すら粗末にしません。

水のありがたさ、アツアツのラーメンの味わい、山旅がしみます。

 

単独行者の夕暮れ

さて、今日のテント(宿泊)はどこにしよう。

 

聖岳を大下りし兎岳へ登り返すにつれ、時計と日の傾きとを交錯させながら思案します。

 

天気は崩れる気配はないので、当初予定の百間洞のテント場まで行くのもいいのでしょうが、日が落ちきる時刻になるかも知れません。


(雲がわいたり去ったりの聖岳山頂)

 

兎岳避難小屋がほどなくあるはずなので、そこにするか。

 

避難小屋のそばにかかると、左手の小屋を背に一人が座って聖岳と向かい合っています。

遠目ですが、男性で30歳代かそこらか。

 

あいさつを交わすほどの近さでもありませんし、縦走路からそちらにそれていくのも気が引ける雰囲気があります。

 

かれが遠望するありさまは、かつて日高山脈・幌尻岳七ッ沼カールの岩場で目撃したナキウサギの「瞑想」と呼ばれる姿を思い出させます。

余話18「日高山脈が国立公園に~追想のペテガリ岳、幌尻岳~」参照

 

夕暮れが近づいてきて色合いを変えていく聖岳を、どんな胸中でみやっているのでしょう。

 

ゴキゲンなテント場がある

わたしは瞑想を邪魔しないことにし、先へ。

テントなので、小さな場所さえあればどこでだって一夜を明かせますから。

 

兎岳を経て下って尾根を歩いていると、水場があるという小さな木札を見かけます。

 

本当?これはありがたい。


(水が草付きの斜面からしみ出しす)

 

尾根はやや広めの裸地になっていて、この天候なら一夜は問題ないでしょう。

以前は幕営地だったところのようです。

 

リュックをおろし、水場を確認しようと草付きの級斜面を少し下って行くと、チロチロと流れが透明に輝きます。

 

 

素晴らしい。

水があれば百人力です。

 

 

日が傾きかけている今、もはやだれ一人ここを通らないでしょう。

 

山の気に浸れる満願の一夜になるはずです。

テントを張り、中に潜り込めば、一宿一夜の主です。

 

 

しかし、穏やかな夜半どころではありませんでした。

 

 

(続く)

 

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは9年目(2024年4月現在)

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