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【第11章】南アルプスから富士山、田子の浦へ㊤5~野宿~
山行データ2003年9月5日-8日、50歳。単独。静岡駅からバス便。椹島から歩く。転付峠を越えて南アルプスの3000メートル峰と別れを告げ、一路、日本一の富士山を越え太平洋の潮に裸足を洗う。 &nbs ...
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山行データ
早川そばでの涼感の一夜
9月のあたまですので職場のある東京のど真ん中はまだ高層ビル群が真夏の熱を蓄えて暑いのでしょうが、早川の堤防そばの草地にテント泊は気持ちのいい朝を迎えました。
おかしな輩が河原に黄色いテントを張って・・・と不審と警戒をされないかと緊張したのですが、何一つ変わったことはありませんでした。
木陰を選んだので、人目につきにくかった筈です。
(本栖湖北岸から富士吉田への道のり=赤い線)
こういう気兼ねをしないですんだのは、槍穂高の玄関口であるJR松本駅です。
駅舎の外仮寝したことがありますが、大人数が往来するのにだれ一人訝しむことがありません。
登山者を受け入れてきたこと松本の文化といっていい。
ただ、現在の駅舎は、鉄、コンクリ、プラスチックなどを駆使した近代建築そのものです。
改札口のある2階のコンコースの端に、一夜を過ごすとみえる男性登山者が1人、まぶしく明るい通路にシートを広げていたのを見かけたときには、場違いなものを感じました。
数年前のことです。
都会の繁栄から離れて
早川町は平地には恵まれておらず、あちこちに家並みが現れます。
3大都市などに産業や資産が集まり、農業、林業、漁業などが衰退して人口減少、高齢化が進むばかりです。
都会には仕事はあるが肉体も精神もくたくた。
さりとて、自然を求めて地方へゆけば仕事への不安がつきまとう。
地方は地方で知恵を絞って移住を促します。
早川町もその例でしょう。
どうもそれらしい誘致活動が対岸の区割りにありそうです。
かくいうわたしも、この旅を終えれば、職場のある東京へと戻ってゆくわけです。
大都市の軌道から飛び出し、大気圏へ引き戻されるのです。
小雨がパラツク朝から、ぼんやりとした晴れに。
セミが鳴きだします。
身延のマチに入り、国道が交差するようになると、クルマ、クルマ、クルマ。
地方都市なりの喧噪です。
早川は北から南へと流れる富士川に直角に合流します
富士山への接近を意識させる川の名前です。
鮎釣りを常葉川に見る
山の名と、それを源流とする川の名というと・・・。
剣岳に剣川はありませんし(剣沢はある)。
白山に白山川はありませんし。
表だって動きを見せない自然の中に、川だけが圧倒的に躍動します。
富士川を渡り、支流の常葉川沿いになると再び登りです。
川に入って、何人かが長い釣り竿をしならせています。
鮎釣りのようです。
海からこんなにも遠いというのに、鮎ははるばると遡上するようです。
ちょっとリュックをおろして様子をみます。
しばらくすると、中年の男性が一人、川岸から道路をつなぐコンクリの階段を登ってきます。
「おたく(わたしのこと)は釣りじゃぁないんだ?」
「歩いています」
「どこから?きょうはいい風だからいいね。急がないんでしょ?富士川が濁っていてつれないんで支流にきてみたんだが・・・」
「籠に鮎がいますね。釣れたんですか?」
「これは、おとりの鮎でね」
他愛のないおしゃべりに、いい風が吹いてきます。
本栖湖は恐ろしい
小さな集落を抜けながら、くねくねとのぼるアスファルト道路は、平坦な市街よりはよほど歩きやすい。
それでも靴も靴下も脱いで足をもみほぐさないでは足が窒息してしまいます。
標高が高くなりました。
アケビの身が白く割れて、路上に散らばっているではありませんか。
秋がここに香ります。
子供の頃の憧れた、希少な山の実り。
この手でもいでみたいと願っても叶わなかった果実です。
木々がしのぎを削る山中に実るという野趣に感動がありました。
黒いゴマのようなタネを拾います。
(庭にまいたら育つだろうか?)
南アルプス展望台というところも、天気がすぐれず厚い雲ばかりです。
ようやく平坦なところに出て、馬蹄形の中ノ倉トンネルを抜けます。
(本栖湖が右手先に広がる)
暗がりから外に出ると、どんよりとした大気の底に巨大な湖が出現しました。
本栖湖。
富士五湖の一つです。
その向こうにドンと富士山です。
初対面のこの水塊に、わたしはゾッとします。
心踊る感動とはほど遠い、身震いするほどの恐怖です。
富士川との標高差700メートルをたどった斜面は、この湖水を溜め置く防波堤なのです。
大地震でもおきて防波堤が決壊したら、想像を絶するエネルギーとなって富士川に突入する妄想を抱いたのです。
人の暮らしは壊滅的な被害を免れません。
富士山の火山活動で生まれた本栖湖です。
逆が起きない理屈はないと思うと、絶景どころではありません。
午後5時過ぎ。
朝6時から、11時間の日程を終え湖畔でテント。
テント場は、わたしきりである。
翌日、ボート乗り場などがある湖畔まで歩いたところで、富士吉田の浅間神社までの予定をやめてしまいました。
(巨大エネルギーを溜めて静かな本栖湖)
湖畔の一夜が明けると、歩く気力が萎えているのでした。
湖の静寂が内に持つ巨大エネルギーが息苦しかったのかも知れません。
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【第11章】南アルプスから富士山、田子の浦へ㊥-1~上九一色村~
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