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【第11章】南アルプスから富士山、田子の浦へ㊥-3~雨の富士山麓~
山行データ2006年7月22日―23日、53歳。単独。本栖湖までバス便。冨士浅間神社から廃れた旧道を経て山頂を踏み、太平洋の田子ノ浦の潮まで踏破する計画だが、今回はかつての登山口である冨士浅間神社まで ...
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山行データ
富士山ツアーは新幹線で
頻繁に届く全国各地への旅行案内チラシに、富士登山も見かける。
このブログの富士山行は2006年8月の真夏だが、手元のチラシは2024年夏山用。
28年を経ても、チラシの内容は06年に見聞した富士登山の上書きのようだ。
つまり、富士登山は世界文化遺産登録を挟んで、ずっと観光商品ということだ。
チラシが誘客する商品は3コースあり、名古屋駅から新幹線を利用する。
富士宮口、吉田口(冨士浅間神社方面)からの、2泊3日、もしくは1泊2日の日程。
吉田口のコースでは、初日に5合目から7合目まで。
2日目に登頂を果たして再び7合目で宿泊。
3日目は朝にご来光を期待し、5合目から下山後は温泉で汗を落として帰宅の新幹線に乗る。
夏山の6、7、8,9月。費用は9万5千円~11万円。
ガイドが同行し、年齢制限は75歳。
登山の難易度は中級という見立てだ。
現代の団体登山
高度に慣れた翌日、山頂を往復し、ガイドも付き添うというのは、特に高山病に配慮してのことだろう。
何度か登った北アルプスの立山・雄山(3003m)などで、高山ゆえに頭痛などの体調不良に罹ってぐったりしている例はかなり見聞してきた。
まして、それよりも700mも高い3776m。
山岳という特殊な旅行商品だけに、体調への配慮は必須だ。
このチラシには、富士山以外にも大雪山、尾瀬沼ハイキング、屋久島トレッキングなど、いわゆる日本百名山への商品が紹介されている。
さて、江戸時代に盛んだった講(仲間)を組織した団体登山は歩け歩けだったが、道路や交通機関が発展した現代では、5合目まではバス便で労せずして運ばれる。
わたしが仕上げようとしているのは、徒歩で全ルート(日本海~太平洋)をつなぐこと。
アナログ一直線の山旅なので、前回の冨士浅間神社からも、エッチラオッチラ踏み重ねなくてはならない。
そうして今回に至って、富士山頂を踏んで静岡側に下る。
初めて踏み入れる富士山。
(夏空に富士山がはめ込まれている)
今日の予定はこうだ。
5合目を越えて、ほどほどのところで登山道を外れ、寝袋にもぐって何時間か仮眠する。
今朝は早起きだったから、寝不足を取り戻そう。
夏山ピーク時なので、雑踏並みの登山者が途切れることはないだろうから、登山道近くだとはみ出したマナー知らずに踏まれて痛い目にあうから注意が必要だ。
目が覚めたら、ヘッドランプで明かりをとり山頂を目指す。
山頂を越えたら、できれば太平洋まで歩ききってしまう。
これで長い旅路は、ジ・エンド、完結。
(19歳の夏を起点にした山旅が、34年後に一区切りがつけられる!)
こういう想像は、けっこう楽しい。
想像上の地図に踏破線を引いては、愉悦、ニヤニヤ。
夏祭りの浅間神社
先週梅雨が明け、盛夏の日々だ。
富士吉田は快晴。
富士山は青い三角をして空に突き上げている。
アパートを4時起き。
新宿を7時10分のバスに乗る。
乗客を見ると、サンダル、肩掛けの小物入れ、ショートスリーブと、明らかに高原旅行ふうに明るい装いだが、わたしのような登山目的と分かる身だしなみが少し混じる。
富士吉田で降りたのはわたしを含めて2人。
それ以外の大半は手前の、山麓の大遊園地で降りていった。
10時5分に浅間神社。
リュックを背にした若い登山者3人が先にいて、しきりに日焼け防止クリームを露わなところにすり込んでいる。
先週は大木にしめ縄を巻いてあったが、この一週間で、どうやら祭りの準備が佳境に入っているようだ。
プロレスのリングのような舞台を設けているところだ。
祭りの舞台のようだ。
(祭りの舞台設営が進む)
境内を流れる小さな水路で足を洗う高齢者とその孫らしい子供2人。
境内で足を洗うと、なにかお清めの御利益があるのだろうか。
鳥居をくぐってから登る
アパートを出る前にシャワーを浴びてきたので、自分も身を清めているのだと、心理的なつじつま合わせをする。
富士山は、願わくば、麓の里宮の鳥居をくぐってから登る山なのだろう。
けれども5合目出発のバス登山では、清めの段取りが省略されている。
同じく北アルプス立山は麓に雄山神社があるが、そうする人がどれだけいることか。
穂高連峰には上高地から1時間ほど梓川沿いに歩いた明神池のほとりに穂高神社奥宮あるが、ここに登山前のあいさつをする人がいるのかどうか。
浅間神社のわきからは、まっすぐな一本道が南の富士山を目がけて伸びている。
富士山の圧を真正面から浴びる感覚がする。
山頂まで遠いのか近いのか、距離感がはかれない。
11時30分。
中の茶屋というところにつくと、何と大型バスが止まっている。
(中の茶屋)
明らかに登山、ないしは数時間の散策ふうの人たちが何人もいる。
旧道などはお呼びでない、関心の外、遺物扱いと想像していたので思いがけない光景だ。
(続く)