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南アルプス 登山記録 第11章[南アル-富士山、田子の浦]

【第11章】南アルプスから富士山、田子の浦へ㊦3~大混雑と渋滞の山頂

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【第11章】南アルプスから富士山、田子の浦へ㊦-2~旧道沿いに茶屋が朽ちる

山行データ2006年8月4日~5日、53歳。単独。冨士浅間神社から旧道を経て五合目。山頂を踏んで、一気に太平洋の田子ノ浦の潮まで歩ききるか。   2024年の富士山に予約制 いくら何でも、節 ...

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山行データ

2006年8月4日~5日、53歳。単独。冨士浅間神社から旧道を経て五合目。山頂を踏みできれば、一気に太平洋の田子ノ浦の潮まで踏破する。

 

五合目とゴミ回収車

馬返しからの旧道に沿い、戸を閉ざしたままの茶屋をいくつも見かける。

五合目まで車道が開かれ、富士登山の流れはそちらが断然優勢になって久しい。

 

旧道を静かに散策する団体もあって、中の茶屋で目にしたバス便の人たちかも知れない。

 

廃屋の色あせた看板には、手書きで「FIVE STATION」というのもある。

外国人客を意識している。

 

旧道からアスファストの道にふいに出ると、小型トラックが止まっていて数人がガヤガヤ言い交わしながら、荷台にゴミ袋を乗せている。

きなり富士山のゴミ問題を目にする。


(ゴミ問題が五合目で露わに)

 

わたしの見聞で言うと、たとえば北アルプス北穂高岳の北にある岩塊の難所・大キレットですら、ペットボトルを急斜面に見かけたくらだ。

 

縦走路から10メートルもないが、一歩を踏み出すと滝谷へ滑落しそうで、そのペットボトルを持ち帰ることはできなかった。

 

大キレットのような限られた登山者しか入らないところですらこの調子なので、だれかれなく登ってしまう富士山なら、このトラックのような収集活動は大変な苦労に違いない。

 

今や普通名詞になっている「観光公害」の一つだ。

「旅の恥はかきすて」と同じ文脈で、平然とゴミ捨てをする登山者が相当数いる。

 

一変して荒地の斜面

五合目は、バスでやってきた人たちがすごい数だ。


(五合目の山小屋のにぎわい)

 

合流し、三々五々、山頂への一本道をたどる。

 

五合目までの旧道の静けさは、ここから一変。

ざらざらと火山性の小石や砂ばかりの荒れ地になる。

 

遠目に優美な富士山の美肌は、こんなにも粗い。

小石と土砂の坂道は足元が定まらず、とても歩きにくい。

 

ジーンズの外国人女性連れなども目につき、「フジヤマ」の人気のほどがわかる。

老若男女を問わず、日本人も陸続と歩いている。

天気は安定していて、風雨の恐れはない。

 

暗くなってから、ある小屋の裏手に登山道から逃れ、予定通り仮眠しようとマットを地面に敷き、寝袋にもぐリこむ。

 

早起きと浅間神社からの10時間以上を歩いて疲れているはずが、いっこうに眠くならない。

至近距離を途切れることなく登山者が通るせいでもあるまい。

 

ままよ。

決断して再び歩くことにする。

 

眠気がきたらどこかで寝てやれ。

 

深海から湧くヘビの燐光のごとく

途中には小屋がいくつかあり、煌々と明かりがともり、闇夜の繁華街のようだ。

不夜城という、あれ。

 

わたしたちは、漆黒の闇に輝く一点の明かりに吸い込まれる昆虫の群れのようなものだ。

 

休憩したり、食事をしたり、私語を交わす人たちには、明らかに高揚している。

もしくはトランス状態といった方がいいか。

 

富士山の山頂が間近だという皮膚感覚、暗闇、キリリと冷えた大気。

 

あらゆる利器に囲まれている街中の日々と切り離された環境。

山頂へは一本道しかない。


(真夜中に途切れない登山者)

 

歩くにつれ、いつの間にか、わたしの前後に登山者がすし詰めになっている。

 

暗い斜面を下に振り返れば、ヘビが這いずるような一本の長くくねる光の筋がある。

すごい数の登山者が、ヘッドランプを照らしているのだ。

 

一部のすきもない。

大渋滞。

進んでいるのか、いないのか。

 

ここで寝ておくか。

 

登山道を少し離れて、そのままゴロンと横になる。

頭付近に傘を差し掛けて、間違って踏んづけられないように用心する。

 

それでも、渋滞からはみ出した登山者に、傘が何度も蹴飛ばされる。

 

「あれ?人がいる」

などという声も降ってくる。

 

山頂は・・・とにかく眠い

東の空がごくわずかだが、夜明けの前触れのような茫洋とした兆しを見せる。

ここへきて、足がなかなかはかどらない。

 

「ご来光だぞ!」

 

いくつも明るい声があがったのをしおに、わたしも起き上がる。

 

やや分厚い灰色の雲を裂いて、オレンジから金色に変わった陽光を真横から浴びる。

 

標高が高いせいだろう、太陽と自分とが今は同じ高さにいるように感じる。

 

目と鼻の先に頂上の鳥居らしきものが見えるが、人の流れはお盆の高速道路の大渋滞と同じだ。

 

下山する登山者が登山道から離れ、スキーの直滑降のように、土煙をあげて下っていく。

 

(登山道を外れるな!)

 

と注意する大声を近くから聞いた気がするが、どこふく風である。

数歩ずつ進んでは止まりつつ、ようやく山頂のへり(噴火口のへり)に着地する。

 

寺社の門前町のようにして、土産物店(飲食も)がある。

睡眠不足と疲労がはなはだしい。

 

頭の中がふわふわと揺れている。

とにかく寝転がりたい。

すこし左回りに歩くと、先客が何人も横たわっている。


(登山道沿いに横たわり休む人たち=右手前)

 

睡眠不足、疲労、あるいは高山の気圧や薄い空気に体が参っているのか。

わたしも歩行の邪魔にならないところで、リュックを枕にゴロンとする。

 

陽光は容赦なく、目にも肌にも痛い。

傘が胸から上部に日影を作るように置く。

 

見えも外聞もない。

眠りに落ちるのに、10秒とかからなかったと思う。

 

・・・さらに下山が待つ弾丸登山なんぞ、するものではない。

 

(続く)

 

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは9年目(2024年4月現在)

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