このブログには、<山と空と風と、海> とタイトルをつけました。
「日本海の富山湾(親不知海岸)と太平洋・駿河湾(田子の浦海岸)を結び、3,000メートル峰のすべてを歩いた」という内容のお話ですが、一度にではなく、小分けにして歩きつないでいます。
アスファルトのマチの道もぜんぶ、歩いています。
二つの海岸を直線で結ぶとざっと260キロ、新幹線でいうと東京~浜松くらいです。
その間を、二本の足で歩いています。
そのことを書くのにタイトルを、的確・簡潔につけることが難しい。
(北アルプス・奥黒部 読売新道から赤牛岳を経て水晶岳への尾根。北ア最深部は縦走者もまばらだ=2008月7月29日)
伝説の単独行者加藤文太郎の実直を骨太に描いた『孤高の人』(新田次郎)、厳冬の前穂高岳岸壁登攀のザイル切断遭難の真相を謎解きながら男女の機微・恋愛を陰影深く描いた『氷壁』(井上靖)など、小説家の巧みな書名には、さすがだと感服します。
ノンフィクションでも『日本アルプスの登山と探検』(ウエストン)など、内容をズバリと言い得て堂々としています。
日本の近代登山を開明した登山もさることながら、ウエスタンが観察する日本の庶民、風俗が大変におもしろい。
もう一つ書名をあげれば、『青春を山に賭けて』(植村直己)は、世界の高峰や極圏の探検など、一つ一つが社会現象になった植村さんだけに許されるタイトルです。
青春の尊い記録の価値がありますから。
山のことを書くからと言って、植村さんの真似は危険です。
凡百の一人にすぎない山好きが腕まくりし、似たタイトルで一文を書けば、噴飯もの、物笑いのタネでしょう。
そこで、とっさのタイトルが <山と空と風と、海>です。
<3千メートルの峰々を歩きつないで、二つの海へ>の方がいいかな…。
ともあれ、第一勘でひらめいたタイトルで続けてみます。
これなら筆者の思い入れ過剰がなく、事実の並列ですから。
(美ヶ原から蓼科山方面を展望する。2014年9月)
当ブログのジャンルについて
拙文の、「ジャンルは何か」と聞かれると、これが一番困ります。
読んで下さる方が、めいめいに判断して下さい。
紀行でも、随想でも、あるいは道端の世間話とみてもかまいません。
<山と空と風と、海>の山旅は、19歳の夏から50歳代半ばまでの出来事が中心になります。
大急ぎで年表をめくりますと、19歳というと、1972年(昭和47年)。
1月にはグアム島で旧日本軍の横井庄一さんが発見され、5月には沖縄がアメリカから日本に返還されました。
歴史の教科書をめくって過去を知るような時の営みを感じてしまいます。
いや、こんな、もって回った言い方を改めましょう。
素直に年をとったと言い切りましょう。
その分、今の目を時々持ち込み、若い日の山歩きを語る言葉もあることでしょう。
斜め読みのススメ
深田久弥の『日本百名山』のピークハンティングの参考にと期待する方々には、はなから失望を約束します。
これまでに山頂を踏んだ百名山を大急ぎで数えますと39座ですが、行きがかりにそうなっただけで、その数を増やす予定はありません。
(白山・笈ケ岳=中央奥、その左は大笠山=1994年4月16~17日)
それぞれの山旅には当時の年齢、日時などのデータをのせるよう心がけますが、所用時間は往々にして長くなりがちです。
途中で寝ころんで道草をしたり、日向ぼっこをしたり、スケッチをしたりしているので、仕方がありません。
一日中だれとも遭遇しない山道を歩き、路傍にテントを張ることもあるはずです。
そういう見当で、頬杖をつきながら、お茶でもズズッとすすり、あくびを我慢せずに、斜め読みしていただければ望外の喜びです。
では、次回から本題に入りましょう。
2014年9月27日噴火し、60人以上の犠牲・不明者を出した御嶽山への旅から始めます。
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【第1章】御嶽山の①~木曽福島、鈍行列車の小景~
【写真説明】 乗鞍岳から飛騨へ下る登山道から御岳山(右)をのぞむ。緑のハイマツ斜面と青い御岳山の間を白雲が埋める。左の峰続きは中央アルプス。 山行データ51歳。2004年9月18~20日 ...
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この記事に出てきた書籍まとめ
本記事でご紹介した書籍をまとめました。
気になる本があれば、ぜひ手にとってみて下さい。
本記事に出てきた書籍
- 孤高の人(新田次郎)
- 日本アルプスの登山と探検(ウォルター・ウェストン)
- 氷壁(井上靖)
- 青春を山に賭けて(植村直己)
- 日本百名山(深田久弥)
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【第1章】御嶽山の①~木曽福島、鈍行列車の小景~
【写真説明】 乗鞍岳から飛騨へ下る登山道から御岳山(右)をのぞむ。緑のハイマツ斜面と青い御岳山の間を白雲が埋める。左の峰続きは中央アルプス。 山行データ51歳。2004年9月18~20日 ...
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