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【第6章】唐松岳から白馬岳、日本海へ⑨~長々と北上する栂海新道~
山行データ2002年8月8日-12日。49歳。単独。 3,000m峰はないが、日本海~3,000m峰全山~太平洋の旅程から外せない。 日本海へ導いてくれる栂海新道は、果てないほどに長く感 ...
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山行データ
3,000m峰はないが、日本海~3,000m峰全山~太平洋の旅程から外せない。
栂海新道をたどり、二つの無人小屋に泊まりつなぎ、雨の中を日本海へ。
栂海山荘で明日に備える
栂海山荘に着いたのは、わたしが一番遅かった。
一、二階が低く区割けしてある渋い山小屋です。
<さて、どこにリュックを下ろそうか・・・>
入り口に立って見回すと、15人ほどの宿泊者がめいめいの持ち物を広げていました。
雪倉岳の山頂で出会った例の女性が私と正面の位置で目が合って、
「こっち、ウチらいますねん」
やんわりとテリトリー不可侵を主張します。
了解。
不可侵条約が発効し、右手の区割りの二階へ登りました。
広くすいていて湿った雨具を吊るしました。
ジトジトと続いた山の雨が、じんわりと肌にへばりついています。
汗と交わった不快を拭い去ります。
すぐに食事。
ビールも焼酎も切れてなし。
ビーフンの炒めものに大豆を入れましたが、たいしておいしくない。
紅茶を沸かし、水もどんどん飲みます。
クルマにガソリンを補給するようなもの。
漁火が見える・・・
明後日には足をひたす日本海からは1,600m高く、白馬岳からは1,300m低い。
その一点にいることを強く意識します。
限られた植物だけが地を這う白馬岳稜線の自然とは違い、山小屋あたりにはダケカンバが太く高く育つ森林地帯に入っています。
里山というには人の匂いはなく、8月の夜気は涼しいどころか寒い。
早々に寝袋に深く潜り込んで、体を丸めます。
食事と水分を得た体が十分に温かくなり、明日の朝には疲れが散り散っているよう期待します。
<漁火が見える・・・>
そういう声をだれかが発したような、うつろな記憶があります。
あるいは日本海を想像したがるわたしの内面が呟いたのかもしれません。
長い栂海新道もいよいよ残りわずかです。
<栂海新道は、日本海の海抜0mから白鳥山(1,286.9m)、犬ヶ岳(1,592m)を経て朝日岳(2,418m)を結ぶ北アルプス最北部の縦走路である>
糸魚川観光ガイド(ネット)が紹介するくらいですから、ふるさとを特筆する登山道なのです。
時々アウトドア系の雑誌で紹介されるので、知名度も高いことだろう。
しかし、長くつらい道のりを覚悟しなくてはいけない。
白鳥小屋の無為な一日を思う
とはいえ、波が岩を洗う日本海から標高3,000mの高山へとつながっていく道のりは、何と心躍ることでしょう。
信州大学山岳部の学生のほかにも、行き違った何人かの登山者は、そうした喜びを手にする特権を行使したのです。
山旅の初めの一歩は海の汐にひたして、先の万歩を踏み出したいという思いは、いつもわたしを刺激します。
今のように、山を下って汐に触れることにうしろめたさすらチクリと胸を刺しますが、いかんともしがたい。
明日は時間をたっぷりとって、白鳥小屋で最後の一夜を過ごす予定です。
建つ標高から、ブナ林のただ中に建つ質素な小屋を想像します。
何もしないでごろごろする一日に身を浸すのです。
次から次へと、何かをしなくては落ち着かないのが、東京での仕事の日々です。
その流れをすっぱりと断ち切るのに、さらによい一日になることでしょう。
茫漠と時の流れに没し熱い茶を飲み、寝袋にくるまって寒さをしのぐ。
今度の山旅の出来事をあれこれと思い出すことでしょう。
日本海に至る山旅の最後を、白鳥小屋での無為な一日が締めくくってくれることでしょう。
ーー白鳥小屋。
明け放した小屋の表戸から、冷気が容赦なく入り込んできます。
後続の下山者はいません。
雨が降っています。
冷たさは体の芯までしみてきそうです。
止む気配はありません。
無人の小屋。
上がり框に腰をおろし、入り口に四角く区切られた雨に煙る森林を緩やかに眺めおろしています。
雨中にリュックを背に日本海へ
まだ9時を少し過ぎたばかりです。
昨夜、栂海山荘で一緒になった登山者は、とっくに高みを目指すか、日本海へと下っていったのでしょう。
日本海へ到達するのには、十分すぎる時間があるのです。
人の気配はわたしの呼吸だけです。
しきりに迷いが湧いてきます。
(今日のうちに海岸まで下ってしまおうか・・・)
細い密な雨足を見やりながら、考えます。
一日をこの小屋でやり過ごすこの先の時間が、あまりに長く感じられます。
朝焼けを見て栂海山荘を出たのが5時過ぎのこと。
それより先、まだ暗さが濃い明け方、小屋の二階の窓から、海に浮くようなマチの灯り(糸魚川の市街?)、そして遠くには漁火らしい灯り、魂の揺らぎのように3つ4つと目にしました。
里の雰囲気が濃厚なのです。
ひとしきり下ってきたブナ林も里の匂いを持っています。
雨音は絶えず視線を外の広い森林に誘います。
単調、無機質な雨音。
小屋にぶつかり破裂する無数の雨粒。
話し相手はいません、自分の心に問いかけるばかりです。
腕時計を見ます。
秒針が小刻みに進み、明日まで過ごす時間が、陰気な重みを持ち始めています。
明朝まで一人でこの小屋で過ごすことが、えらくつまらなくなってきます。
<今日のうちに日本海の汐に足をひたすか>
「そうしよう。計画変更だ」。声に出しリュックを背にします。
深く吸って吐く息が、口のあたりで白く渦を巻きます。
雨中を日本海へ。
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【第6章】唐松岳から白馬岳、日本海⑪~ざんざ降りの日本海~
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