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登山余話 登山記録

【登山余話11】蓼科山ー1969年8月、16歳の夏旅

前回の余話
ハクサンフウロと美しの塔
【登山余話10】新型コロナ猛威の夏、蝶ヶ岳から霧ヶ峰へ⑤

  山行データ2020年8月10~11日。67歳。妻と。名古屋(クルマ)沢渡(シャトルバス)上高地(歩き)徳沢ロッジ二泊。下山後松本一泊、13、14日と美ヶ原~霧ヶ峰散策、霧ヶ峰二泊。 &n ...

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山行データ

2020年8月10~11日。67歳。妻と。名古屋(クルマ)沢渡(シャトルバス)上高地(歩き)徳沢ロッジ二泊。下山後松本一泊、13、14日と美ヶ原~霧ヶ峰散策、霧ヶ峰二泊。

 

新型コロナで明けた新年と百名山

新型コロナの猛威は年を明けてもおさまる気配がありません。

イギリスやアメリカでワクチン投与が始まったとはいえ、その効果が現れ、その他の感染対策が機能し合わなければ、日々の生活は不安におびえ続けることでしょう。

 

一年延期になった東京五輪は中止にした方がいい、という世論も高くなっています。

そうではあれ、日々の暮らしはやってきます。

 

音楽や映画が明日への励みや活力になる、山歩きを生活の一部にして楽しむ人も相当数います。

わたしも、その末席にいます。

 

新年の雑誌『山と溪谷2021年1月号』は、深田久弥の『日本百名山』を特集して山行を誘います。

百名山特集は初ではありません。それだけ、登山愛好家の関心が高いということなのでしょう。

冬の五色ヶ原
(冬の五色ヶ原=中央の平地=右手は薬師岳)

 

ページをめくり歩いた山々のカラー写真を眺めると、リュックを背負い直そうとして石につまずき、リュックごと左顔面を平たい岩に打ち付け、ゴンとすごい衝撃があったなぁ(けがはなし。五色ヶ原への道のり)などと、印象的な出来事を思い出します。

 

 

白樺湖畔から八子ヶ峰、徹夜麻雀

百名山の一つ蓼科山は、わたしにとって大切な一座です。

 

高校2年の8月(1969年)に友人たちと美ヶ原・霧ヶ峰~白樺湖を旅行したのは単行本『日本百名山』の出版後のことですが、百名山に刺激された旅行ではありません。

偶然に美ヶ原についで登ったのが、蓼科山です。

 

16歳の夏、意図せず、一度に百名山のうち二座を済ませたことになります。

白樺湖畔のバンガロー1棟に六人が泊まりで自炊。

 

天気が回復し白樺湖が背負う八子ヶ峰を散策です。

 

 

「ここから眺める白樺湖は丸で俺の手中にあるようだ」

「低い雲が急ぎ足で動いている」

「赤トンボもたくさんいる。オレが来たらみんな逃げていってしまった」

 

 

などと、記します。

 

戻れば「徹夜麻雀」を宣言。

わたしは麻雀ができないので、埋め合わせに参加しただけで、二段ベッドの上段から眺めていただけです。

 

何かにつけてちょこちょこ書き付けていましたので、麻雀をしていて何か不機嫌なことがあったNなどは、「Nが拗ねたと書いてくれ」などと言っていたものでした。

 

徹夜麻雀と蓼科山登山

白樺湖畔にはわたしたち以外にもたくさんの人出がありました。

わたしたちのバンガロー近くでは、たき火とその周りでフォークダンスをしているグループがあります。

 

昼間は湖面にボートが浮かび、湖畔では散歩です。

静かなものです。

 

麻雀を見飽きて、寝袋の中で寝たり起きたりして朝を迎えます。

本当に徹夜麻雀をやったといいます。

 

朝ご飯を食べると、8時くらいからまた麻雀。

あきれて、タフ。

 

六人の高校二年生が一週間近く同居すれば、我が尖り、言葉がすれ違い、感情がぶつかり、けっこう剥き出しになるときがあります。


(女神湖でボートに遊ぶ=1969年8月)

 

蓼科山登山は、そうした曲折ある旅の終盤に組まれていました。

わたしたちは名古屋市内の高校生です。

 

高校近辺には多少の起伏はありますが、振り仰ぐほどの高い山はありません。

ですから、「蓼科山に登るぞ」と歩き始めても、せいぜい30分程度で帰ってこられるだとうと、わたしはたかをくくっていました。

 

やや雲がありますが、安定した空模様です。

しかし、登れども登れども、蓼科山の頂に到達しません。

しんどくて見上げれば、前方に巨岩が折り重なるばかり、その先には樹林帯が広がっています。

 

体が熱を帯びてきます。

薄手のセーターが邪魔になります。

 

仲間と前後して、意味もなくしゃべり、からかい、笑い合い、けなし合ううちに、高度をかせいで頂上に向かうのでした。

 

雲駆け上がる山頂で合唱合戦

途中で頬張った握り飯のおいしかったこと!!

 

アタマがズキズキ痛む、気圧の低い高いところに登っていくせいでしょう。

あまりにも体がほてり、わたしを含め四人までが、上半身はだかになり休憩します。

 

雲がものすごい速さで迫ってきます。

そうして、やっとのことで山頂です。

岩だらけ。

 

いびつな巨岩が広がる奇妙な眺めです。

 

 

「とうとうやってきた。疲れた。しかし、頂上までのぼりきったという喜びはなんともいえない。」

 

 

手帳に殴り書きです。


(蓼科山山頂で仲間と。奥は白樺湖=1969年8月)

 

眼下にする女神湖から湧き出したように、薄衣のような雲のひとひらが山の斜面をかけあげってくるのです。

雲が自分より下にあるという奇妙な快感。

 

違うルートでやってきた10人くらいのグループが、「ゲゲゲの鬼太郎」の節で替え歌を歌い始めます。

 

 

「おい、こっちも歌おうぜ!!」

 

 

わたしたちは「山賊の歌」をめちゃくちゃにがなります。

「あめ、が、降れば・・・」という歌です。

相手も負けるものかと。

 

山頂はしばらく、二つの、決して神の坐する蓼科山にふさわしくないがさつな騒音に満ち満ちたのでした。

そして、わたしたちはといえば、下山後はまたしても麻雀なのでした。

 

16歳夏の信州高原半登山旅行は、素晴らしい経験になりました。

新型コロナウイルスによって、修学旅行の縮小・中止、旅行控えなどがありますが、学生時代に未知の自然や風土を自ら旅行をすることは、将来への大切な礎になるように思えるのです。

 

(この項、終わり)

次の余話
展望
【登山余話12】初雪の立山・浄土山から五色ヶ原を見る

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは9年目(2024年4月現在)

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