-
【登山余話18】日高山脈が国立公園に~追想のペテガリ岳、幌尻岳~
波砕ける襟裳岬から最高峰・幌尻岳へ この夏山(2022年)を想像していると、北海道の日高山脈が現在の国定公園から国立公園へと昇格するというではないか。(6月15日新聞報道など)。 思い出 ...
続きを見る
山行データ
69歳。妻と2人。
コロナ下の「山の日」、にぎわう上高地から
コロナの蔓延に収束が見えず、一方で人の動きは登山でも活発になり、人気のテント場は今年も予約制です。
コロナばかりか、世界はロシアのウクライナ侵略に震撼・反発し、日本国内では安倍元首相が暗殺される事件が発生しました。
岸田首相が早々と安倍さんを「国葬とする」と発表し、安倍政治への反発、旧統一教会と安倍さん、自民党政治家との深い関係が疑われ、マスコミの世論調査は「国葬反対」が勝っています。
平和の尊さを思い台風の接近も気がかりな日に、西穂高岳にでかけます。
もう一度、独標を訪ねよう。
(河童橋近くで、スタンプラリーの催し)
ちょうど10年前の8月初め。
奥穂高岳からジャンダルムを経て単独で西穂へと歩きました。
岩塊また岩塊、やせて上下する尾根など、遭難の危険と隣り合わせの道のりの末に西穂高岳山頂。
さらに岩尾根を上下し、垂壁のような岩肌をのぼると独標。
(ようやく、ここに来た)
そう思ったものです。
学校登山の高校生らが落雷死
独標頂きで、何か痕跡があるのでは?とうろうろします。
ほどなく上高地側の平たい岩に、数本の線香の燃え残りを目に留めました。
確信します。
1967年8月1日。独標辺りで激烈な落雷に打たれて犠牲になった松本深志高校生徒らの関係者が、ごく最近、慰霊したのだと。
この遭難は、当時中学生だったわたしにも衝撃でした。
午後1時30分ごろ、学校登山(希望者)で西穂から下山のさなかに、落雷が発生。
生徒らが次々に犠牲になりました。
死者11名、重軽傷者12名(一般登山者1名を含む)。
これ以外にも、手足のしびれややけどを負う人もいた。
犠牲者の多くは独標の北側斜面で被雷した。
(ここから西穂高岳へ)
この5年後(大学2年)わたしは、夏山縦走の五色ヶ原で暴風雨、落雷の恐怖のただ中にいました。
雷は大音響で地面を揺すぶり、テントのごく近辺にいくつも落ちました。
ブオンブオンと不気味に唸るのは、テント外に置いてある4人のピッケルが電気を帯びているからか。
青白く発光を繰り返して落下する雷の刃先は、犠牲を求めているかのようです。
仲間とテントの中で身を縮めたおののきは、半世紀を経た今もよみがえります。
下山中の高校生らは、こんな圧倒的な力の前に、身を隠す場所も、逃げるすべもなかったのです。
遭難から数えて、今年(2022)は55年です。
55年ー「遭難の過去は風化した」と世間は言うかも知れません。
同世代の犠牲者へ
しかし、上高地で「山の日」のスタンプラリーをしているテントをのぞき見し、急登によれよれになりながら無事にテント場にやってきたわたしには、つい昨日の自分事のように感じます。
(テントを張るのは予約制)
落雷遭難の犠牲になった若者は、わたしと同世代だからです。
それぞれが内に何かしらのエネルギーを蓄え、人生は未知の可能性を秘めていた年頃です。
10年前(59歳)で独標に立った年の暮れ、わたしは定年退職を決断します。
犠牲者が存命で会社勤めをしていれば、同じようにこの先の人生後半を考え、身の振り方に迷い、決断を迫られる筈です。
西穂高に行く日があるのなら、犠牲者に独標で手を合わせたいという気持ちが働いていました。
見ず知らずの同年配の者ですが、こうして山歩きを楽しませてもらっています、と。
こうも想像します。
小さな可能性としては、ひょっとしてわたしと同じ大学に通ったかもしれません。
松本深志高校からその大学には、たくさん入学していますから。
さらにひょっとして、入学後は山歩きを通じて友人になったかもしれません。
小雨の独標と小さな慰霊碑
隣のテントの中高年男性の大音響のいびきに散々悩まされた二日目は、雨が降ったり霧が流れたり。
テントもどんどん撤収していって、連泊するわたしたちだけです。
昼頃になって小康の兆しです。
散歩がてらに丸山まで出かけます。
丘のような丸山ですが、視界は狭い。
(断続的な小雨、霧の向こうに独標が姿を現わす)
しかし、次のピークである独標が、三角にとがってそそり立っています。
がれきとハイマツの中を登山者が何人か見えます。
「おれも、独標まで行ってくる」
「わたしは、ここで待っていようか?」
「体はすぐ冷える。テントに戻っていて」
弱い雨がすぐに降り出し、傘、そして雨具。
槍ヶ岳の穂先を思わせる岩塊をよじ登っていくと、縦走路そばの目の位置に黒っぽい小さな石碑が埋め込まれています。
(登山道のそばに慰霊の碑がひっそり)
縦20センチ、横40センチくらい。
碑文は慰霊を伝えます。
手を合わせ黙祷。
数メートル登りきって腰を下ろし、上高地と梓川を直下に見ます。
尾根の先は西穂山頂へ向かう登山道がせり上がります。
中学生くらいの男の子と、その両親が頂きに来ました。
「上高地が、こんなに真下にみえる。ほら。この先をのぼっていくと、西穂高岳なんだな」
お父さんが興奮気味です。
(独標から上高地が足下に)
55年前のあの日のように、真っ黒な雲塊が空に渦巻き、大気を裂く雷が襲来する不穏な気配はありません。
穂高の自然に身を置く家族の平和な会話に、すぐそこにある小さな慰霊碑は出てきません。
下山時には気づいてくれるのだろうか。
(この項終わり)