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登山余話 登山記録

【登山余話6】新型コロナ猛威の夏、蝶ヶ岳から霧ヶ峰へ①

前回の余話
北薬師岳付近
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山行データ

2020年8月10~11日。67歳。妻と。名古屋(クルマ)沢渡(シャトルバス)上高地(歩き)徳沢ロッジ二泊。下山後松本一泊、13、14日と美ヶ原~霧ヶ峰散策、霧ヶ峰二泊。

 

アベノマスクと山歩き

退職後に始めた夫婦の夏山登山は2020年、上高地から入って蝶ヶ岳に登ったあと、下山後は霧ヶ峰を訪ねることにしました。

 

2020年の山旅は、前代未聞です。

 

世界に広がる新型コロナウィルス感染を防ぐため、北アルプスの人気山小屋の営業が制限され、キャンプ場ですら予約制をとるなど、影響は高山へと登っていったのですから。

上高地
(上高地バスターミナルの休憩広場。マスク姿が普通に)

 

南アルプスなど、ほとんどの山小屋が閉じられたのでした。

 

夏山から秋山シーズンに移る今、ウィルス感染による死者が世界で200万人を超えたと、9月30日のニュースは伝え、感染拡大は止む気配がありません。

 

この直近の俗界を見回せば、モリカケ問題、桜を見る会やら不正が疑われるのに対し、真相解明を逃れ、責任追求は受け流し、国会野党やマスコミから批判されてもどこ吹く風のようだった「一強」こと安倍さんが、健康悪化をあげてあっさりと辞任。

 

安倍政権の大黒柱だった菅さんが、自民党の論理で日本国を代表する地位についてしまいました。

 

「三密」の最たる山小屋の対応

安倍さんといえば、コロナ対策の初期にマスクを全国にばらまき、「アベノマスク」と冷笑・嘲笑されたものです。

 

世間から不評と不興をかいつつ、わたしの手元では未開封のアベノマスクですが、意地みたいにそれで口周りを覆い政務に当たる安倍さんの映像が幾度となくニュースで拝見しました。

 

他の閣僚は、どうも別のマスクをしているようでしたので、「閣内不一致」はジョークとして興味深い出来事でした。

 

それはさておき、北アルプスの3,000m級の山岳を擁する山小屋経営は、山岳という地理の特異性を持つビジネスです。

 

登山者が集中する二ヶ月かそこらの夏山が主な収入源でしょうから、収入の道を断たれれば死活問題。

経営者は必死です。

 

夏山最盛期の山小屋は、ウィルス感染の三密(密集・密閉・密接)そのものですから。

 

人気の立山、槍穂高連峰の山小屋では、たとえば宿泊者数の半減、予約制、健康管理などの方針を決め、7月あたりから予約案内がネットに掲載されていました。

 

「来た人は受け入れる」のが普通ですから人数制限、予約制は前代未聞です。

緊張感あるコロナ禍の夏ですが、ひときわ暑い名古屋を脱出します。

明神橋
(上高地から1時間。明神橋から明神岳が突き上がる)

 

どの山に涼線を求めよう。

60歳代後半の心身を、ひととき灼熱地獄から救い出したい。

 

ここ何年かは、妻とのキャンプが定番。

白山(昨年)、焼岳、五色ヶ原~薬師岳(ともに一昨年)。

 

「風呂に入りたい。相部屋はいや」

 

コロナへの防御も考え、そう断固主張する妻の希望に叶う目的地に蝶ヶ岳、霧ヶ峰と施設宿泊の予定を作りました。

 

圧巻の槍穂高を求めて

蝶ヶ岳は5年ぶり、四度目です。

三度目は5年前の夏、蝶ヶ岳~常念岳を単独テント歩き。

 

超快晴の二日間。

蝶ヶ岳の尾根に立った瞬間、ものすごいことになりました。

 

 

足下の梓川を挟んだ向かいに、ギザギザに削がれ、切り立ち、反り返る槍穂高連峰が、(陳腐な表現ですが)大屏風絵のように展開していたのです。

 

 

初めての蝶ヶ岳ではガスと強風で、景色どころではなかったのです。

 

わたしを含め多くの登山者が、砂と小石の尾根に腰を下ろし、槍穂高の全景に打たれ、息を潜めて飽くことなく眺めていたのです。

 

白雲を極彩色に輝かせて夕日が大キレットの向こうに沈んでいく色彩の魔法を見終えると、途端に冷気がやってくるのでした。

 

その景色を妻に見せたら何と言うだろう。

わたしも再会したい思いがあります。

小梨閑散
(小梨平のキャンプ場の炊事場は閑散)

上高地・小梨平のキャンプ場には入浴できる管理棟があり、当初はテントを予定しました。

焼岳登山の時のように。

 

ところが、出発直前になってキャンプ場にクマが出てキャンパーがけがをする事件が起きました。

食べ物目当てのようでした。

キャンプ場は閉鎖になりました。

 

マスク姿の上高地から岩魚を見つつ

ここから2時間先の徳沢園でもテントは張れますが、この際、初めて徳沢ロッジに宿泊を決めました。

ここもコロナ対策を取り入れています。

 

このロッジは梓川に沿う登山道(散策道)で徳沢にかかると、すこし山際に退いた位置にあり、その道を歩くたびに脇見してきた施設です。

 

徳沢には登山道に接して徳沢園という立派な宿泊施設もありますが、地味な心証のある徳沢ロッジに予約を入れました。

 

徳沢からは蝶ヶ岳への登山道の一つ(尾根道)があり、地の利もいいですから。

 

上高地はマスク姿が目立つほかは、いつものように俗聖混沌。

人混みの河童橋を渡り梓川右岸の湿地帯、森の道を歩きます。

 

流れの中に岩魚の魚影を探すのはいつものことです。

透き通った流れの中に、紡錘形の魚影を見つけることは、ほんとうに心躍ります。

 

川面を膨らませるほどに、黒々とした岩魚の群れを夢想しつつ、目の前には、一尾、二尾と、寂しい。

徳沢
(小梨平が閉鎖。2時間奥の徳沢はテントが花盛り)

 

大きなゴミ袋を手に提げ、花器などを抱える若者らと何組か行き違います。

キャンパーのような、日帰りのようで不思議です。

 

徳沢でバーベキューでもしたのか?

しっかりとしたリュック装備のキャンパーは、徳沢へ向かいます。

 

(続く)

続きの余話
奥又白谷
【登山余話7】新型コロナ猛威の夏、蝶ヶ岳から霧ヶ峰へ②

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは9年目(2024年4月現在)

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