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【山の本棚6】北杜夫の山岳作品と安曇野の青春②
旧制松本高校の縁が生んだヒマラヤ遠征 北杜夫が登山を真正面から小説にしたのは、『白きたおやかな峰』(1980・新潮文庫)。 白きたおやかな峰 (河出文庫) [ 北杜夫 ] ...
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今西錦司さんの雄阿寒岳登山とヒグマ
北海道釧路市で暮らしたとき(1980年代後半)、知人から「雄阿寒岳に一緒に登りませんか。今西錦司さんが登るのに一緒することになったので」と誘いを受けました。
日高山脈で山歩きを再開する5年ほど前のこと。
探検家にして登山家、自然科学の研究者として有名な今西さんですが、「いやいや、やめておきます」と断ります。
「ヒグマが怖いので」。
知人は「だいじょうぶ、クマなんてまず遭遇しない」と破顔しますが、わたしはヒグマへの恐怖を引き剥がすことはできないのでした。
その約10年前(1970年7月下旬)、夏の日高山脈・カムイエカウチカシ山域で、縦走中の九州の大学生5人がヒグマに襲われ、3人が死亡した事件が生々しいからです。
1976年の6月には、札幌の南方の支笏湖南岸の風不死岳山麓で、山菜採りの住民がヒグマと遭遇する事件もありました。(2人死亡ほか)
こうした死亡事故がわたしの心理に深々と埋め込まれているのです。
福岡事件の大学生はヒグマと家庭のペットなみに接し、自らヒグマを招いて惨劇へと突き進んだことがわかりました。
北海道ではヒグマを「ヤマオヤジ」と呼びます。
決して好々爺のオヤジではなく、体格も殺傷力も本州のツキノワグマの何倍も秘めていることを肝に銘じて入山しなくてはなりません。
『羆嵐』の底なしの恐怖
北海道開拓の一断面は、入植者とヒグマの野性との生死をかける摩擦の繰り返しです。
開拓史の中にヒグマによる惨劇がいくつも記録されています。
『戦艦武蔵』(1971年・新潮文庫)など歴史小説で知られる吉村昭(1927-2006)を読むきっかけが、札幌市内の書店で見かけた『羆嵐』(1977・新潮社)。
表紙に牙をむいたヒグマの顔面が白黒で描かれ、その迫力に迷うことなく購入。
舞台は北海道北部・日本海側の天塩山地山間部の開拓集落。
時は大正4年12月、第一次大戦のころ。
自然災害に打ちのめされた東北の農民らの北海道への移住せざるを得ない刻苦から説き起こし、羆害の修羅場へと焦点を当てていきます。
淡々とした筆運びは吉村の個性とするところです。
形容詞の少ない文章は、やがて起きるヒグマ襲撃を予感させ、恐怖がいやがおうにも高まります。
ヒグマは積雪期には冬眠する習性ですが、このヒグマは冬眠せずに人を襲っています。
食べ物が枯渇する冬に、人はかっこうのエサなのでした。
妊婦は腹をも割かれます。
9人が殺傷された「苫前羆事件」です(下記、注参照)。
『熊嵐』の史実を伝える冊子
吉村は『羆嵐』より先に主に北海道のクマ撃ちを取材し、短編小説7話を連載し、『熊撃ち』(1979・筑摩書房)にまとめています。
別に『羆』(1971・新潮社)はヒグマ撃ち1話をおさめ、ほかに金魚やハタハタ(魚)を題材に、動物や自然(海)と向かい合う人々を描きます。
吉村を『熊嵐』執筆へと駆り立てたのは、『熊撃ち』によって北海道の野性への感心が深まり、『熊嵐』の現地を訪れ、事件の記録を手にし、その作者を訪ねたからです。
「私は、木村氏記録を参考にしなければ小説を書くことが不可能なので、その許可を得るため氏を訪れたのだ。」
木村盛武著『エゾヒグマ百科 被害・予防・生態・故事』(1983年・共同文化社)の序文で吉村は記している。
木村さんは北海道の山林の管理などに従事する農林省の役人、人とヒグマの事件を見聞してきた方です。
現場の経験が詰まった一冊です。
同書は先の大学生の事件について「わが国登山史上最大の惨事」と記します。
同書は500ページ近い大作ですが、「苫前羆事件」には1章70ページ余を充てています。
事件の生存者を訪ねて実体験を聞いており、『羆嵐』の骨格をなしています。
『高熱隧道』、大雪崩が黒部渓谷を襲う
『高熱隧道』(1975年・新潮文庫)の舞台は北アルプス黒部渓谷の奥地。
極限ともいえる山中で隧道掘削に従事する作業員たちの犠牲をおしてなお、突き進む群像劇です。
昭和11年。
日本が大陸で泥沼の戦争を続け、やがて太平洋戦争へ舵取りをする前のこと。発電所建設が黒部奥地で行われています。
作業員宿舎を一瞬に消滅させる(吹き飛ばす)雪崩の発生など、暴力的な自然が人々を襲います。
わたしが大学2年の夏に剣岳方面へと向かう日に歩いた水平歩道、露天風呂のあった阿曽原あたりが、その舞台です。
この一冊を読むと、山の自然感が変わるかも知れません。
ここからは余談。
人間を圧倒的な力量を持つ自然と対峙させるのは、吉村の一傾向なのかもしれない。
『羆嵐』は人とヒグマですが、海に移して人とクジラを相対させた短編が『鯨の絵巻』(1990年・新潮文庫)。
紀伊半島南部の捕鯨の地・太地に取材し、捕鯨に生活の糧を求める人の生き様を描く。
太地捕鯨を重厚細密に描いたのは、津本陽の『深重の海』(1978年・新潮社)。
日本の捕鯨は欧米の環境保護団体から残虐との非難を浴びますが、『深重の海』からは、(それでもこの地で鯨を捕獲して生きていくしかない)といううめき声が絶えず聞こえる濃厚な民俗史です。
『羆嵐』『高熱隧道』『深重の海』などから、圧倒的な自然を前にして生きる人間の業(ごう)を突きつけられる思いになります。
(注)現在は北海道苫前町。留萌市から日本海沿岸を北上して至る。HPによると、この惨事を伝える屋外展示が、現場(三ヶ別)に再現されている。
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