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山の本棚

【山の本棚6】北杜夫の山岳作品と安曇野の青春②

 

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旧制松本高校の縁が生んだヒマラヤ遠征

北杜夫が登山を真正面から小説にしたのは、『白きたおやかな峰』(1980・新潮文庫)。

 

医師として加わった1965年のヒマラヤの未登峰ディラン(7,273m)登頂を巡る男たちの物語です。

 

登山隊の隊長(作中・小滝)は旧制松本高校の卒業生。

そこで後輩になる北に同行医師(北は精神科医)のお鉢が回ってきた。

 

小説は飛行機から見下ろすヒマラヤの長大・荘厳・冷酷・蠱惑な山塊の描写から始まります。

 

映画『ウエストサイド物語』、あるいは『サウンドオブミュウジック』の冒頭の上空からの俯瞰図を思わせる展開です。

 

小説では、ディラン近辺の高峰登頂をかけて落命した登山史などを踏まえ、登山隊が異国の風土と文化にもまれながら刻々とピークへと迫っていく過程が小説になっていきます。

 

北と北アルプスとのつながりで作中注目すべきは、松本で学生寮・思誠寮生活をした旧制高校生のときの実体験です。

随所に出てきて、同窓の先輩小滝のそれと共鳴しているかのようです。

 

寮歌・春寂寥を懐古するキャンプ

一つに、小滝隊長がキジ場(大便をするところという登山用語)に向かう場面がある。

ドクター(北のこと)は、隊長が何かを口ずさみながら遠くへ歩いて行くのを聞く。

 

それは思誠寮に伝わる「春寂寥」という寮歌。

ドクターも周知の歌である。

 

 

「しばらく、その懐かしい、同時になにか年齢にそぐわぬ感傷を呼び起こして気恥ずかしいような旋律に耳を傾けていた」

 

 

と作中に描写されます。

春寂寥『どくとるマンボウ青春記』でも引用されます。

 

それだけ北にとっても、多感なときを過ごした旧制高校の日々に欠かせない、と同時に年を経ては一瞬にして青春を呼び起こす寮歌だったのでしょう。

 

小説に「感傷」「気恥ずかしい」と書くゆえんかと思います。

春寂寥は、古びた過去の歌ではないようです。

 

ユーチューブでも聞けます。

現代でも信州大学の入学式で演奏・歌唱されているようです。

 

 

「春寂寥の 落葉に 昔を偲ぶ 唐人の いさめる心 きょうは我れ」

 

 

と始まる古風な歌詞と叙情的な旋律は、確かに北が記すような性質をもっています。

 

ヒマラヤの高地にあって一人テントの中のドクターは、槍ヶ岳、常念岳などを歩いた戦後直後の日々を追憶します。

そこでは山登りをする人たちの俗物ぶりを書く場面もあって、バランス感覚に富む一面が垣間見えます。

 

松本と上高地への旧道

『楡家の人々』にはさまざまな人物が登場しますが、『どくとるマンボウ追想記』にあるように、モデルとなる人物、出来事をヒントに想像を広げています。

 

『楡家の人々』は北アルプスや美ヶ原が舞台の中心というわけではありません。

しかし、北の松校時代の経験が後半に投影されている。

 

楡周二(北の分身)は終戦の年、東京から汽車に乗り、松本へ受験に向かう。

 

諏訪湖、塩尻を過ぎ松本に近づくと穂高、乗鞍が見えるのだった。

 

松本の浅間温泉には、には周二の知らぬところだが、楡家の桃子という女性がひっそりと暮らしているという設定。

北は作中、受験後の周二に山への憧れを体験させる。

 

現代の登山者は松本駅から松本電鉄に乗り換え、新島々まで電車を乗り継ぎ、さらにバスで上高地に入る。

穂高連峰の南壁を河童橋の奥の岳沢の背後にのぞみ、梓川をたどる槍ヶ岳の登山は河童橋から始まる。

 

周二は島々(新島々の先)だけでも目にしたいと出かける。

島々で道は島々谷へと右折し、やがて徳本峠を越えて上高地へ至る。

 

利用者は少ないが、現代でもひっそりと生き続ける古道です。

 

小説では数ページですが、繊細に微動する青春特有の感性と山への強い憧れが、周二に島々を歩き孤独な経験をさせることにこめられている。

 

 

『どくとるマンボウ青春記』で北は、秋の盛りに徳本峠を越えた体験を綴っている。

 

 

気が滅入っていた対処療法のような一人旅の効果は絶大だった。

 

青春記ではまた、思誠寮に伝わる寮歌についても記し、春寂寥の詩の一部を引用し、「もの悲しい逍遙歌」と回顧しています。

 

松本での旧制松校生時代と北アルプス遠望や登山体験を強固な文学基盤として育み、『どくとるマンボウ青春記』『楡家の人々』『白きたおやかな峰』を形成したという視点から、3作は兄弟作品として読みました。

 


徳本峠はわたしにとっても、19歳の初夏・残雪の穂高につながる忘れられない峠です。

苦しい思いをしてこの峠にたどり着き、初めて穂高連峰を展望したのです。

 

山歩きの手ほどきをしてくれた峠です。その後も気にかかり何度か峠に立っています。

退職後の63歳では、19歳のときのように島々から古道をたどり初めて峠にテントを張り、霞沢岳を登りました。

 

ブログではいずれ、徳本峠だけで独立した章を立てたいと思っています。

 

(北杜夫の項・終わり)

 

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは9年目(2024年4月現在)

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