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十勝岳の白い絶景
北海道札幌市で仕事をしていたとき(1970年代後半)、帯広市に帰省する友人に同伴し、初冬の十勝平野を訪ねました。
国鉄広尾線(当時)の愛国駅、幸福駅がテレビドラマの影響で脚光を浴び、多くの観光客が大挙して訪れた余韻の残るころです。
わたしも二駅を訪ねます。
近代都市の帯広市街からクルマで十勝平野を南下する夕方の澄んだ大気の中に、広々とした畑と防風雪林を右手に見ているうちに、思わず歓声をあげました。
真っ白な山脈がわたしたちと並行して尾根を刻んでいるのです。
心が洗われるようでした。
十勝連峰。
学生時代に長野県・大糸線から初冬の快晴の日、冠雪した白馬連峰の白いうねりと甲乙つけがたい傑作です。
十勝連峰といえば、活火山・十勝岳。
その噴火が起こした泥流は、農民に生存をかけた過酷な試練を強います。
三浦綾子とキリスト教を土台に
三浦綾子は『泥流地帯』(1977・新潮社)『続泥流地帯』(1979・新潮社)で、貧しい一開拓農家に焦点をあてます。
初冬の夜。
小学六年の男児が小用で家の外に出て闇の空に雪をいただいた十勝岳を想像するところから物語が始まる。
大正15年5月。
十勝岳噴火による泥流が貧しい農民たちを襲う。
多くの命、家屋、農地が泥流にさらわれる。
破壊の荒廃から這い上がる人々。
農民が生き抜く糧とする精神の軌跡を、三浦は自問自答してでもいるかのようです。
『氷点』で知られる三浦ですが、キリスト教徒としての信仰が作品をくっきりと枠取りしている。
たとえば『塩狩峠』(1973・新潮文庫)の序文は新約聖書からの引用。
一粒の麦、
地に落ちて死なずば、
唯一つにで在るらん、
もし死なば、多くの果を結ぶべし。
この序文は学生時代に初めて読んだドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』(1961・新潮文庫)のそれと同じ。
誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにで在るらん、
もし死なば、多くの果を結ぶべし。
十勝岳噴火に素材を求めた2作は明治から大正にかけての時代。
明治維新後の北海道開拓の早い時期、『塩狩峠』もそうです。
鮭の遡上する石狩川
北海道を舞台にした文芸作品の特徴として、開拓史に向き合うものがあります。
その切り口で今回も脱線。
作者の血につながる開拓史でもある本庄陸夫『石狩川』(昭和14年・大觀堂書店)は忘れがたい一冊。
石狩平野を蕩々と流れ日本海に交わる石狩川。
大自然への畏敬から、札幌の古書店で見つけたときは即購入。
当時は河口付近には気晴らしによく出かけ、初冬のころなど茶色く濁った流れをサケが遡上しているのだなと想像するとどきどきしたものです。
『石狩川』にこうあります。
「いの一番にこの川を見つけたのは、肥え太った鮭の群ででもあったらうか。」
明治新政府から疎外され、北海道に新天地を求めざるを得なかった東北の小藩士たち。
小説にはアイヌとの接触なども見え、アイヌの知恵や協力なしには開拓が進まなかったことがうかがえます。
戦後の作品でも、開高健『ロビンソンの末裔』(1973・新潮文庫)は終戦前後に東京から北海道への移住が描かれる。
棄民政策の受皿の土地として。
日高山脈・神威岳に神を見る
北海道の呼称は日本国の領土であると宣言する明治以降の地域名です。
アイヌにとっては、「アイヌモシリ」(人が住む静かな大地)。
池澤夏樹『静かな大地』(2003・朝日新聞社)は、『石狩川』と同様に没落士族の開拓を史実に沿って描きます。
やはり自分の血につながる移住です。
入植先は日高の静内(現在のひだか町)。
日高山脈でわたしが最初に登った山がペテガリ岳(1736m)には静内から入ります。
静内山岳会の方たちの手ほどきで幌尻岳(2052m)などを歩いていたので、地理や地形を具体的に想像しながら『静かな大地』を手にしました。
馬の生産牧場を経営していく主人公。
和人(入植者)による強制労働・虐待・蔑視など、アイヌへの差別が根強いのですが、この物語では両者が等しく生きていこうという主人公の信条と行動と過酷な仕打ちがあります。
終盤に『神威岳』という章がある。
ここでの独白。
日高路を歩いていて立派な山を見る。
名を聞くと、
「カムイヌプリ、神威岳だ。白くて、大きくて、綺麗だった。あそこのカムイが本当にいらっしゃるとぼくは思った。」
同書には現代社会への指南の言葉が印象的です。
アイヌにも悪事をする者がいると断ったうえで、
「だが、アイヌの生き方、山に獣を追い、野草を摘み、川に魚を求める生き方は、欲を抑えさせ、人を慎ましくする。いくら欲を張っても鹿が来なければしかたがない。祈って待つしかない。だから、大きな山の力によって生かしめられる己を知って、人は謙虚になる。」
神威岳。
みごとな名です。確かに神々しい。
夏のよく晴れた暮れ方、緑の樹林をまとった三角の全容をわたしは北の台地の端から、あますことなく目にしたのです。
台地と神威岳をつなぐ尾根の鞍部を、長大な白蛇のように厚い白雲が流れ泳いでいるのでした。
かれこれ35年ばかり前の夕刻が、今も感動をもってよみがえります。
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