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【山の本棚3】新田次郎の世界②
映画でもヒット~『八甲田山死の彷徨』 映画でもヒットした『八甲田山死の彷徨』(新潮文庫)は、明治期の軍隊の雪中行軍訓練の大遭難を描きます。 八甲田山死の彷徨 (新潮文庫) ...
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今少し、新田次郎に水先案内を頼みます
『ある町の高い煙突』(文春文庫・1978)は、鉱山の銅精錬による有害物質排出による環境破壊(農業や健康、地域社会)に立ち向かう市民の物語です。
時代は明治末、日露戦争のころ。
舞台は関東平野の一角の農村。
明治という、国としての日本が成立し、しかし西欧帝国主義の貪欲に飲み込まれるか、独立国として立脚し得るのか、綱渡りのような国際政治の中にあって、銅生産を国是として進める中での鉱毒事件である。
国民を犠牲にしながらの国家運営の非情と市井の悲惨誠実が描かれる。
まったく本筋とは離れますが、日露戦争というと旅順陥落、日本海海戦というのは軍国主義高揚のかっこうのネタとして旅順の乃木希典将軍、日本海海戦の東郷平八郎元帥という対で語られます。
当時の超大国ロシアを負かした弱小日本にあって、神がかり的な崇拝の対象、救国の軍人のようにつたわっているのをコテンパンにひっくり返しているのが、司馬遼太郎の『坂の上の雲』(文春文庫・1999)です。
明治維新後の藩閥政治(勝ち組)によって、その職を与えられた二人の、作戦家としての能力の低さが赤裸々に描かれます。
司馬の筆は、けっして二人を揶揄する運びではなく、事実をして語らしめています。
実像に近いとみていい。
旅順攻略で、稚拙を重ねる乃木の指揮権が事実上奪われ、203高地攻略が成功するあたりは、群像破壊の様相が活写されます。
そういう明治という時代に、ウエストンに刺激された人々が現代登山の扉を開けていくのです。
『ある町の高い煙突』が登山を主軸に置くわけではりませんが、山に通じる環境問題という視点では新田の『霧の子孫たち』と通底するものがあります。
足尾鉱毒事件へ
銅精錬の鉱毒事件といえば、足尾鉱毒事件に触れないわけにはいきません。
鉱毒を浴びせられた森林が殺戮とした丸裸になり、その斜面に植林する現場を20数年前目にしましたが、国家・企業の狂気の爪痕だと思いました。
企業告発、被害住民救済など田中正造による全身全霊を賭した鉱毒事件告発は現代史に刻まれる足跡ですが、経済小説で知られる城山三郎は『辛酸』(中央公論社・1970)で田中を描きます。
日向康『果てなき旅』(福音館・1978)も田中とその時代へ視線をなげかけます。
環境問題へも積極的な発言・行動をした栃木県出身の立松和平は小説『毒 風聞田中正造』(東京書籍・1997)によって、地元の歴史的事件へ接近しています。
立松の曽祖父は坑夫とし足尾の鉱山開発にあたったことからつながる因縁を抱え、内に宿る鉱毒問題への啓発から、この作品を書いた。
ナマズとカエルとの寓話のような面会から物語が展開される。
足尾鉱毒事件をルポ・ノンフィクションとして残したのは荒畑寒村。
『谷中村滅亡史』(岩波文庫・1999)は鉱毒被害に苦しむ下流の谷中村が丸ごと国家に奪われる棄民政策を告発する。
直線勝負の勢いと鮮烈さがみなぎる報告。
1907年に刊行された底本には木下尚江が序にこう記す。
「谷中村の滅亡は政治ていふものゝ本来性を尤も明著に尤も露骨に説明したるものと存候」
約90年後の文庫の解説は、権力の横暴などを原発の現場などから発表しているルポライターの鎌田慧が書いています。
現代でもニュースになる諫早湾干拓、長良川河口堰を強行した現代政治などを引き合いに出し、谷中村滅亡の政治と現代の政治にどれほどの民主主義の成熟があるのか(ありはしない)という趣旨だ。
足尾・田中正造から水俣・石牟礼道子へ
資本主義、民主主義のもとでの産業発展の過程で、「公害列島」と呼ばれ、「四大公害」などという呼称さえ、この国は生み出してきた。
山の自然、環境はおのずと連続、影響しながら他の自然現象とつながる。
山歩きの楽しさを入り口にして本を手掛かりに、読書の幅を広げてみます。
石牟礼道子は足尾鉱毒事件を意識に焼き付け、『苦海浄土 わが水俣病』(講談社文庫・1972)を世に問いました。
恵みの水俣の海を水銀汚染され、ネコの狂乱に始まり、やがて沿岸漁民らが精神の錯乱を起こし、体の自由を奪われ、存在を破壊されていく水俣病患者の側に立ち、その過酷な現実と地鳴りのような怒りや怨嗟を掬い取った一冊です。
石牟礼は作中、足尾鉱毒事件にもたびたび触れ「谷中村の怨念は幽闇の水俣によみがえった」と記します。
水俣病を題材にした散文は数多いでしょうが、わたしの手元にある吉田司『下下戦記』(白水社・1987)もあげておきます。
患者である若者たちの内側に入り、かれらの日常や考えや出来事を赤裸々に記したノンフィクションです。
『苦海浄土』が抉り出す水俣病は国・地方政治、企業による犯罪というべきです。
原因特定と責任追及、患者救済へと展開する流れというのは、国家と利益追求企業が結託した棄民詐欺でもあり、舞台設定を今日に置き変えればモリカケ問題あたりと寸分違いなく見えてなりません。
『天の魚 続・苦海浄土』(講談社文庫・1980)は続編。
被害者への補償交渉をすべく赴いた水俣病発生源の企業・チッソ東京本社前の描写は、目が不自由だったという田中正造と、自分の目の具合との引き合いから始まる。
『栗林彬編 証言 水俣病』(岩波新書・2000年)は文字通り、水俣湾に生活の糧をゆだね、被害者となり、様々な苦闘を生きた人々の体験を聞きます。
石牟礼がインタビューした方の証言もあります。
『朝日新聞』(2019年10月20日)には、「水俣病63年 犠牲者痛む 慰霊式」とべた記事が見えます。
記事には
「認定患者2,383人のうち、1,951人(18日現在)が亡くなった」
とあります。
犠牲者数の多さにも圧倒されますが、(18日現在)には、水俣病が人々を苦しめ続けている今が浮かびあがります。
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【山の本棚5】北杜夫と槍・穂高、そして安曇野①
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