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北アルプス 登山記録 第5章[槍・穂高-上高地へ]

【第5章】槍・穂高から上高地へ①

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西鎌尾根
【第4章】初の北アルプス縦走・唐松岳から上高地へ⑦~登らざる槍ヶ岳~

    山行データ19歳。大学2年。 1972年7月28日ー8月7日:八方尾根・唐松岳から黒部川へ下り、阿曽原、剣沢、立山、薬師岳、黒部源流、西鎌尾根・槍ヶ岳、槍沢から上高地へ下山 ...

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山行データ

2002年7月31日ー8月4日、49歳。単独。
上高地から入山。槍沢経由で槍ヶ岳から南下し、大キレットを通過、穂高の連山を経て上高地に戻る。
★3,000m峰は槍ヶ岳(3,180)、大喰岳(3,101)、中岳(3,084)、南岳(3,033)、北穂高岳(3,106)、涸沢岳(3,110)、奥穂高岳(3,190)、前穂高岳(3,090)の8座を数える。

 

これまでの3,000m峰の足取り

日本海と太平洋にかけて、3,000m峰の全山をつなぎ歩ききる

 

これが、このブログで書き続けている内容です。

 

ほぼ30年ぶりに、槍・穂高と再会します。

槍ヶ岳から大キレット経由で穂高連峰を駆ける前に、これまでの足跡を整理しておきます(北から南へ)。

  1. 唐松岳~立山~薬師岳~槍ヶ岳~上高地
  2. 上高地~焼岳~乗鞍岳~御嶽山(山麓・開田高原)
  3. 御嶽山(山麓・開田高原)~御嶽山~木曽福島
  4. 木曽福島~木曽駒ヶ岳~伊那・高遠

 

距離のわりに、たったの3山だけなのです。

槍ヶ岳は学生2年夏の縦走では登頂していないので赤字の対象から外します。

 

今回の2002年の山旅で、①と②の間の槍・穂高を一気に埋めることになります。

山好きなら必ず憧れる日本アルプスの核心地帯の一つです。

 

このうち、北穂高岳槍ヶ岳奥穂高岳には学生時代に登頂していますが、「つなぎ歩ききる」というブログの流れから外れます。

とはいえ、堂々たる、印象深い山岳ですので、簡単に触れます。

 

19歳、6月早々の、山岳部での新人合宿が手始めです。

 

前穂高岳3・4のコル

氷河が削りあげた巨大なすり鉢が涸沢カール

 

初めてその底に立つと、四囲の壁面のどこもが厚い雪で真っ白く覆われていて、首をねじ上げて仰ぐ空の深々とした青みがめくるめくように鮮烈です。

 

初めての北アルプスへの接近は、穂高連峰に囲まれた一点に立って始まります。

見るもの聞くもの、五感に触れる何から何までが鮮烈、清潔にみなぎり心が天に吸い込まれそうです。

 

急傾斜の壁面にノミのようにへばりついて、雪面に靴先を蹴り込んだ登攀、体を反転させてピッケル・刃の尖った先を雪面に差し込む滑落停止、ピッケルを杖のように操るグリ制動などの雪上訓練が日課。

 

それがすむと休憩・食事ののち、班ごとに近辺を登攀。

 

前穂高岳東尾根の3・4のコル(鞍部)奥穂高岳・白出のコル、そして北穂高岳の頂を踏むメニューです。

もちろん、そのどれもが初めての場所、どんな景色や地形があるのか、無知なまま連れて行ってもらいます。

 

新人部員でも山岳に情熱をもって入部した仲間がいて、いろいろと知恵を授けてくれました。

 

3・4のコルというのは、前穂高岳山頂から東に少しずつ高度を下げていくピークのうち、3峰と4峰のたわんだ底。

 

白出のコルから尻で滑り降りる

コルに出た途端、まったく異なった景観が広がり、足下から真っ逆さまに落ち込むかのようです。

 

その底に川が蛇行しています。

それが梓川といい、すぐ下流が上高地なのだというのです。

 

なんと激しい山の地形なのだろう。

穂高の大自然と自分との距離感がさっぱりつかめません。

 

今自分がどこにいるのか、地図が脳裏に浮かばず混乱します。

 

「ここから奥又白の池、上高地へつながっているんですよ」

 

となりに休むFという関西出身の気立てのいい新入部員が教えてくれます。

こんな急傾斜に登山道があろうとは信じられない思いです。

 

二日目の白出のコルは帰りに急な雪面に尻餅をついて滑り降り、これほどの疾走感と爽快はなく全員がはしゃぎにはしゃいだものです。

 

何時間かかけて登っても、ものの20分かそこらで滑りきったのではないでしょうか。

まったく楽しい、充実したときでした。

雪上訓練の厳しさを忘れて余りある最高の面白さでした。

 

カールの底にある山小屋の屋根がまだ残雪の高さにあり、その屋根で日光浴と昼寝を決め込んでいた最上級生が、小屋の人に注意されてあわてて降りるのも愛嬌でした。

 

残雪の北穂高岳から槍ヶ岳遠望

北穂から槍
(北穂高の小屋付近から大キレットを隔てて槍ヶ岳を展望する=2012年8月)

 

そして最後に、北穂高岳の山頂を目指します。

 

雪が照り返す強烈な陽光に、露出した顔のあたりがヒリヒリします。

相当ひどく日焼けにやられているに違いありません。

どれだけしかめても、裸眼では目が焼け焦げそうです。

 

全行程ベッタリの厚く急な残雪斜面にステップを切っては、7~8人がトップを交代し山頂。

 

メモによると2時間くらいで、正午に到着しています。

 

陽射しの勢いが後退していて、くすんだ空が低く降りています。

全身汗だくになり心臓がバクバクしていたのに、急速に汗が冷たくなります。

 

「あんまり端に寄るなよ。滝谷の絶壁がストンだ。落ちたらいっかんの終わりだ」

 

引率の先輩の助言です。数メートルとなりは、小説『氷壁』(井上靖)で主人公が落命する険しい岸壁なのです。

ピッケルを深々と残雪に打ち込み、確保の態勢を万全にし、垂れこめる鈍色の空の下に滝谷の不気味さ、陰鬱さを感じます。

 

最近の海外遠征で命を落とした先輩の強靱な体力のことなどを上級生らが話しています。

岩登りをしていて岩を抱えて落下しても助かったというようなことが、伝説めく追悼のような色彩で語られるのでした。

 

滝谷から吹き上がってきた冷風がざざっと耳元で鳴り去り、なおのことぞくりとします。

 

北穂高岳槍ヶ岳を隔てる大キレットの痩せ細った岩尾根が、すぐそこに深々とたわんで沈んでいます。

 

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【第5章】槍・穂高から上高地へ②燕岳から表銀座悠々

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは8年目(2023年4月現在)

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