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南アルプス 登山記録 第7章[南アル越え]

【第7章】南アルプス越え④~らしさ、の千丈ヶ岳を越える~

 

前回の記事
スーパー林道へ入るゲート
【第7章】南アルプス越え③~戸台川から無人の丹渓新道へ~

    山行データ2005年7月26日~30日、53歳。 単独。伊那市・高遠から入山。戸台の山荘泊の後、北沢をさかのぼり仙丈ヶ岳、通称バカ尾根から野呂川に下り、北岳へ登り返し広河原 ...

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山行データ

2005年7月26日~30日、53歳。
単独。伊那市・高遠から入山。戸台の山荘泊の後、戸台川から仙丈ヶ岳、通称バカ尾根から野呂川・両俣に下り、北岳へ登り返し広河原へ下山。
3,000m峰は仙丈ヶ岳(3,033)と北岳(3,193)

 

丹渓山荘のすそでノタリ

岩魚にはそっぽをむかれ、丹渓山荘の真下にある平地にテントを張ります。

山小屋は5メートルほど高い段丘の端に立っていて、斜面に切られた小道がキャンプサイトとの間を繋いでいます。

 

ルート地図

 

行ってみると、無人。

外見はしっかり、中も寝泊まりには不自由なさそう。

 

丹渓新道仙丈ヶ岳の冬山コースのようですから、寄宿先として重宝されているのかも知れません。

 

わたしはテントに戻り、ビールを飲んだりテントの外に出て渓谷に迫る樹林や渡る風の道を目で追ったりと、とりとめなく有り余る午後の時間に身を任せます。

 

ま、これもありだな、と。

 

この渓谷でタングステン採掘があったということに刺激されたのでしょか、鉱床を求める山師が、ふいに現れたりしないかと妄想もふわりふわり。

 

宮沢賢治の『風の又三郎』を連想させます。

 

山中の辺鄙な学校へ転校してきた又三郎の父というのは、モリブデン採掘事業に従事しているという物語なのです。


(翌朝、薄明の中を歩き始める)

 

前日下見しておいたところから、沢ともいえないほどのところを左岸に。

厚い森がすやすやと息をする早朝のひんやりとした気を半袖の腕に感じながら、しだいに傾斜を増す斜面を踏みしめます。

 

台風の影響は、もはや少しもありません。

 

戸台の宿の女性主人は、夏の最盛期には200人の宿泊があったといっていたけれど、この一両日、まだだれとも出会いません。

 

 

静まり返る森の山道

森の底は湿り苔むしています。

枯れ枝がピシピシと折れる物音ばかりが足下に湧きます。

 

赤いテープが枝に着いているのは、雪を漕ぐ冬山用?

夏道は判別できます。

 

昭和46年に発破(ダイナマイト?)を仕掛けた、というような銘板(場所)を通過します。

スーパー林道建設の痕跡かな?

一時間ほどでスーパー林道を横切ります。

 

青空には上弦の白い月が残り、鋸岳の上部が見えるようになっています。

鋸岳かぁ、随分とガチンコな名称です。

 

山容の険しさを並べるなら剣岳槍ヶ岳穂高などを歩きました。

心ばえの高潔さを感じさせてくれる素晴らしい山名です。

 

ところが鋸岳というと樹木を伐採するあまりに身近な道具へと印象が走ってしまう。

ガチンコというゆえんです。

甲斐駒ヶ岳
(甲斐駒ヶ岳)

 


(仙丈ヶ岳)

 

とはいえ、どんな峰々なのか訪ねてみたい。

危険このうえないといいます。

 

相変わらず人との出会いのないまま、振り向いて見下ろす先に伊那谷の市街、北に視界を求めれば甲斐駒ヶ岳がはっきりと近い。

 

深い森から岩がちの尾根に出ると視界は広がり、北アルプスが遠くに、目の前には仙丈ヶ岳がどっしりと、相撲取りが蹲踞するように形いい。

 

シカのぬた場、高山植物被害

今日は夏山の特異日(晴れの確率が高い)なのかと、気持ちが軽快になります。

目覚めたらしく、野鳥のさえずりもあちこちから届きます。

 

リスが一匹、素晴らしい機敏さで木から木へと飛び移り、垂直に幹を伝って地上に降りて疾駆していきます。

 

おっ、ようやく登山者、男女一組が下ってきます。

昨日から、ほぼ24時間ぶりの人間です。

 

登山道沿いのぬかるんだ黒い裸地が現れました。

シカのぬた場
(シカのぬた場)

 

真夏の高山の陽光があふれ始め、むっとする暑気が体を厚く包みます。

長さ20メートル、幅10メートルのいびつな楕円形です。

表面には細かな皺が波打っており、間違いなくシカの仕業。

ぬた場。

 

体についたダニなどを落とすために、転げ回ったのでしょう。

 

周囲の植物を見渡すと、ハイマツ、ダケカンバ、ハクサンフウロ、ヤマブキあたり。

シカの生息域が高山まで広がり、高山植物を喰いあさっていると聞きます。

 

気がかりです。

 

仙丈ヶ岳の山頂の懐に広がるカール(氷河地形)まで登ると、細い沢水が流れるようになりました。

まだらにハイマツが散らばるばかりです。

 

給水、洗顔、歯磨き。

心身ともシャキッと整えてあと一息上り詰めて山頂に着きます。

 

ほぼ正午、出発して7時間くらい。登山者がそこそこにくつろいでいます。

 

ややガスがかかりますが、遠望はききます。

遠近の山々に挨拶がてらにスケッチです。

 

北岳、富士山、地蔵と伊那谷

まず、日本一の富士山にご機嫌うかがい。

ぽっかりと広い海原に浮かぶが如くです。


(北岳、富士山を背に。なんと、わたしが一番ののっぽ!痛快)

 

富士山の手前、指呼の間に北岳が尖る。

明日はその頂に立つ予定。

 

日本一と二位のそろい踏みは壮観。

仙丈ヶ岳は岳望のピークとしても出色です。

 

富士山は、こうして背景にあると存在感が鮮明です。

 

北を見れば、白っぽい三角の甲斐駒ヶ岳、その左に八ヶ岳の連山。

足下には仏教由来を見える石像が幾体か。

 

麓の人たちのこの山に心を寄せる思いをしのびます。

 

山頂手前に伊那谷側に延びる尾根が下っていて、小さな標識は地蔵尾根と教えてくれました。

名前はいいし、足を向けたくなる尾根です。

石像は伊那谷の人たちが、この尾根を伝い運び上げたのだと想像します。

 

一時間あまり山頂で休み、やや岩っぽい尾根を北へ。

 

山頂こそ何人か登山者がいましたが、再び無人の山中。

森林地帯に入り気温が下がったのが分かります。

 

森の中の小さな平坦地。

湿地が中央にあります。

 

今日のテント場と予定していた高望池なのでしょう。

驚いたことに、先客が一張り。


(先客がいた。奥が高望池)

 

水場は少し斜面を下る。

地中から飛び出す冷水にキュウリを冷やし、かぶりつきます。

 

約9時間の一日の逍遙が黄昏れていきます。

午後4時。

 

森林が高山まで深く迫る南アルプスらしい一日だったなぁ、と思い返すひとときです。

 

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ここでテント
【第7章】南アルプス越え⑤~深夜の鈴の音に凍る~

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは8年目(2023年4月現在)

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