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【第5章】槍・穂高から上高地へ⑦大キレット縦断
山行データ2002年7月31日ー8月4日、49歳。単独。 上高地から入山。槍沢経由で槍ヶ岳から南下し、大キレットを通過、穂高の連山を経て上高地に戻る。 ★3,000m峰は槍ヶ岳(3,18 ...
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山行データ
上高地から入山。槍沢経由で槍ヶ岳から南下し、大キレットを通過、穂高の連山を経て上高地に戻る。
★3,000m峰は槍ヶ岳(3,180)、大喰岳(3,101)、中岳(3,084)、南岳(3,033)、北穂高岳(3,106)、涸沢岳(3,110)、奥穂高岳(3,190)、前穂高岳(3,090)の8座を数える。
雨がそぼ降る北穂高岳のテント場
フライがときどき弱々しくはためきます。
明かりが乏しく、陰気な霧雨の夕暮れになりかけています。
下界は盛夏ですが、3,000m峰直下はぞっとする冷たさです。
細かな霧雨は風化でひびが縦横に走る岩の奥深くまでしみます。
北穂高の山小屋で見かけた中高年カップルが、10mほど下がったところで、カーキ色のテントを張っています。
午後2時にはテントの中に寝転がって背をグンと伸ばし、シュラフにくるまりひっそりと時を暖かく過ごすことにします。
狭いながらも楽しい我が家というやつです。
こういうよんどころなさ、決していやではありません。
(大キレット最終盤の縦走路の足下に北穂の池を見下ろす)
そう決め込むと、ただ何をすることもなく、心の平らなひとときです。
午前中に終えた初の大キレット縦断、魅惑的な北穂の池(写真)などを鮮明に思い描いて縦走を空想で再現して楽しみます。
不可解な縦走者二人の出現
シュラフで仮眠していると、テント近くで男性の大きな声がします。
腕時計をみると午後4時。
二人。
中高年ふうの声音です。
「小屋が見える」
「どこに・・・?」
「霧の奥に。あそこだ」
「ここを下ればいいのか・・・?」
ここに小屋?あり得ない。
あのカップルのカーキ色のテントが山小屋?
視界2、30メートルの中でテントを小屋と見間違えている?
「オレの後をついてきて」
やや性急なよく通る声と砂利を踏む靴音が、わたしの耳元を下ります。
下のテントにせき立てるような大声で呼びかけるのが聞こえます。
縦走路と山小屋の位置関係を確認しているのでしょうか。
(・・・3時間で小屋に着くときいて歩いていた、そこにはテン場あるときいた)
そう話すのが、ここまで聞こえます。
来訪者二人の主張に、わたしの頭の中の地図が混乱します。
二人がどこから歩いてきて、どこへ行こうとしているのか、さっぱりわからない。
テントの女性の声で、
「小屋なら少し登り返して、分岐で右折すれば10分くらいですよ」
北穂小屋への道筋を教える。
その通り、10分とかかるまい。
小屋に入れば暖かな一夜を求められる。
二人の気配が消えた。
わたしはカレーライスの夕食を済ませ、外がすっかり暗くなるのを知覚し、再び寝袋にくるまり平穏な一夜に包まれる心構えです。
――すると、さっきの聞き覚えのあるさっきの男性の声が、テントの布地にメガホンをあてるような音量と早口で響いてくるのでした。
テント泊を頼む中高年二人
午後7時。
信じられない言葉がテントの中に飛び込んできます。
「すみません、すみません、テントに泊めてもらえませんか」
ラジオのニュースを聴いているところです。
外は日没直前の暗転が早足です。
テントから漏れるラジオの音声が男性を引き寄せたのでしょう。
(北穂高から奥穂高、前穂高への岩また岩の連山。テント場は左のピークの影=2015年9月)
<テントに泊めて欲しいだって?3,000mの山岳で?北穂小屋はすぐそこ。まして、3時間前にその小屋までの道筋を教えられたばかりではないか>
何というぶざま。
わたしは瞬間の激しい怒りに駆られます。
「あなたたちは、いったい何をやっているのか」私は怒鳴りつけます。
「すみません、小屋に行き着けないのです」私はテントの口をはぐって外へ出ます。
「迷うような道ではないでしょう。今からでも間に合うから、小屋へ行きなさい」
「三時間はかかると言うんで・・・」
「ばかなことを言いなさんな。あなたの計画は、どうなっているのだ。小屋まで10分もかかりはしないのに」
「私はいいんですけど、相棒がすっかり疲れてしまって、もう歩けない。私はテントの外で寝ますから、相棒だけでも中に入れて下さい」
そう言い交わす間にも、夜があたりを暗くしてきます。
自分たちがどこにいて、どこに行こうとしているのか、まるで把握していないのは明らかです。
岩尾根が連なる3,000mの穂高山中の迷子です。
見たところふたりとも、わたしより少なくとも十数歳は年長に見える。
(飛騨側の滝谷の出合いから北穂高を仰ぐ。テント場は中央ドームのあちら側にあたる=2015年9月)
無恥なふるまいに怒る
何というぶざま。
何という恥知らず。
北穂岳の山小屋は目と鼻の先。
3時間前に下のテントでもらった助言をどう使ったのか。
少し登って右折すればすぐのところに北穂高の山小屋が立っています。
迷いようのない道と近さです。
まだ十分間に合う時間です。
さっさと追い払うべきでしょう。
北穂小屋へ行かせるべきでしょう。
甘えるにもいい加減にしろ、と。いい歳をして。
<たまたまのテントに一夜をすがるなんて、下の下の下だ>
ところが、「聞く耳を持たない」ではなく、「聴ける耳を持てない」のです。
この二人(特に脈絡なく強い押しでしゃべるリーダー格の男性)に、言葉は届きますが意味は消えます。
槍穂高の地図と自分たちの居場所がまるで分かっていない。
腹立たしさは最高潮ですが、いくら北穂高の山小屋が近いにしても、こんな二人を放り出すと遭難しかねないという不安に駆られます。
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【第5章】槍・穂高から上高地へ⑨雨の訪問者・2
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