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登山余話 登山記録

【登山余話10】新型コロナ猛威の夏、蝶ヶ岳から霧ヶ峰へ⑤

前回の余話
美しの塔
【登山余話9】新型コロナ猛威の夏、蝶ヶ岳から霧ヶ峰へ④

  山行データ2020年8月10~11日。67歳。妻と。名古屋(クルマ)沢渡(シャトルバス)上高地(歩き)徳沢ロッジ二泊。下山後松本一泊、13、14日と美ヶ原~霧ヶ峰散策、霧ヶ峰二泊。 &n ...

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山行データ

2020年8月10~11日。67歳。妻と。名古屋(クルマ)沢渡(シャトルバス)上高地(歩き)徳沢ロッジ二泊。下山後松本一泊、13、14日と美ヶ原~霧ヶ峰散策、霧ヶ峰二泊。

 

1969年8月、風雨の美ヶ原を歩く

わたしが初めて美ヶ原を歩いたのは、高校2年夏、1969年(昭和44)8月5日の早朝。

 

仲間と6人の旅は、前日朝早く名古屋駅を鈍行で出発し、松本駅からバス便にかわり、夕方には美ヶ原頂上の旅館に入っていました。

 

春の修学旅行で信州が好きになったわたしたちは、列車の車中からはしゃぎにはしゃいでいたのでした。

 

一泊1,200円、食事付き。

21畳の大部屋に、わたしたちを含めて12人が入りました。

 

清涼飲料水1本が70円なのに目がまん丸に。

市中と山中ではモノの値段が違うことを知ったのは、この時でした。

 

晴れていた天気は一変。

台風が接近し、風雨で旅館の梁がギシギシと軋む大部屋の中で、友人が持ってきたフォークギターを一音ずつはじいたりしていました。


(ハクサンフウロに囲まれた美しの塔=2020年8月)

 

風雨の一夜が明けても、状況は好転しません。

 

次の予定地白樺湖へ向かう日程は不変。

ぬかるんだ散策道を風雨に打たれて行き着いたのが山本小屋

たいした時間ではありませんが、全身びしょ濡れです。

 

高校へは自転車通学をしていて雨は気になりません。

登山リュックを背負い冷雨の高原を黙々と歩くことに、高揚感すらありました。

若いからこその意識です。

 

そこからはバス便。

美ヶ原の全貌は目にしないままです。

 

50年後の美ヶ原

半世紀前の当時ですら、松本からのバスは美ヶ原の高いところまでゆけました。

浅間温泉からいきなりの急坂がすさまじく、全身を震わせてエンジンをふかすバスがバラバラになってしまうと、本気で心配したものです。

 

半世紀前と現在との違いは、ビーナスラインが当然のように高原を縫っていること、その頂上部に野外美術展示場があって大きなオブジェが並んでいることです。

 

そばに広々とした駐車場と、展望台・土産物店。

 

山本小屋側から二つの小さな頂を散歩したのですが、展示場はその反対側にあるので、美しの塔のある台地の景観からは外れます。

 

美ヶ原からの山岳展望は申し分なく、目の高さに感じるそこの蓼科山(2,530m)には、あぁ高校2年の夏に何も知らないで登ったのだなと親密な感情が湧きますが、こうした派手な野外展示物は苦手です。

 

美ヶ原に据え付けるのは、やりすぎではないかと思います。

控えめに、敬意を払って高原の気配の中を歩くだけでいいように思うのです。

 

展示作品には関心・感心・感動がありません。

 

百名山と美ヶ原・霧ヶ峰

深田久弥『日本百名山』には説明もいりません。

 

北海道から九州まで、そこに記された全山を登りきることを目標とする登山愛好家は多い。

文字通り100山が列挙されていますが、「山」「岳」とつくのは98座。

 

二つのみ高原、美ヶ原霧ヶ峰なのです。

標高2,000mになると山岳の領域。

 

その標高にある美ヶ原霧ヶ峰は特異な存在なのです。

 

北アルプス山中の五色ヶ原雲ノ平も圧巻の高原ですが、美ヶ原霧ヶ峰は山脈から独立しています。

 

深田の美ヶ原の記述は、俗世間と接することへの危惧を隠しません。

 

人ひとりとも出会わずに三城牧場から高原を歩いたことを「幸福者」と自称しています。

霧ヶ峰については、山頂に着いて達成感を得る山とは違い、逍遙を楽しむ「遊ぶ山」という見立てをしている。

 

霧ヶ峰には車山(1,925m)もあるし、鷲ヶ峰という峰もある。

 

それでもその一帯を席巻するのは、圧倒的な高原の広がりです。

 

深田は『わが山山』(中公文庫)霧ヶ峰に一項をさき、「霧ヶ峰にあそぶ」とタイトルをつけ、冬スキーの妙味を綴っています。

 

1934年発表の短文ですから、80年以上前の霧ヶ峰です。

現在の霧ヶ峰には車山を中心にスキー場が開けています。

 

混雑の極みの車山から散策

快晴の日、わたしたちは車山を経て、霧ヶ峰の中央部を西に向けて逍遙します。

 

高原道路そばにある、車山まで1時間の駐車場は満杯。

しぼんだ景気復活のための旅行外出促進政策が行われているにせよ、大挙して行楽客が入っているのです。

 

山頂までに行き交う人は途切れず、幼児から高齢者まで、はてさて、犬を引き連れた愛犬家グループ(?)までごった煮状態です。

頂上には反対側からスキーリフトで山頂直下までやってきた人々が押し寄せてきます。

美ヶ原・蓼科山
(美ヶ原の放牧の東に、蓼科山が影絵のよう=2014年秋)

 

そこからそれて、湿原地帯や、丘のうねりを訪ねます。

車山の磁場から離れるにつれて、いくらか静けさが広がります。

 

正面に低く、昨日、美ヶ原から移動の途中で少し歩いた八島ヶ原湿原が平らに。

その右手には鷲ヶ峰、その奥に北アルプス槍穂高の屏風絵。

 

湿原まで下ると、金網フェンスが出入り口になっていて、ここの美ヶ原と同じくシカから湿原植物を保護する施設です。

湿原そばの鎌倉時代に遡る旧御射山遺跡も今回初めて目にできて、7~8時間の散策はよい一日になりました。

 

すり鉢状の斜面が残る遺跡は、密やかな深山の印象をかきたてますが、乗用車やバイクのエンジン音が至近距離に聞こえて、はたと霧ヶ峰の現在に引き戻されるのです。

 

続きの余話
冬の五色ヶ原
【登山余話11】蓼科山ー1969年8月、16歳の夏旅

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは9年目(2024年4月現在)

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