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登山余話

【登山余話23】木曽の御嶽山

 

前回の余話
【登山余話22】十勝岳の夏色2023

    爆発音にドキリと振り向く どおん・・・。   突然の巨大な破裂音が尾を引きながら、美瑛から富良野に続く眼下の細長い谷間の平地といわず、わたしたちが立つ十勝岳一帯に ...

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あの噴火の山へ

御嶽山の最高点の剣ヶ峰(3067m)を仰ぐばかりに現れました。

 

王滝山頂(2936m)に着いたわたしの目に、社殿のある頂上は尖って聳え、両側に岩と土砂ばかりの無機質な急斜面が下っています。

地を這う植物すらまれな、命の営みを拒む自然です。

 


(登山道沿いに小さくナナカマドが赤い)

 

左の尾根のあちら側には、今も白い噴煙が立ち上っていて、この巨体が生々しく活動していることを知らしめています。

 

風向きの加減で時々、噴煙のイオウ臭が鼻を刺激します。

 

9月3日(2023年)は快晴の日曜日午前。

 

長野県王滝村田の原(2180m)の大駐車場にクルマを置くと、暗い山の斜面にヘッドライトがいくつも、さ迷う魂のようにゆらゆらとしていました。

 


(鳥居をくぐって登山道に入る)

 

そう思うのは、御嶽山が死後の魂を安らかに迎え入れぐれるという信仰に、思い当たるからです。

 

わたしの住む愛知県濃尾平野からは、冬の大気の澄んだ日には、御嶽山の頂上部がクッキリと遠望できます。

 

わたしのマチには知っている限りで4つの御嶽神社があります。

分社というのでしょうか。

 

御嶽信仰が盛んなところの一つです。

 

犠牲者63人の噴火の山

御嶽山山頂部で2014年9月27日水蒸気爆発が起き、58日人が亡くなり5人が現在も見つかっていません。

 

王滝山頂剣ヶ峯を結ぶ八丁ダルミは噴火口に近く、頭上から噴石噴煙を浴びた登山者が生死を分かつ修羅場と化した現場です。

 

今年はこの道のり解禁されました。

今まさにわたしを始め、多くの登山者が登り下りをしています。

 


(振り返ると駐車場のある三笠山。遠くに中央アルプス)

 

わたしのブログのテーマの日本海~太平洋の全3000メートル峰の継歩では、19年前の2004年9月18~20日にかけて反対側の開田高原から山頂を踏んでいますが、下山に王滝ルートはとっていません。

 

王滝山頂からは、かまぼこ形の新しい工作物がいくつか登山道沿いに目立ちます。

 

先の噴火では土砂と岩ばかりのところで身を守る場所がなく、その反省からシェルターが設けられているのです。

シェルターの両側には戸がなく、吹き抜けです。

 


(旧来の避難小屋。中にヘルメットなどがある)

 

頑丈な鉄(?)の地に小石を詰めた小袋を乗せてあります。

二重構造によって、落下物をはねのけるわけです。

 

今日の御嶽山は穏やかで、噴火に巻き込まれるとはつゆほども想像していません。

 

やっとこさで着いた山頂では多くの登山者が飲食しながら山岳遠望を堪能し、あちこちにカメラを向け、山頂の標識をわきに記念写真を撮っています。

 


(にぎわう山頂。右手方面は立ち入り禁止)

 

わたしたち夫婦も、おにぎりを頬張り、北の直下の白っぽい巨大な噴火口、乗鞍岳笠ヶ岳を見やり、裾にはそばの花が白く広々と咲いているはずの開田高原などを思いのままに目に焼き付けます。

 

わたしが約20年前に歩いてきた北側は今も立ち入り禁止で、噴火口が広漠と真下にでかい口を広げています。

 

御嶽山を畏怖する人たち

わたしたちとは違う人たちをしばしば見かけます。

昨夜泊まった麓の宿から、それは明らかでした。

 

埼玉県からバスで20人ほどの団体が同宿。

おおむね70歳代以上と見えます。

 

白っぽいはっぴふうの上着やはちまきに、御嶽山への心の傾倒を見ます。

 

道向かいの社殿では太鼓(?)を打ちながら祝詞(?)ふうの調べが聞こえてきましたし、ホラ貝の響きも何度が耳にしました。

 

王滝村市街から田の原の登山口(駐車場)沿いには次から次へと、身の丈ほどの霊神碑が並んでいます。

 


(登山口までの道路沿いに霊神碑が並ぶ)

 

御嶽山へ何度も登拝し、その帰依の真摯によって、死後の霊魂がこの山に迎え入れられる標なのでしょう。

 

王滝村側からの登山道は、登拝の古道を上書きしているのです。

 

わたしたちは、その人たちと同じく4時頃に宿を出たのでした。

 

登山道に沿っていくつもお堂があり、神体(?)が中に安置されていて、過去と現在が混在しています。

 

わたしが子供のころ、地区の団体で御嶽山を訪れた母親も、このルートだったことでしょう。

 

白い人たちを見送る

わたしたちは5時前には歩き出しましたので、下山はのんびり。

 

シェルター前で登山者を見守っている男性(40歳代?)に聞くと、人と場所を交代して、24時間体制で御嶽山を観察しているそうです。

 

お礼に手持ちの炭酸水を差し入れ。

 


(八丁ダルミと新設のシェルター)

 


(山頂直下の慰霊碑)

 

かなり下ると3,4人の中高年の男女が、全身真っ白な身繕いで登りかけてきます。

登拝にのぞむ心中を思い尊重します。

 

わたしたちは道の端に寄り、岩だらけの急道を譲ります。

 


(新旧の御嶽山との関わりが交錯する)

 

頂上まではまだ2時間以上かかることでしょう。

すぐそばに、祠があり、中に安置されている像があります。

 

わたしにはその像が何であるのか無知ですが、その人たちは、めいめいが深く頭をたれ、何かを祈っているのでした。

 

登山口の大鳥居近くまで来ると、またはっぴを着た2人がいます。

 

新潟県の人だと襟の所属名が教えてくれます。

 

この近くの逍遙ルートをたどる仲間を待っているかのようです。

大鳥居をくぐって振り返り仰ぐと、王滝山頂、その右奥に剣ヶ峯の頂きがよく映え、無事に下りきったのだと思うのでした。

 

一礼。

 

 

(この項終わり)

 

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは9年目(2024年4月現在)

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