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登山余話 登山記録

【登山余話5】山の日と八郎坂(下)

前回の余話
称名滝
【登山余話4】山の日と八郎坂(中)

  称名新道から八郎坂へ 八郎坂命名のいわれと、山岳ガイド佐伯八郎の人となりの手がかりは、いくつか見当たります。 まず、命名から。   『立山黒部の歴史と伝承』(桂書房・廣瀬誠)が ...

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八郎の死

立山称名滝ちかくの八郎坂命名の由来は、立山ガイド佐伯八郎にちなむことは、すでに見ました。

八郎の死を悼み、その功績をたたえるためでした。

 

 

八郎の死。

 

 

昭和11年11月14日――立山にはとっくに初雪、いや冠雪があってもしかるべき日頃です。54歳。

 

立山に近い有峰ダムの工事現場での事故です。

夕食後に飯場へ歩いていく途中、穴に滑り落ちたのです。

 

土木現場で発破作業があり、前日まで普通に通れたところが、ポッカリくぼんでいたのでした。

 

ガイドの仕事だけでは生活が成り立たず、折からのダム建設現場の仕事についていたのです。

北薬師岳付近
(薬師岳北の尾根。左手の谷底に有峰湖が細長い。右手奥に五色が原から立山が控える)

 

有峰ダムは、山奥の集落有峰をすっぽりと沈めています。

 

薬師岳の岩砕とむき出しの土ばかりの尾根を歩いていると、並行する西側の足下の谷に、アメーバ形の濃いヒスイ色の水面が開けています。

それが有峰湖です。

 

霊場~立山ガイド~

立山ガイドと一口にいいますが、元は信仰登山に先達・随行した、ふもとの芦峅寺などの人々を指します。

神の領域と世俗との仲介役(仲語)です。

 

信仰登山の色が薄まり、楽しむための登山が広がると、詳しい山岳地理や知識を生かした、ガイドへと変容します。

 

 

佐伯八郎は、仲語からガイドへと移行する時代の初期の人物でした。

大正7年の立山ガイドの紹介に、八郎の名が見えます。

時に36歳。

 

 

立山ガイドと問われて、現代の私たちは、幾人かの名を立山の尾根や谷にしのびます。

剣岳登頂の功による長次郎谷、源次郎尾根、平蔵のコル、そして八郎坂もそれに列席します。

松尾峠
(松尾峠の夏。カルデラ・立山温泉=廃湯=へ下る古道は登山者の通行を禁じる)

 

二代目平蔵と、八郎

立山ガイドの初期を代表する一人が平蔵。

その名は、剣岳の平蔵のコルにあります。

 

私が最後に剣岳を室堂側へ下った5年前の夏、廃れた小屋が、岩の急斜面にしがみつくようにありました。

もちろん、無人、かつての平蔵小屋もこうなのかと。

 

三代に渡る平蔵のうち、この初代平蔵とともに、八郎は芦峅寺のガイド仲間の中心人物でした。

 

 

「山ちゅうのは朝から速足で歩いちゃならんのだぞ」

 

 

二代目平蔵は、八郎に歩き方から天候の読み方、雪崩の起きそうな場所などを具体的に教えられたそうです。

立山ガイド八郎の名は、当時の山行記録に往々に出てきます。

 

その中で、とくに注目したのは、大正12年1月の立山・松尾峠の遭難です。

 

立山・松尾峠の遭難

芦峅寺から雇われたガイド10人の中に、八郎、そして平蔵の名もあるのです。

遭難の2年前本場アルプスのアイガー東山稜初登攀を成し遂げた槇有恒ら3人が、風雪の立山松尾峠で遭難し、板倉勝宣が凍死しました。

松尾・遭難
(松尾峠遭難のときの山行写真。上は雪上のキャンプ、下は大日岳方面の展望=雑誌『太陽』掲載より)

 

日本の積雪期登山の黎明期の遭難、かつ著名な槇らの遭難として、今に伝わります。

 

八郎はまじめとユーモアを併せ持ち、人に好かれ、また面倒見のよさから<小屋の八郎>と親しまれていたようです。

 

松尾峠の遭難記にも、八郎の人となりがうかがえる記載があります。

 

八郎からのいざない

八郎坂を登った私と妻は、弥陀ヶ原から松尾峠へも周遊しました。

 

松尾峠の遭難は古くから知っていて、いつかはこの目で見たかった場所です。

遭難パーティに八郎がいたと知るのは、今回好奇心にせかされて八郎坂命名由来を探訪したからです。

 

八郎がそこへ誘い込んだ、というのでは、いくらなんでも因縁めきすぎます。

 

(この項終わり)

 

次の余話
明神橋
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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは9年目(2024年4月現在)

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