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【登山余話1】礼文岳とハマナス
山行データ2016年8月26日。63歳。妻と同行。台風10号が本州南から北上し、東北地方に上陸しようかという動きのころ。 炎夏脱出 (礼文岳への登り口付近。ブッシュにZ形に ...
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山行データ
青に浮き立つ利尻富士
上空をさんざん押し込めていた灰色の雲海が東からの強風に尾根の真上で破られ、黒い影を持つ緑の尖塔が真正面に立ちはだかります。
前後する登山者の歓声がこだまします。
あれだ、あれが利尻岳(1721m)の山頂だ。
あと2時間くらいか。
(快晴の朝、利尻岳も鮮明に浮かぶ。礼文島・知床の海岸のあちこちでコンブ漁が見られた)
「利尻岳で98番目、100山は南アルプスでという方が泊まっていました」
礼文島出身で、今は利尻島でペンションを営むご主人の話です。
深田百名山を収集するのに、利尻岳は最北、日本海にあって、全島が全山の特異な一峰です。
礼文島三日目の朝(利尻島へ午後には渡る日)、完璧な青空と海原に浮き出て、利尻富士とも称される三角錐の全容をようやく見せてくれました。
<明日は、あのてっぺんにいるんだものなぁ・・・>
早朝の礼文島の南端、知床の岩場の海岸からの展望に海の水平と、山の高低という感慨があります。
春の利尻旋風
利尻には忘れがたい思いがあります。
札幌で仕事をしていた40年ほど前の春、北海道の高校野球界は驚きの渦中にありました。
春の全道大会で、なんと利尻高校が決勝戦にまで勝ち進んだのでした。
(礼文島の丘から利尻岳を望む。夏の高山植物の季節は終わりかけている)
名のある札幌や旭川の有力チームを蹴散らす活躍ぶりに、新聞は
<利尻旋風>
と称賛していました。
決勝戦こそモノにできませんでしたが、離島チームの躍動に心が躍ったものです。
何年か後に、当時の投手と釧路で偶然、平服で会う機会があり、聞けば教員養成の大学生と言います。
今夏の利尻高校の甲子園大会予選の結果を学校のHPでみれば、宗谷地区大会の早い時期に敗退しています。
学生数も1学年数十人。チーム編成も大変でしょう。
(雨も混じり暗く厚い雲塊が千切れ、利尻岳の山頂が突如として現れた)
卒業後の進路を見ても、若者流出が続くのは利尻に限ったことではありません。
その投手の今を知る由もありませんが、「哲学者」とニックネームされていた眼鏡をかけた痩身の風貌から、どこの地にあっても母校をそっと応援しているという想像が、自然に湧き上がります。
海の頂
いったん割れた雲海は閉じることなく山頂を見せ、急で狭く、もろい砂礫、崩壊斜面、固定ロープ、土留め階段などを経て、祠のある山頂に出ました。
ここは二つの海の頂なのだと気づきます。
東斜面は8合目あたりまで、まぶしく白い雲海が埋め尽くして北海道の本島の隙間一つ見せません。
目を転じる西斜面は海岸まで森林が駆け下り、そのまま日本海に没入し、礼文島南部までが開けます。
昨日朝、この頂を仰いだ礼文島・知床の海岸線もくっきりです。
そこから射した視線と、山頂から射し返す視線とがつながったのだと感じました。
(利尻岳の山頂とほこら。奥の峰へは立ち入り禁止になっていた。この日は20人ほどと出会う。外国人も多かった)
洋上に断固、孤高に立つ利尻岳の頂は、厳冬には自らも白くオホーツクの沖に流氷の南下を見やります。
それは、夏は冷涼、冬は風雪の風土に、無言で時空を思考する哲学者の姿を想像させます。
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旅のしかた
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1【1日目】中部国際空港(愛知県常滑沖)から旭川空港へ直行便
空港近くでレンタカーを借り、三浦綾子文学館、旭山動物園散策。
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2【2日目】留萌から日本海側に沿い稚内へ。フェリーで礼文島
吉永小百合さんの映画『北のカナリア』
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3【3日目】利尻岳登山
利尻岳登山で疲れ切る。
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4【4日目】フェリーで稚内へ移動
天候悪化によるフェリー欠航を見越し、
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5【5日目】紋別宿泊
風雨が止んだ翌朝、
真冬には流氷が埋めるオホーツクの海が、穏やかな銀色だった。
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6【6日目】空路で名古屋へ
山間部を経由し、層雲峡に寄って旭川。
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