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南アルプス 登山記録 第11章[南アル-富士山、田子の浦]

【第11章】南アルプスから富士山、田子の浦へ㊤1~転付峠~

山行データ

2003年9月5日-8日、50歳。単独。静岡駅からバス便。椹島から歩く。南アルプスの3000メートル峰と別れを告げ、一路、日本一の富士山を越え、太平洋の潮に至る。

 

■残すのは富士山だけ

前回の聖岳~赤石から4年後に、富士山越えに取りかかる。

このブログのテーマが、いよいよ終盤にかかるわけです。

 

列島中央部に縦列し日本海太平洋を結ぶ3000m峰全山をつなぐのに、パッチワークのような山旅をしてきました。

 

記事ではルートがつながるようにしてきたため、山歩きの時期とわたしの年齢が前後することがしばしば起きています。

 

聖岳~赤石もその例で、このあとで唐松岳~白馬岳~日本海上高地~乗鞍岳~開田高原などを歩いています。


(大井川のダム群の一つ・赤石ダム)

 

冷雨の夕刻、北穂高のテントの中で一夜を過ごそうとしていたとき、突然に中高年男性2人が道迷いのすえ、泊めて欲しいと飛び込んできたのも、この間の出来事です。

 

以上の3つはブログで紹介し終えています。

 

そうして、最後の3000m峰が富士山です。

 

たった一座ですが離れて独立していて、全体の中では一番の長い道のりが確実です。

 

日本海・親不知海岸で驟雨を浴びながら潮水で手足、顔を洗って区切りにしたように、田子の浦でもそうすることで、目標とした単独リレー3千メートル縦断に終止符を打ちたい。

 

今度の旅では大井川奥地椹島から歩き始め、二軒小屋から転付峠を越えます。

ここから山中を下ってマチに出て浅間神社(富士吉田)から富士山を越す予定です。

 

まずは、赤石ダムなどダムまたダムの大井川を北上し、畑薙第一ダムでバスを乗り換えます。

 

過酷な徳本峠と若い人たち

この年の夏は、すでに上高地~乗鞍岳~開田高原を歩いています。

目標に向け積極的に地図の空白を埋めたシーズンです。

 

わたしは浜松から東京に異動しています。

 

職場環境が変わり、比較的休みを調整しやすくなったのは利点です。

 

たまたま5月に松本に土日をまたぐ出張があったときなど、月曜に代休を取って上高地から徳本峠で小屋泊まりし島々谷を下りました。

 

学生時代の19歳の残雪のころ、山岳部の新人合宿で30キロの重荷を背負い苦労した島々谷を逆コースで実見したのでした。

 

背にはごく軽いリュックです。

長いけれどなんとのんびりとした谷道だったことか。

 

小屋に泊まった小雨の午後、10数人の若者が小屋の人たちにあいさつに立ち寄りました。

 

地元の信州大学山岳部の新人合宿の入山で島々谷を登ってきて、小屋にあいさつするのが恒例だとの口上でした。

 

冷雨に打たれて震えている女性部員もいましたが、日本アルプスのお膝元にある名門山岳部でも部員は少ない。

 

いわゆる3K(きつい・汚い・危険)が山岳部に象徴されていたようです。

 

偶然は重なるもので、このときの山岳部員3人と、日本海へ向かっているとき唐松岳近くで交錯したのですから(相手が気づいて声をかけてくれました)、いやいや世間は面白い。

 

そうした若い人たちを励みに感じるのは、もはやわたしが若くはないからに他なりません。

 

中高年なりに体力・気力を蓄えて

先の東京時代にだぶついた体を、「こりゃまずいぞ!」浜松時代に10キロ近く絞って学生時代並みになると、体力につれて気力が伴っているから不思議です。


(建設中の長島ダム)

 

さて、ダムまたダムの大井川の天にも青空が広がっています。

椹島で降りたのは、わたしを含めて15人ほど。午後2時40分。

 

車中では、

「わたしは百名山がおわって・・・」

 

と語る人もいれば、上河内岳笊ヶ岳など、椹島起点の山のことを運転手さんに聞いて、

 

「ワクワクするわぁ」

とか、とにかく女性が元気はつらつ。


(畑薙第一ダム。この先は許可車のも通行可)

 

中高年女性が半分くらい。

学生ふう、中高年男性もいます。

 

さらに奥の二軒小屋へはそのうちの8人が乗り換えます。

 

今からだと、この人たちは椹島~赤石岳を目指す赤石小屋二軒小屋~悪沢岳を目指す千枚小屋に行き着くには時間が足りないはずです。

今日は椹島二軒小屋ロッジ泊まりでしょう。


(一般車両通行不可のゲートがある=沼平)

 

河川敷でテントを張る

わたしはテント泊です。

 

二軒小屋ロッジで食事付きで宿泊できますが、テントの自由さに委ねる旅です。

 

椹島から大井川左岸の林道を4時間と少しで二軒小屋ですが、土砂に埋まった川を横目に2時間ほど歩いたあたりで、林道を斜面からの沢水が横切っています。


(延々と土砂に埋まる畑薙第一ダム上流に細い沢が流れ落ちる)

 

いい具合です。

林道はクルマが通行するので、安全な距離をとったところにテントを張ります。

やや広い河川敷が開けていて、西には逆光に暗くなりかける山際が波打っています。

 

耳を澄ませば沢音や本流の流れなど、自然が生み出す音ばかりで。

 

あぁ、この山中のこの一点では何事もなかったかのように平和に一日が過ぎ去ろうとしているのだなぁ。

 

テントの中で缶ビールの口を開けると、プシュと炭酸が生気あふれて飛び出します。

この瞬間の嬉しく楽しいこと!

 

鶏肉の燻製、カレースープふうのうどんなどでお腹をつくります。

焼酎もちびりと。

 

 

(写真はいずれも1999年7月撮影)

 

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは9年目(2024年4月現在)

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