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山の本棚

【山の本棚12】喜作新道、あぁ野麦峠・・・山本茂実の北アルプス

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【山の本棚11】深田久弥『日本百名山』と登山熱㊦

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表銀座のレリーフの猟師・喜作

一世紀以上前の大正9年秋。北アルプス喜作新道が開通した。

これによって中房温泉から入山する燕岳~大天井岳~西岳~東鎌尾根を経て槍ヶ岳のルートが整った。

 

現在の表銀座コースである。

北アルプス屈指の人気を誇る。


(表銀座の縦走路=燕岳から大天井岳へ)

 

槍ヶ岳を目指して上高地までバスで入る場合は、喧騒の河童橋を背に梓川をさかのぼり横尾から槍沢を詰める。

表銀座とは、こじゃれた都会のファッションの気配だが、予想を裏切る東鎌尾根が待ち受けている。

 

西岳から激しく下って登り返す鋭く険しい岩尾根である。


(垂直の鉄はしごがなければどうにもならない)

 

2025年8月、わたしが尾根の最低鞍部まで下り槍沢に降りたときも、垂直の鉄はしごの助けなしには、立ち往生するしかなかった。

このルートを切り開いたのが、現在の穂高町の猟師小林喜作

 

その功績を伝える喜作の顔のレリーフが、大天井岳への登り返しあたりの岩にはめ込まれている。

 

喜作は謀殺された?

前置きが長くなったが、「喜作新道 ある北アルプス哀史」(昭和46年・朝日新聞)は、登山が大衆の娯楽として広がってゆく社会の動きを機敏にとらえて、東鎌尾根から槍ヶ岳への登山道を切り開いた喜作の行動力と、狩猟中に積雪の黒部山中で遭難死した出来事を軸に展開する。

 

上高地が取り上げられるとき、上条喜門次、内野常次郎は古き良き上高地を象徴する山人としてしばしば紹介される。

欲望渦巻く世俗混沌の都会とかけ離れた山の聖地に住まう、穢れのない高潔な仙人かのように。

 


(東鎌尾根のやせた岩稜)

 

ところが、クマ、シカ、ときにはライチョウなどを狩猟し稼ぎにしていた時代に、喜作は経済観念に長じ新規登山道を発想したばかりか、山小屋建設へと事業欲旺盛だった。

 

厳冬期の狩猟でも実力者だった喜作ゆえに、新道開設と遭難死は、好悪や地域の利害関係や敵視も入り混じて噂や推測憶測が飛び交った。

 

作者の問題意識、周到、粘着、綿密な取材は、遭難死が雪崩を装った他殺?という言説を紐解いていく。

ミステリーの謎解きのような構成をとってひきつけられる。

 

ときに脱線気味な講談調?になるのは愛嬌で、貧しい人々の疑心や猜疑心、狭い地域社会での嫉妬や結託、男女の機微に触れる出来事など、どろどろとした人間臭さが露になる。

 

喜作新道以前の槍ヶ岳への登山ルートは、大天井岳からよく見える。


(中央の尾根のコルから二股に下る。奥は常念岳)

 

東大天井岳から尾根を下って二股から槍沢に合流してから槍沢を詰める。

今は槍沢合流までのルートは廃道。

限られた好事家が、原始に戻った鬱蒼と茂る森林に探検的な山旅を求めているようだ。

 

「あゝ飛騨が見える」

「あゝ野麦峠―ある製糸工女哀史」(昭和43年・朝日新聞社)は映画にもなっている。

新資料などをもとに続編「続 あゝ野麦峠」がある。

 

新生明治日本が富国強兵に突き進む底辺で、過酷な労働を強いられた若い女性たちの劣悪な労働と生活に迫る。

乗鞍岳の南に野麦峠があり飛騨信州をつなぐ。

 

その峠は信州岡谷の製糸工場で働く若い女性たちが集団で越えた。

現在では立派な車道だが、明治のころ娘たちはひたすらに歩いた。

正月の帰省は積雪にあえぎながら。

 

映画でも挿入された次の逸話は有名で、女工の薄命と悲哀を浮き上がらせる。

政井みね、20歳。

 

飛騨越中の境に近い山中に生まれた。

病気の知らせにみねの兄は岡谷に駆け付ける。

 

みねは腹膜炎を患い死の床にあった。

働けない女工は厄介者だった。

 

兄は背板にみねを背負い一歩一歩の歩みを野麦峠へとつなぐ。

実家までは遠い。

 

11月20日、兄とみねは野麦峠の茶屋に着く。

ほとんど食事を口にしなくなっていたみねに、そばがゆと甘酒を兄は買ったが、みねは口をつけず、「アー飛騨が見える、飛騨が見える」とその言葉を最後にこと切れた。

 

取材地点から60年前のその逸話を、兄は涙ながらに語ったという。

 

みねの故郷ははるかに遠く

野麦峠にわたしは二、三度寄ったことがある。

広い駐車場があり映画ポスターなどもある展示館(今は閉館)、食堂・土産物店などが目に付いたくらいだが、ここから見る飛騨方面は一面の樹林、見渡す限り山ひだのうねり合いである。

 

そこに、みねは故郷の香りを吸い込んでこと切れた。

 

乗鞍岳がツンと右手に高い。

飛騨へ下る車道ですら延々と深い谷を縫い、いくつも橋を渡らなければならない。

 


(御嶽山から乗鞍岳。飛騨はその左方面)

 

そうしてやっと飛騨方面と、御嶽山開田高原への分岐に出る。

 

延々と歩き野麦峠を往来した女工たちの心中はどうだったのか。

ミネの背後には、幾千、いや幾万という女工たちの苦闘や悲嘆が積み上げられている。

 

資料や証言を尽くして充実しており、作者の並々ならぬ執念が宿る。

時代に虐げられた名もない無数の生きざまを骨太に救い上げていて、長く読み継がれるべき作品である。

 

続編は、みねの逸話の補遺から始まる。

 

(注・紹介した3作は文庫や電子書籍で読める)

 

(この項終わり)

 

 

 

 

 

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは10年目(2025年4月現在)

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